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ホテルにチェックインしたのは午後5時くらい。
慧が予約してくれたホテルは、とてもシンプルだけど洗練されたデザイナーズホテルだった。
「父さんもちょっと偵察してきて、と言ってたよ」
ホテルと言うより、洒落たワンルームマンションの一室みたいな作りで、白木の床や壁、ローチェストも同じ素材でできている。
ベッドは大きな窓の前に据えられ、白いシーツの足元にブルーのカバーが掛けられている。
壁際のデスクと並んで、コーナーソファがあるのも、なんかホテルという感じがしない。
杏里は着てきたものや洗面道具を整理して、先にソファにいた慧の横に座る。
「あのね、やっぱり仕事、辞めようかなと思ってるんだ」
部屋に落ち着いたから、杏里は今回の旅行で一番話さないといけないと思っていたことを口にする。
「そうなの?」
「うん、産休を取っていた人が4月から復帰するんだって。
私の仕事がその人の分だから、その人か私のどちらかが異動することになりそうなんだ」
慧は頷きながら聞いている。
「正直、異動って言っても、別に異動先が決まっている訳じゃなくて、要はその人がちゃんと復帰できるか分からなかったから、私の応募した求人に期限を設けなかっただけみたい」
杏里は、横にあったクッションを自分の背に挟んで座りなおす。
「だから私が辞めると言えば、うまく収まるんじゃないかな」
「もう辞める話はしたの?」
「ううん、一応ひと月前申告だから、2月の末日に辞表を出すつもり。
一応、半年働いたしね。私の中では、ずっとここで働くっていうイメージはなかったから」
「そっか」
「…だから慧、私、またこっちに戻って来ようかな。今度は一緒に住める?」
慧は「えっ…!」と驚いた顔をして、ちょっと嬉しそうな顔になって「いいの?」と言った。
「だって、私も慧と一緒にいたい。小さなマンションに二人で住むの。
なんか想像するだけでわくわくしちゃうでしょ」
慧はうんうん、と頷いた。
「じゃあ、今度はマンションを探さなきゃ」
「私は賃貸でも構わないよ。それに、慧の実家みたいに広いマンションだと掃除が大変だし…ね」
杏里はそう言って笑った。
「…あのね、母が引っ越して実家を引き払うって聞いたとき、『私が帰るところがなくなる』って言ったのね。
そうしたら母が、『私がいるところがあなたの実家』って言ったの。『だからいつでも帰ってくればいい』って。それですごく意識が変わっちゃって
『家を持つ』っていう感覚は、もっと柔軟でいいような気がするんだ」
慧は杏里の方に身体を向け、真剣に考えている。
「…そうかも。僕も一時期、関西に住もうかなと思っていた時期があったよ。中国に近いし、空港の近くなら移動も楽だからね」
「そうそう、慧みたいな仕事の人は、一カ所に家を構えない方がいいのかもって私も思ったの。
年を取って、もう海外にはいかないってなってから、小さなマンションを買ってもいいんじゃない?」
「分かった。じゃあ、どのエリアに住むか、いろんな角度から考えてみようか…」
それから二人は、あちこちの不動産サイトを見始めた。
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