第26話 幽玄の作り手

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 元雅は音阿弥の露骨な圧迫にもめげず、志を捨てることなく活動を続けたが、巡業先の伊勢安濃津で若干三一才で急死を遂げた。世阿弥をして、「子ながらも類なき達人」、「祖父をも超える堪能」と絶賛された天才は、道の奥義を極め尽くすことなくこの世を去った。  元雅の死から二年後、世阿弥もまた義教の命により佐渡に背流され、観世座は完全に音阿弥のものと成った。元雅の子や孫は観世座に居場所を失い、諸国を流浪して興行を開く旅芸人と成らざるを得なかった。それでも元雅の子孫は、観世流が追い求めた精神世界への探究を怠らず、裏観世として諸国を流浪しながら、民衆操作の術を編み出していった。  裏観世は元雅を始祖とするため、道影で四代目の当主となる。道影が当主となった頃には、諸国の大小名の求めに応じ、ときには民衆の不安を鎮め治世の良に貢献し、またあるときには敵国の民衆を扇動し不安を煽り、世情を悪化させる存在となっていた。  裏社会で生きる流浪の徒と成っていた裏観世一族に、救いの手を差し伸べたのは黒雪だった。当時の観世流は、足利将軍家の衰退と共にその勢いを失い、将来が確かな後見人を探していた。  黒雪の父観世流七世宗節は今川から独立し、織田と結んで勢いのあった徳川家康に目をつけ、一向衆に身を落としていた本多正信が家康の下に帰参するのに従い、まだ幼少の黒雪を送って家康の側に仕えさせた。
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