隆聖 ④

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隆聖 ④

 やってしまった……。  大切に育てていくつもりだった。  あの人の心が恋人から離れるまで待つつもりだった。  いつまででも待てると思っていた。  待つという行為がこんなにも苦しいものだなんて思わなかった。  一方的な思いを胸に隠していたが、あの人の瞳に自分が映ったのが見えたら我慢ができなくなってしまった。  俺の気持ちに気がついたあの人は、何でもないと振る舞ってなかったことにしようとしていた。  それが悲しかった。  俺のことを少しでも良いと思ってくれるならチャンスがあるのではないか。  無理矢理引き止めて自分の気持ちをぶつけてしまった。 「くそっ…! 何やってんだよ俺……」  大切にしたいと思ったのに、自ら壊してしまった。  追いかけることもできなかった。  情けなく地面を見つめたまま項垂れた。  守るなんて口ばかり、何もできない自分に腹が立って悔しかった。  海が近いのどかな町で俺は生まれた。  三兄弟の一番下、親も商売をやっていたので、あまり構われることはなく、幼い頃はほとんど祖父母の家で過ごしていた。  兄二人のお下がりが大量にあったので、おもちゃも洋服も新しいものは買ってもらえなかった。  しょっちゅう泣いて自分に注目を集めようとしたが、そうするとよけいに両親も祖父母も冷たくなった。  ならばと、いい子にすると優しくしてもらえることに気がついた。  そこからは兄達の態度を学び、どうすれば怒られないかどうすれば可愛がってもらえるか、そういうことを自然と習得していった。  そうやって大きくなったが、やることのない田舎の町で、兄達は不良グループに入ってしまいどんどん荒れてしまった。  そうなると割りを食うのは俺だった。  両親は兄達のおかげで、学校に度々呼び出されてますます会えなくなるし、不良の兄がいるということで、友人達からも距離を置かれてしまった。  観光客相手に客商売をやっていたので、悪評で続けられなくなり、俺は中三の大事な時期だったのに、半ばで転校することになった。  結局、引越し先でも環境は似たようなものだった。  俺が高校を卒業する頃にはだいぶ大人しくなったが、それまではひどいものだった。  忙しくて会えない両親、家には不良がたまって大騒ぎでろくに勉強もできない。  今思い返しても辛い日々だった。  まーそのおかげもあってか社交性には磨きがかかった。何しろ色んな人種が入り混じっていたから、学校でも家でも、誰とでも上手くやらないと平和を手にすることができなかった。  大学は寮生活だったので、家族と離れて生活してようやく心の安定を得た。  その頃初めての彼女もできて、やっと人生が上向いてきたのを感じた。  しかしその彼女は俗に言うビッチで、実は俺の他にも何人も男がいたことが発覚。  呆気なく別れた後は、めいっぱい体を鍛えて、大学生活はスポーツに燃える日々を送った。  それから他の女の子と付き合いがなかったわけではないが、どうも気持ちが盛り上がらず、相手のことを好きなのかよく分からないまま付き合って別れるを繰り返した。  思えば最初の彼女も本当に好きだったのかよく分からない。  誘われて好きとはこんなものかと思って付いて行っただけで、いなければいなくて良かったし、他の男の存在を知っても大して傷付かなかった。  今までの人生で何かを誰かを本当に欲しいと思うなんてことがなかった。  だから日置は自分にとって初めて大切にしたいと思う人だった。  大切ならもっと大事に育てていくべきだったのに……。 「もっとしっかりしてくれないと困るよ。いつまでも新人じゃないんだからな」  課長のドスのきいた低い声が腹に響いた。  俺は神妙な顔をして、申し訳ございませんと言って頭を下げた。  席に戻ると先輩達がなんだなんだと話しかけてきたので、ドジをやりましたと素直に告白した。  まぁ誰もが通る道だと慰められたが、誰もがこんなミスをするわけではない。  なかなか気持ちが切り替えられなかった。  日置と微妙な別れをしてから何度か連絡をしたが、メッセージは既読にならなかった。  仕事中もぼんやりしてしまい、発注ミス連発。  言い訳のしようがないダメダメな状態に陥っていた。  せめて少しでも顔が見たい。  遠くから様子を見るつもりで日置の部署の前を通ったがいつも座っている席に姿がなかった。  休憩中かもしれない。  もしくは避けられているのか。  結局時間が合わずに姿を見ることができずに一週間経ってしまった。  インターフォンを鳴らすと小さくハイと言う声が聞こえてきた。  顔は見えているはずだ。  ちゃんと出てくれたと、淡い期待が浮かんできてしまった。 「……先週は日置さんの気持ちも考えず、強引に告白したりして申し訳ございませんでした。ちゃんと謝りたくて参りました」  しばらく沈黙が続いた後、小さなため息の音が聞こえてロックが開けられた。  大きな一歩だ。  高い壁を築かれてしまったが少しだけ顔を覗かせることができた。  緊張しながら日置の部屋へ向かった。  面接でもこんなに緊張しなかった。  初対面の相手とでも物怖じせずに話せる自信はある。  それなのに日置の前では今まで培ってきたものが何一つ役に立たない。  武器も持たず裸で戦いに挑むみたいな気持ちだ。  とことんダサくて情けない姿を晒しても、このまま元の関係には戻りたくなかった。  ドアが開けられたら玄関先でも構わず、すぐに頭を下げた。  日置の慌てた顔が目に浮かぶが一瞬でもこの機会を逃したくなかった。 「日置さん! ごめんなさい! 勝手に俺の気持ちを押しつけて…。ゆ…友人でもいいです! 嫌わないでください、側に置いてください! 手なんて出しませんから! どうか……少しだけでも側に……」  沈黙が続いて恐る恐る顔を上げると、日置は困ったような複雑な表情をして頭をかいていた。  俺と目が合うと目尻を下げたまま少し笑って、まぁ中に入れと言ってくれた。  目の前にカップが置かれた。  あまり人が来ることがないというこの家で唯一の客用のカップらしい。  白いシンプルな飾りのないカップだった。  日置が自分の前に置いたのは、恋人と色違いの同じ形のカップだ。  大丈夫、大丈夫、なんとも思わない。  俺は日置にとってずっとお客様であっても構わない。  側にいたいから……。 「この一週間、俺が避けていたのは気づいただろう。きっぱり断るべきだと思ってドアを開けた。……なのに、ハァ……。言っておくが俺の気持ちはずっと道彦に……、深海、お前はもっとちゃんと相応しい相手とまともな恋愛を……」 「恋愛はしてきました。いえ、恋愛と呼べるか分からないものばかり……、初めてなんです。こんなに心から惹かれる人に出会ったのは……。日置さんが寂しい思いをしているのが耐えられない。代わりでもいいんです。日置さんがあの人でないとだめならそれでもいいです。それでもいいから、側にいさせてください!!」 「………バカだなぁ、辛い道を選ぶなんて……。俺は……その道をよく知っているから……ダメだなんて言えないじゃないか」 「ならそれでいいです。日置さんの弱みにつけ込んで一緒にいる男、それでいいんです。だから……嫌わないでください」  日置は目尻に涙を浮かべて、机の上に置かれた手は震えていた。  今すぐ涙を拭き取って手を握って抱きしめたい。  そうしたいけど堪えた。  日置から俺を求めてくれるまで絶対に触れない。 「……分かったよ。でも……他にいいと思う人ができたら、すぐに俺のことは忘れてくれよ。自分の幸せを考えるんだ」 「分かりました」  そう口にしながら、そんな未来は来ないだろうと分かっていた。  今まで他の誰にも抱いたことがない思い。  他のどこを探しても見つかることはない。  たとえ手が届くことがなくとも、俺はいつまでも貴方を思い続ける。  もし貴方を壊すようなものがあれば、全力で守り抜く。  歪な関係。  そんなものがなんだ。  それで貴方が手に入るなら……。  何だって受け入れてみせる。  日置の震える肩を見つめながら、頭の中で日置のことをそっと抱きしめた。  □□□
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