冬の蝶々

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わたしは答案を握りしめてうつむき、即座に教壇をあとにする。自席に戻れば、忍び寄ってくるのはやっかみとそねみでじめじめしめった陰口。菅野先生にほめられて、喜んじゃってさ。 わたしは人生何千回目かの絶望をこれでもかというくらい噛みしめる。これが喜んでいるように見えるなんて。わたしはこうして毎日、じぶんのなかのなにかを殺され続けているのに。机をにらみつけるようにして、わたしは今この一時を、なんとかやりすごそうとする。 だって、夕方になれば、千年もまえの文章が読める。 崖に垂らされた細いザイルにしがみつくみたいにして、わたしはなんとか五時限目までを乗り切り、とぼとぼと化学室へむかう。屠殺場に引き出される家畜といっしょ。もう、涙だって出やしない。 射しこんでくる薄日にふと窓へ目を遣ると、そろそろ花手毬をつくりかけている幾重もの紫陽花の茂みのたもと、透ける薄い翅を舞姫のように翻し、幾頭もの蝶々が集っている。わたしはガラスに顔を押しあて、たったひとり、だれもいないこのがらんとした寒々しい校舎の中で、その光景に長いこと見入っていた。とたん、瞼をついて流れようとする涙。
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