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60歳を前に、斎藤さんが転職を選んだ理由は、故郷のこの店舗が閉店する、という情報を聞きつけたからだ。
それまで、70過ぎのオーナーが一人で何とかでやっていたのを、もう年だから、と見切りをつけると言う。
斎藤さん自身は「退職したらやりたいことがある」と言っていて、定年延長はしない、と公言していた。
それが何だったのかは聞いてなかったけど、どうやらそのことと繋がりがあるらしい。
「どうですか? 帰ってきて」
くつろいだ表情で、隣の椅子の背に右腕を乗せ、反対の手でカップを持ってコーヒーを啜っていた彼は、う~ん、と唸った。
「引き継いだ仕事が結構多くて、驚いてる。まだ店を回すのに精一杯ってとこかな?」
店を継いだのが4月だったため、部活に入る新中学生が次々とやってきて忙殺されたこと。
ひと息つけるか、と思ったら、今度は成人の早起き野球やソフトボールシーズンが始まり、運営の支援もしているのでそちらが忙しくなった。
初夏になったら、水泳のシーズンになり、水着やゴーグルなどがどんどん出て、発注に追われた。
「去年、学校関係のアイテムを扱っていた市内のショップが、ひとつ閉店してるんだ。
結構遠くからもお客さんが来て、年中こんな感じらしい。
まあ、店を続けていけるだけの収入があるのは、ありがたいけどね」
「それで、課長が…じゃなかった、斎藤さんがやりたかったことは、できそうなんですか?」
「いや、当分無理だね。
でも、いつかこれをやろう、と思うことがあるって、こんなにモチベーションを保つことができるんだな、と思ってる」
「それって、どんなことなんですか?」
「子どもに、身体を動かすことの楽しさや、必要性を教えるプログラムをやりたいんだ。
今の子たちって、みんなゲームだろ? それがいろいろなところで弊害になってる。
ただ、外で遊べ、と言ったところでやる訳がないから、やる気に繋がるような効果的なプログラムを作りたいと思ってね」
「具体的には、どんなことをするんですが?」
「そうだな。例えば運動会前になると、なんとかして早く走りたい、と多くの子が思うけど、練習だと言って、ただ走っているだけじゃあ、足は速くならないだろ?
でも、腕の動かし方や歩幅なんかを工夫すれば、かなりの確率でスピードは上がる。身体のつくりや動かし方から教える訳だ。
その練習を年間通してやれば、次の年はより速く走れる、と聞けば、ずっと走り続ける子も出てくるんじゃないか?
…他の競技でも、ちょっとした工夫を教えることはできるだろう?
お前さんだって水泳選手だったんだから、速く泳ぐコツを教えられるじゃないか。
そんなふうに、スポーツを継続してやることの大切さや楽しさを、身体のしくみや効果的な動かし方から教えるんだよ。
何年か後には、この市の子どもたちがいろんなスポーツで日本一になってるかもしれないぞ?」
そんなふうに言って、斎藤さんは笑っている。
「そういうプログラムが、実際に提供できそうなんですか?」
「さあね、分からないけど、地元の学校にはあてにされているから、企画書でも持っていけばなんとかなるんじゃないか、と思ってる」
「それをおひとりでやられるんですか?」
「う~ん、どうだろう。地元の社会人スポーツクラブにも声を掛けようと思っているし、これまでのコネで、ちょっと有名な選手とかをたまにゲストで呼んでもいいな、とか、やりたいことはある。
でもちょっと、ここが落ち着いてからだな」
「事業にはならないですよね。収入はどうするんですか?」
「まあ、ボランティアになってしまうかもしれないな。参加費くらいは取るかもだし、学校が乗ってくれれば多少の謝金は出るかもしれないけどね」
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