一歩先に

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一歩先に

「お風呂、お先に。ありがとう」 宿泊する部屋に戻り、慧のお義姉さんから託された服を一通り試着した。 襟の広い、丈の短いジャケットや、適度に裾が広がったワイドパンツなど、小柄な大人女子に向けたラインナップで、フィット感を彼に伝える。 ワイドパンツは、小柄な人には丈が難しいアイテムだ。 ジャストな長さがどのくらいなのかは、友人の恵麻にも聞いてみないと、と預かることにする。 その後は、もうお腹もいっぱいだし、コーヒーも飲んだし、と慧がお風呂の支度をしてくれた。 ゆっくり足を伸ばせるユニットバスで、歩き回った足の疲れを癒やした。 デスクの上に置かれていたホテルの案内を見たら、上の階にはフィットネスやプールもあるようだ。 慧みたいに、あちこちのホテルを転々とするような人だったら、そういう施設を使う機会もあるのかな、と思う。 暖房の効いた暖かい部屋だけど、さすがに12月なので、ホテルの夜着の上にカーディガンを羽織る。 奥の窓の前に、小さな丸テーブルと一人掛けのソファが向かい合って置かれている。 そこに座ってみると、カーテンを開けたままの窓から夜景が見えた。 夜が深くなるにつれ、その光は輝きを増している。 ミネラルウォーターを開けて、グラスに注ぐと一口飲む。 思わず、ふーっと息をついてしまった。 …お風呂に入りながらも、慧が言ったことについていろいろと考えていた。 慧が二人の将来について、真剣に考えてくれたことは、本当に嬉しかった。 でも今の彼は、本当にいきいきと仕事をしているので、それを大きく変えさせることにかなりの抵抗があった。 普段から連絡を取り合っていて、いろいろ話しているつもりだったけど、やはり顔を見ながらでないとできない話もあるんだな、と思う。 …慧に言われるまで、自分は具体的にどうしたらいいのか、と考えたことがなかった。 ただ、もっと会う時間がほしい、としか思っていなかった。 実家だったアパートに引っ越したことや、仕事を探すことなんかで余力がなかったのは事実だけど、慧は将来の二人のことまで考えていてくれたんだな、と思う。 さっきは、慧が言ったことの衝撃が大きかったから、あまり深く考えることができなかったけど、落ち着いてきた今は、まだ方法があるような気がしてきた。 二人がもっと一緒にいられる方法、 お互いに満足のいく仕事を持って働くこと、 そして、この先もずっと一緒にいること。 慧と付き合うようになってから、毎週末にデートする、みたいなのが普通の恋人のあり方、という固定概念はなくなっていた。 だから、もっと自由な、二人らしい付き合い方、将来の姿があるような気がする。 窓から見下ろす夜景が、(またた)いているように見える。 普段なかなか会えないから、こんなとっておきのデートを演出してくれたんだな、と思うと、慧のことがとても愛おしく思えた。
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