「書翰に線を引く」

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「あの男はろくなやつじゃない」  血相を変えた父は初めて私に暴力を振るった。これが唯一、父が一線を越えた瞬間だったと思う。赤く張れた自分の手のひらを見て、これまでの我慢が一気に爆発してしまったらしい。「お父さんだけには言われたくない!」と、ドラマのようなセリフを吐いて、私はボストンバック一つで実家を飛び出した。  一度目の結婚で学んだことは、家庭を維持する厳しさと父の真贋の見極めの正しさだった。何を持って父があの男に贋の烙印を押したのかは定かではない。もしかすると一線を越えてでも構わないと、娘の幸せを願って止めてくれたのだろうか。それでも、一度反発した手前、家に戻ることは出来なかった。恥ずかしさもあったし、あなたは正しかったですと父に言うのが悔しさもあったからだ。  前の旦那は、酒を呑まず、女遊びもしなかった。ちゃんと定職にも着き、遊びに行くこともなく、いつも家にいて、優しい言葉を掛けてくれた。けれど、生活は潤わなかった。将来のことを考えれば考えるほど、不安が胸を渦巻いた。優しさだけでは幸せの輪郭は構築できなかったらしい。
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