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そういうこと
「いらっしゃ〜い」
いつものマスターの、のほほんとした声に迎えられて、ほっとする。
「はぁ、疲れたぁ」
誰に言うわけでもなく、心の声が溢れた。
「2週間ぶりだけど、また海外?」
「違うけど、毎日終電近くまで残業よ! ブラックすぎるでしょ、本気で転職考えようかと」
「大変だねぇ、確かに顔色少し悪いかも」
「もうね、目の下のクマが消えなくて……明日は一日中寝倒してやるわ」
いつものカクテルを置いて、おつかれさまと労ってくれた。
はぁ、美味しい。
時折、マスターと世間話をしつつ、久しぶりに仕事を忘れた至福の時間を堪能した。
「マスター、そろそろ」
と言うと少し驚いたように。
「え、もう? 美佐ちゃんちょっと待って」
と、何やら作ってくれた。
「これサービス。暖まるから、ゆっくり飲んで」
「えぇ、ホットワイン? マスターありがとう」
猫舌の私は、ふぅふぅさせながら少しずつ舐めるように飲む。
「ん、やっぱ美味しい」
ホットワインが半分程になった頃。
「マスター、いつものお願いします」
と言う声が隣から聞こえ、その声に体が反応した。
「雫?」
横を向くと、やっぱり彼女だった。
「お久しぶりですね、美佐さん」
と笑顔で言うと直ぐに前を向いた。
「マスター、ありがとうございました」
「どういたしまして」
テーブルには、私もいつも頼むカクテルが置かれた。
「いつのまに常連さんに?」
「居心地が良くて、このお店。マスターも優しいし」
「しーちゃん、ほぼ毎日来てくれてたよな」
「そんなことないですよぉ、週5です」
しーちゃんって? マスターの鼻の下を伸ばした顔を見たら、なんだかムカついた。
「ところで美佐さん」
「はい?」
「お聞きしたい事がたくさんあるのですが」
そう言われて横を向く。
改めて雫の顔をよく見ると、口角は上がっているもののーー目が笑っていない?
それに、なんか違和感があると思ったのは敬語が固いし「みーちゃん」と呼ばないからか。
「もしかして、何か怒ってるの?」
それまで近くでニコニコしていたマスターが、スーッと離れていった。
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