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4・沈む
「どういうことですか」
葵は詰め寄った。
意気揚々、新天地に辿り着くや否やトラブルだ。
「再度確認致しましたが…こちらでは“野崎葵”様のご契約は確認できません…。大変申し上げにくいのですが、別の不動産会社との契約ではございませんか?」
地元を離れ1人郊外都市へやってきた野崎葵だったが、入居予定の家に入れずに立ち往生をしていた。痺れをきらして連絡した不動産会社ではこの有様である。
「間違いありません!こちらの桑原さんと1ヶ月前からやり取りをして、契約も前家賃も済んでいます!それに…」
葵はひと呼吸置いて続けた。
「それに引越し業者だって紹介して頂いているんですよ…?」
改めて口にして初めて、冷静に状況を客観視する事が出来てきた。
「もしかして…」
気が付けば夕方になっていた。
知らない土地、知らない公園、ベンチで途方にくれる葵は、スニーカーのつま先でいたずらに地面を削る。はぁ、と、気が付けばため息ばかりが出るのであった。
不動産会社を装った詐欺だった。知らない土地の事だから、とインターネットで適当に調べたのが致命傷だった。
「どうすんのさ…」
大学生時代にアルバイトで貯めた貯金は、引越し業者代と敷金礼金、前家賃、仲介費…という名の詐欺でほぼ消えてしまった。
行き詰まり泣き出しそうな葵の鼻先をツンとタバコの臭いが煙った。ふと見上げると、このご時世には珍しく公園内に喫煙スペースがあった。そこにはタバコをふかすサラリーマンが1人、夕暮れに戯れる2羽のカラスを見つめて佇んでいた。
「おじさんも嫌なことあったんです?」
葵は灰皿横のベンチに座って、いくらか投げやりに問いかけた。今はそうでもしていないと不安と絶望に押し潰されてしまいそうだったから。
「は…?あぁ…俺か」
サラリーマンは少し驚いた様子を見せ、そして続けた。
「今朝な、かなりでっかい仕事を取ったんだけどなぁ。どうやら先方のお偉いさんのメンツだとかで、別の会社と契約する事になったそうだ」
サラリーマンは肺から全ての煙を吐き出すように大きく息をつき言った。
「それだけならまだしも、俺は先方と会社との板挟みになり上司に怒鳴られた…ってところですよ」
「それは……とっても気の毒ですね…」
そう言って葵はポケットからピアニッシモを取り出した。ピンク色の箱から1本タバコを出す。
「私にも火を貸してくれます?」
「おいおい未成年はタバコを吸っちゃ駄目なんだぜ」
サラリーマンは大袈裟におどけて言う。
「私、22歳です」
葵もわざと大袈裟に睨んでライターを受け取った。
「……。態度が悪くてごめんなさい。私、今日色々とあって、1人じゃとてもじゃないけど潰れちゃいそうだったから」
「いいんだ、俺もそうだ」
夕焼けはいつからか沈みかけ、紫色の空に白い煙が漂った。
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