冬の蝶々

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 わざと背中を向けてそう投げつけてくるのにわたしはついふき出して「じゃあまた明日、成生さま」  書斎の扉のドアノブをまわすと、さも不安げに眉根をよせているスーツ姿の父が、わたしをまねき入れるように両腕をひろげる。「香織」  「お父さま、存外用事が早かったのね。おかげでわたし、『山月記』しか読めなかったわ」  にっこりと微笑みながら、しかしわたしの背にはぞくぞくと寒気がはしっている。成生さまが、こっちを見ている。自然に父にエスコートされながら、わたしはあくまでもさりげなく、まだうすく開いている書斎の扉のむこうをうかがう。 依然としてソファに座っている成生さまは、あの眼で射るように父の背中をにらみつけていた。それを確認したとたん、なぜかのどの奥からこみあげてくる笑い。そうして、そのまま扉は閉ざされる。
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