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充 ③
「どーも、深海です。いい魚があるので一緒にどうですか?」
モニターにデカデカと映った深海の爽やかな笑顔を見て、俺はまたかと頭に手を当てた。
これはどういうことなのか、いくら考えても答えが出ない。
酔って運んでもらったことがあってから度々会社でも話しかけられるようになり、週末になると深海が遊びに来るようになってしまった。
聞けば泊めてくれたお礼だと言われて、そんなものとっくに、いや最初から必要ないものなのに毎回そう言ってやって来る。
毎週来て暇なのかと聞けば、そうですだから遊んでくださいと、骨をくわえた犬のように尻尾を振ってくるので怒る気も失せてしまった。
だったら外に逃げてしまおうなんて考えても、休みの日に外に出歩く人間ではないので、なぜ俺がわざわざ外へ行かないといけないのかという気持ちになって結局家にいる。
体調が悪いからなんて言って断っても、それなら薬を買ってきますと言って看病でも始めてしまいそうなので、どう断ればいいのか考えるのも疲れてしまった。
ただ後輩が遊びに来て飯を食べるだけ。
そう考えて今日も仕方なくドアを開けた。
「もう昼メシは食べました? よかったら一緒にどうですか?」
のんきに笑いながら玄関ドアから入ってきた深海は、ドカンと床にクーラーボックスを置いた。
「いい魚って…まさか釣ってきたのか?」
「まさか! 俺が釣竿持って海に行くタイプに見えます? すぐそこの魚屋で買ってきたんですよ。魚将っていう、気のいい大将がいるお店です」
「あ…ああ、確かにあるな…角のところに……」
「鮮度がいいって褒めたらやけに気に入ってくれて、このクーラーボックスごとくれました」
まったく理解できない人種というものがこの世には存在する。
どこをどうしたら店主とそこまで仲良くなれるのかまったく分からない。
「魚って言っても…俺はそこまで本格的には……」
「任せてください。俺、地元は漁港のある町の出身なんです。小さい頃から捌くのだけは俺の担当だったんです」
自宅から持参したのか刺身包丁まで持ってきたと言って見せてくれた。
もう、まともな思考ができそうにない。
全て任せることにした。
この家で自分以外の人間がキッチンに立っているのを見るのは初めてだった。
座って大人しく料理を待つなんてまるで子供の頃に戻ったみたいでワクワクすらしてしまった。
「はい、どうぞ。あっ、醤油も刺身用なんで美味いですよ」
魚には詳しくないので名前も鮮度の良さも分からない。白身魚だなということしか分からないまま箸を取った。
「……んっ、美味い。すごい…身がしっかりしていて、脂が乗ってる……うまっ」
「でしょうでしょう! 間違いないって思ったんですよ」
刺身なんてものは店で食べるのが当たり前だと思っていた。もしくはもう盛ってあるものを買って来ることしか知らなかった。
「半分はお茶漬けにしましょう。出し汁もいい感じのができたので美味しいですよ。ワサビを効かせるのが好きなんです」
「まるで店だな、すごい……感動した」
素直な感想を言ったら、カウンター越しに俺を見ながら深海はニヤニヤと嬉しそうに笑っていた。
それにしてもずっと見て来るので、さすがに恥ずかしくなってなんだと言って見返した。
「美味しそうに食べてくれるから…、日置さんて、よく見ているととっても分かりやすい人だなって」
「俺が!?」
何を考えているか分からないと言われることはよくあったが、その逆を言われたことはなかった。
恋人の道彦さえ、分からないから、はっきり言えと怒られていたくらいだ。
ほとんど表情が変わらないのに、どこを読み取られたのか、考えると余計に恥ずかしくなった。
食事に関しては、美味いか不味いかで単純だからだろうと思うことにした。
「……彼氏さんは、料理は作ってくれないんですか?」
「ああ、あいつは男子厨房に入らずな男なんだ」
「なんですかそれ、旧石器時代の方ですか? 男同士で付き合っているのに…」
「言わなかったか、アイツはノンケなんだ。もともと女としか付き合って来なかった。俺だけ男なんだ」
だからってと言いながら、深海は不満そうな顔をした。
「そこの写真を見てみろ、そいつが道彦だ。イケメンだから昔からモテて、女の子達が競うように世話をしていたから、すっかり何もできない男に育ったんだ」
眉間に皺を寄せながら深海は道彦の写真を見て、また気に入らないという顔になった。
「確かに女子が好きそうな王子様みたいな顔していますね。ずいぶん派手な金髪ですけど何している人なんですか?」
「週末はたまにバーで働いているけど、本業は生花アーティストだ」
「へ? いっ…いけばな?」
よくある反応にクスリと笑いながら、他の写真立てを指さした。
そこには道彦の代表作が並んでいた。
道彦は学生時代花屋でバイトをするくらい昔から花が好きだった。
花好きが高じて趣味で生花教室に通い、才能が開花して生花王子なんて呼ばれて雑誌に載るようになった。
一度は就職したが、諦めきれずに本格的に生花を仕事にすることに決めたのだ。
イベントなどに呼ばれることが主な仕事で、国内よりも海外での評価が高く、年に何度も海外のイベントに呼ばれていた。
その話をしたら深海はへぇと興味なさそうに聞いていた。
「……そういえば、俺がこの家に遊びに来るようになって一ヶ月くらいですけど、彼氏さん、帰ってきている気配がないですね」
「ああ……、どれくらいだったかな。もう…半年くらい? 連絡もない」
俺の言葉に深海は信じられないという驚いた顔になった。
それはそうだろう。一般的に考えたら、おかしな話だった。
「どういうことですか? 連絡は送っても帰って来ない? 大丈夫なんですか? 彼は今どこで暮らしているんですか?」
矢継ぎに質問が飛び出してきて、俺は頭をかいた。どこからどう話しても理解してくれそうになかった。
「海外の仕事だと何週間も帰って来ないし、日本にいる間は女の子の家を渡り歩いていると思う。うるさく連絡されるのを嫌うやつなんだ。何度もそういうことがあって、連絡したらよけいに怒らせてしまった。何かあればバーのマスターが連絡してくれるから…、それがないってことは、元気でいるんだと思う」
深海は大口を開けたまま、一つも理解できないという顔で余計に混乱しているように見えた。
「………日置さんはただ待っているんですか? この部屋でひとり、連絡も寄越さない自分勝手な恋人を……」
「そうだね、そういうことになるかな」
深海の様子がどうもおかしいと思ったら、ギリギリと手を強く握り込んでいるのか、拳が震えているように見えた。
同情してくれたのかもしれない。
哀れでバカな男だと……。
「好きだから……ずっと友人だったのに、俺が無理矢理付き合ったようなものだから……」
ドンっと大きな音がした顔を上げると、深海が机を叩いたようだった。
キリリと眉が上がっていて、力強い目をして俺を見ていた。
その真剣な目線に思わずドキッとしてしまい、目が離せなくなった。
「分かりました。もうソイツの話はいいです。これからは日置さんのことを話してください」
「お…俺?」
「そうです。知りたいんです! 日置さんがどんな子供でどんな風に育って、何が好きで、どんなものを見てきたのか」
考えたら今まで俺に興味を持ってくれるような人間はいなかった。
道彦と一緒にいると、誰もが道彦しか見ていないし、道彦のことを知りたがった。
こんな風に真剣に俺を見てくれた人は初めてだった。
「……すごく期待している顔に見えるけど、俺の人生なんてつまらないものだよ」
「つまるつまらないはどうでもいいです! 日置さんのことが知りたいんです!」
一応断りを入れてみたが、簡単に蹴飛ばされてしまった。
まったく予想外で変わった男だと思って、おかしくなって笑ってしまった。
「ほんと…ふふふっ、お前って変わったやつだな。いいよ、何を知りたいの?」
そう言ってカウンターに身を乗り出したら、深海も同じく顔を寄せてきた。
興味を持ってしまったのが最後、美味い魚をおかずに散々俺の話をする羽目になってしまった。
人に話すことなんてほとんどなく、聞かれても面倒だと思うようなことばかりなのに、深海相手だとまったく嫌な気持ちはなかった。
こんなに穏やかな時間を過ごしたのは久しぶりだった。
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