冬の蝶々

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 彼とはじめて逢ったのは、記念図書館と説明されても納得できるくらい広壮な、個人宅の書斎だった。 南側に大きな窓が五つ。重そうなゴブラン織りのカーテンにはふさふさのタッセル。注意深く角度が計算されて、陽は直接、本にあたらないようになっている。残り三方の壁はすべて、天井までつづく書架になっていて、触れたら毒のしみ込んできそうな古い書物が、魔術師に渋々隷従を誓わされてでもいるみたいに、ずらりと順序よくならんでいた。 通奏低音のように響く空調の音を聞きながら、わたしはただ立ち尽くしている。あともうすこしで黄昏を迎えようとしている蜂蜜色の光のなか、まるで、ドルイドの遺跡を探して森に迷い込んだ考古学者みたいに。ようやくまわりをうかがう余裕が出てきて、手の届きそうな範囲の書架に視線をめぐらせると、そこにいたのは中島敦の全集だった。「うわぁ」 思わず声をあげてから、わたしはあわてて口をつぐみ、犯行前の犯罪者のように人の気配をさぐる。そしてちいさく笑ってしまう。「『1984』じゃあるまいし」
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