あなたの隣で

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あなたの隣で

「ただいま~」 そう言いながら入ってきた慧は、キッチンで料理をしながら「お帰り~」と言う杏里に笑顔を返すと、パウダールームへと向かう。 うがい、手洗いをして、奥の部屋に荷物を置くと、部屋着に着替えて出てくる。 改めて杏里のところへ来ると、横から腕を回して抱きしめ、チュッとその頬にキスをした。 ここで暮らし始めてからのルーティンだ。 「今日のご飯は何?」 「麻婆豆腐。ご飯に掛けても美味しいよ」 慧はフライパンを覗き込み、「美味しそう」と言うと、シンクの中に置いてあった菜箸やボウルを洗い始める。 杏里は副菜のわかめサラダを混ぜ終えると、上の棚から小皿を出して盛り付ける。 「そっちはどのお皿に盛る?」 「う~ん、それかな」と慧に伝えると、彼はお皿を取り出して、クッキングヒーターの横に置いた。 小さな1LDKのマンションで暮らし始めて一週間が経とうとしている。 結婚に伴って引っ越すので、と伝えると、退職届はすんなり受理された。 半年しか働かなかったので、付き合いもその程度だと思っていたけど、最後の日には、職場の皆さんから結婚祝いと花束をいただいて感激してしまった。 5月の連休明けに引っ越しをして、結婚式まであと少し。慧と二人の生活にも慣れてきた。 驚いたのは慧が、自然に家事をやってくれること。 さっきのように、さっとキッチンに来て洗い物をしてくれるし、洗濯も掃除も慣れている。 「うちは、自分のことは自分でっていう方針だったからね」 自分の使った茶碗は自分で洗う、というのは小学校からの決まりだったそうだ。 そうすれば家族が多くても、一人に負担がいくことがないからとても合理的だ。 それに「洗い方が甘くて汚れが残っていたりすると、次に使うときそれに気づくんだよ」と言う。 「洗濯機を回すときは全員分一緒だけど、干すのは自分のものだけ違うカゴに分けられて、ハイって渡されてたよ」 母さんは、父さんが家にいるときは同じようにそうするんだ、と笑う。 そういうご家庭っていいな、と純粋に思う。 家のことは自分で全部やりたいっていう女性もいるとは思うけど、小学4年から母と二人で暮してきた杏里には、慧の家の方針の方が好きだ。 マンションの広さ的にタンスや書棚を置くスペースが取れなくて、いろいろな物をウォークインクローゼットに入れるしかなかったので、必然的にまた物が減った。 だから、本当に子どもが生まれたら、この家ではじきに狭くなるだろう。 その時はもう少し郊外へ引っ越すか、まだ許されるなら、慧のご実家に頼らせてもらおうかとも話している。 それでも、最初は二人で暮らしたかった。 最初から遠距離恋愛だったので、二人きりの恋人時代を過ごせていない。 だから、お互いの本質的なところまで見えてないかも、と思うところもあった。 実家の母も、「二人で生活して、良いところもそうじゃないところも知るべき」と言う。 今のところ慧も杏里も、お互いにがっかりする要素はあまり見つかっていない。 それどころか、一緒にいられるだけでいい、とさえ思う。
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