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「ありがとう、来てくれて」
慧はいつも、自分が動いて当然、という姿勢でいてくれる。
「慧こそ。いつもこっちまで来てくれてありがとう」
彼は笑顔になって「行こう」と、当たり前のように杏里の右手を握った。
「義姉さんがまた、服を送ってきたから、後で見てね」
反対の手にあった紙袋を軽く上げ、歩きながら言う。
彼のお義姉さんは、中国で子ども服の製造販売を手がける会社の人だそうで、最近になって、小柄な大人用の服を少しずつ売り出している。
それでいつも、試作品を着てみて感想を欲しい、と送ってくれるのだ。
「チェックインまでまだ時間があるから、大きい荷物をロッカーに入れない?」
慧がそう言う。さっき、銀の大時計が午後の1時を鳴らしていたところだ。
一泊だけど泊まりだから、杏里も明日の着替えと化粧品などが入ったバッグを持っていた。
そうだね、と頷くと、そのままコインロッカーの表示の下を潜っていく。
2人分の荷物をロッカーに入れ、杏里は貴重品だけを入れたショルダーバッグを斜めがけにする。
慧は、ワンショルダーのミニバッグを掛けていた。
「僕さ、まだ味噌煮込みうどんって食べたことないんだけど、杏里はある?」
「もちろんあるよ。お昼はそれにする?」
「やった! 味噌カツと手羽先は食べたことあるんだ」
「きしめんは?」
「サービスエリアとかで食べた気がする。味噌煮込みうどんとは対極だよね」
「この駅ビルの中に有名なお店があるけど、そこでもいい?」
「うん、いいよ。お腹空いた」
杏里の案内で駅構内の名店街に向かう。
「本当に久しぶり。なかなか会いに来れなくてごめん」
歩きながら、慧がそんなふうに言う。
「ううん、お互い社会人なんだもの。仕事が優先なのは当たり前だよ。
フリーランスが忙しいって、幸せなことじゃない?」
慧の仕事の様子を知っている杏里は、そんなふうに答えるしかなかった。
「今日の格好、可愛いね。杏里らしい」
両肩に向かって大きい襟のついたアイボリーのショートコートに、中は白のタートルネックセーター、ツイードのロングスカートは、薄いブラウンの地に大きめのチェック柄が入っている。
足元はつま先がおでこになったショートブーツ。
今日のために、靴を1週間も履きこなしていたことは秘密だ。
「慧も。ちょっと大人っぽいかも」
身長162センチと小柄な慧は、お義姉さんの会社の子ども服を着ていることも多くて、いつもはもっと少年っぽい印象があった。
今日は、濃紺のセーターに黒のライダースみたいな形のジャケット、下はデニムパンツだ。
「デートだから、ちょっと渋めにしてみた」
めざすお店に近づくと、中から数組が続けて出てきた。
ちょうど、食べ終わるくらいの時間なのだろう。
店に入ると、すぐに横並びの席に案内され、ふたりでメニューを見る。
「ここのうどんは茹で方が結構固めだよ。柔らかめにって注文することもできるけど」
「うん、聞いたことある。今日はそのままで食べてみるよ」
そういってオーソドックスな煮込みうどんを2つ頼んだ。
10分も待たないうちに熱々のうどんが運ばれてきた。
土鍋の蓋を開けると、まだ盛大にグツグツ言っている。
顔を見合わせながら、「いただきます」と軽く手を合せ、慧はまず、汁を蓮華ですくってふうふうと息を吹きかけ、冷ましてから味をみる。
「うん、しっかり濃い味だね」
その後は、蓋の上に麺を取って冷まし、少しずつ口に運ぶ。
ああこの味だ、と杏里は、久しぶりに食べたうどんに、以前母と来たときのことを思い出していた。
「杏里の実家も、味噌汁は赤だしなの?」
食べながら慧がそう聞いてくる。
「そうだよ。こんなに濃くはないけどね」
「実家から離れていた時は?」
「スーパーで売ってる味噌って、結構合わせが多いから、だんだんそっちにいっちゃったけど、たまに食べたくなるんだよね。だからインスタントの赤だしの味噌汁を常備してたよ」
…ほら、隣にいれば、こんな他愛もない会話だって、こんなに楽しい。
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