一歩先に

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「僕にも水くれる?」 お風呂から出てきた慧が、ペットボトルがまだ空になってないのを見て、自分用のグラスを差し出す。 向かいの椅子に座った慧に水を注いで差し出すと、彼は美味しそうにそれを飲んだ。 「予約するとき、ネットで夜景の写真を何度も見たけど、実際にここで見ると圧倒されるね」 杏里がスマホを操作すると、クリスマス定番曲のオルゴールが流れ出す。 「うん、センス良い」 そういって、慧は満足そうに言った。 「あ、そういえば…」 慧は立っていって自分の荷物を開けると、可愛らしい包装紙に包まれた四角い箱を取り出した。 「これは杏里に。開けてみて?」 受け取って、ツリーやサンタさんの顔がちりばめられた包装紙をそっとはがしていく。 「わ、可愛い」 赤の地に緑のクリスマスツリーが描かれた、クッキーボックスが出てきた。 「杏里はこういうの好きかなって思って。お家でゆっくり食べてね」 箱の中には、ツリーやベル、トナカイ、サンタの顔などいろんな形をしたクッキーがぎっしり入っていた。 「嬉しい。こういう缶も好き。子どもの頃も、食べ終わったら取っておいて何かの宝物を入れてたよ」 そう言いながら、缶の横に並んでいるイラストを見る。 「ね、一個食べよ? 慧はどれがいい?」 そう言うと、彼は「じゃあ」と言って、雪だるまの形のチョコクッキーを指さす。 ほら、と缶を差し出し、彼がそれを取ると、杏里は星の形にアイシングの尾が着いた流れ星の形を手にした。 「何かこう言うのって、クリスマスの夢があるじゃん。杏里にそんなワクワクな気持ちを贈りたかったんだ」 そう言って、慧はクッキーをかじる。 「ね、慧?」 なあに? という顔をする彼に、 「今日は本当にありがとう。ホテルも、ディナーも、プレゼントも。嬉しかった」 うんうん、と満足気に頷く彼に 「慧がこっちに住んで仕事を探すっていう話は、ちょっと考えてみない?  私は慧に、今の仕事のスタイルを大きく変えて欲しくないの」 「…実は、ね。このところ世界的に流行ってる感染症のせいで、仕事量は減ってるし、海外に出かけるよりリモートでやる仕事も増えてきたんだよね。  そうなると、やっぱり今の感じは、安定感に欠けるのかなって改めて思ったんだ。  それに、今の年齢で仕事の方法を変えることは、言ってみれば人生の第二章が始まるって感じに思えてきたんだよね」 「そうなんだ…ね。  ねぇ、ご実家のご両親はいいの? 心配してない?」 「まあ、心配していない訳ではないけど、もう30も過ぎてる訳だし」 「あそこのお家にずっと住むとか、そういうことは? 結構大きなお宅だったから二世帯用なのかなって…」 「あぁ、そういうこと? 別にずっと一緒に住んで老後の面倒を見てね、とかは言われたことないよ。  あの家は、外に住んでる兄さんの家族が里帰りしてもいいように、という広さなんじゃないかな?」 …そうなのか。 「例えば、空港のアクセスの良いところに一緒に住めば、仕事は今のままでもいけるかも」 「そうかな…? でも、そうすると杏里は多分、仕事変えないとじゃない? せっかく決まったのに…。  あんなにいろいろ悩んだ末に決めたところだから、その気持ちを尊重したいんだ」 「…そのことなんだけどね  入った時は言われなかったんだけど、私のポジションって産休交代要員みたいなんだよね。で、その人が来年の春には戻ってくるらしいの。その人が戻ってきたら、仕事量的に私はあぶれそうなんだ。 …でも産休って本当に戻ってくるとは限らないんだよね。お子さんの様子とか、ご本人のいろいろとかで。  だから採用条件に期間限定ってなかった。でもその人が本当に復帰したら、私かその人かどちらかが別の部署に異動になるのかな、って思う。まあ、パートだしね」 これは本当の話で、それが分かったのも最近の話だ。 周りの人の言っていることから、何となく分かってしまった。 「そういう面で自分は、トレーナーの側にもいける要素があるから採用になったんじゃないかな、と思う。だから今の仕事のことをそんなに重く考えないで、ね…?」
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