コンビニ人間・古倉恵子

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山野哲也は、精神科医である。 大学を卒業して、ずっと、精神科医として、働いてきた。 しかし、彼は、精神科医という仕事に、やりがい、を感じては、いなかった。 医者など、誰がやっても、同じだし、かけがえのない仕事ではない。 慣れてしまえば、八百屋と同じである。 医者の中でも、研究者は、かけがえのない仕事で、やりがいを、感じている人も、いるだろう。 しかし、臨床医は、慣れ、で、あり、誰がやっても、同じなのである。 確かに、脳外科医の福島孝徳先生のように、日本の医学界から、アメリカに飛び出して、患者に侵襲の少ない、独自の手術法を考案し、そして独自の、器具を考案し、物凄い数の、脳手術をして、腕を磨き、脳幹に出来た、巨大腫瘍を取る、という技術を身につけて、福島孝徳先生、以外の脳外科医では、手術できない、困難な、患者の手術、を成功させた、という医師も、いないわけではない。福島孝徳先生は、ずば抜けた、才能と努力の人であり、他の医師では、救えない患者を、福島孝徳先生は、救っているのであり、そこまでいくと、やりがい、も、出るだろう。 福島孝徳先生は、かけがえのない医師なのである。 しかし、福島孝徳先生のような、臨床医は、極めて例外的であり、100人に1人、いるか、いないか、なのである。 他の医者は、大同小異であり、相対的に、少し、他の医者より、優れた医者もいるが、基本的には、医者は、誰がやっても同じ、仕事なのである。 彼の母校の、口腔外科の教授も、 「臨床医になるのは、医学者の恥」 とか、 「医者は知的職業じゃない」 とか、 「医者は、高校卒の知識があれば、慣れで、出来る」 とか、言っていたが、彼も、全く心の中で、同じ事を考えていた。 そもそも、そんなことは、彼は、直観力で、医学部に入る前から、わかっていた。 彼は、もっと、自分だけにしか、出来ない、かけがえのない、創造的なことをしたかったのである。 なのに、医学部に入ったのは、彼は、自分が、何をするために、生きているのか、わからなかったからである。 それで、医学部に入ってから、医学部は、6年間もあるし、医学部に、いる間に、自分が本当に、したいことが、見つかるんじゃないか、と思ったのである。 それに、希望をかけた。 そして、医学部3年の時に、それに、気がついた。 それは、「小説を書く」ということだった。 ある時、いきなり、「小説家になろう」という、突拍子もない、インスピレーションが、起こったのである。 それ以来、彼は、小説を、書き続けてきた。 しかし、彼は、自分の、天分の才能が、職業作家として、筆一本で、生きていける、とは、全く、思っていなかった。 しかし、自分には、表現したいものがある。という確信は、もっていた。 「人は、一生、自分の才能、以上の作品も、才能、以下の作品も書けない」 という、格言があるが、それは、彼も感じていた。 しかし、ともかく、彼は、自分の、表現したいものを、精一杯、書いていった。 彼は、聖書の中の、タラントの喩え、が、好きだった。 タラントとは、(=タレント。先天的能力)という意味である。 新約聖書によると。 神は、人間に、(どういう気まぐれでか)、ある人には、10タラント与え、ある人には、5タラント与え、ある人には、3タラント与えた。 人間が、死ぬ時、神は、10タラント与えられて、その10タラントを、使い切った人間を祝福した。 5タラント与えられて、その5タラントを使い切った人間も祝福した。 3タラント与えられて、その3タラントを使い切った人間も祝福した。 しかし、10タラント与えられても、その10タラントを、使わず、怠けていた人間は、祝福せずに、怒った。 つまり、先天的能力の差に関わらず、努力して生きた人間は、神は、すべて祝福する、というのである。 しかし、先天的能力の差に関わらず、努力せず、怠けて人生を過ごした人間に対しては、神は、怒るのである。 彼は自分が与えられたタラントは、どのくらいかは、わからないが、彼も、人間の価値とは、自分に与えられた能力を、どれほど、努力して、使い切ったか、であると思っていた。 なので、文壇で、認められたい、とか、文学賞を獲りたい、と、いう気持ちも、なかった。 たとえ、世に認められなくても、無名のまま、死んでも、それで、一向に構わなかった。 ただ、彼の、生きがいは、「小説を書く」、ことだけだったので、小説が書けなくなると、もう、生ける屍、に等しかった。 普通の人なら、健康だから、いつでも、書ける。 しかし彼は、過敏性腸症候群で、毎日が、便秘と、不眠の戦いだった。 普通の人なら、小説を書く、才能があって、10年も、小説を書いていれば、それなりに、何らかの、文学賞を獲って、多少は、文壇に認められる、ものだが、彼は、病気のため、書きたい作品が頭にあっても、気力が出ずに、思うように書けなかった。 しかし、彼は、病気と闘うことにも、生きる意味を感じていた。 努力しなければ、何も出来ないが、努力すれば、何かが出来るのである。 なので、彼は、週に、2回は、温水プールで、1回に、3時間、泳ぎ、週に、2回は、市民体育館のトレーニング・ルームで、二時間、筋トレをしていた。 それが、彼の健康を維持するのに、一番、良かったからである。 食べることは出来ても、食べると便秘になって、苦しむため、彼は、食べたくても、小食に努めた。 努力することに、人間の価値があると、そういう信念を、彼は、持っていた。 人間は、努力すれば、大抵の事は、出来るようになるものである。 スポーツとか、学問とか、芸術とか、どんな事でも、日本一とか、世界一、とか、では、先天的な、才能、も、関係してくるから、人間は、努力すれば、何でも出来るわけではない。 しかし、一心に努力すれば、超一流ではなくても、何事でも、それなりに、出来るようになるものである。 「人間は、努力すれば、大抵の事は出来るようになる。もし、努力しても達成できないのであれば、それは、本当の努力ではない」 とは、一本足打法の、ホームラン王、の王貞治の言葉であるが、彼も、そのことは、その通りだと、思っていた。 彼は、自分に、努力という、厳しい、試練を課した。そして、それと同時に、他人に対しても、そういう、目で、見ていた。 彼は、フリーターだの、ニートだのを、軽蔑していた。 世の人間は、政治が悪い、だの、IT社会となったから、たの、現代の病だのと、もっともらしいことを、言うが、彼は、そう思っていなかった。 フリーターは、仕事が終われば、遊んでいるから、いつまでも、フリーターなのだ。と、彼は思っていた。 実際、彼は、研修医の時、激しい、幻聴と妄想に苦しめられながらも、宅建の勉強をして、宅建の国家試験に通った患者の主治医になったことも、あった、ので、その思いは、なおさら、であった。 彼は、自炊を全くしなかった。 というか、何も、自分では、料理を作れなかった。 彼は、自分の興味のあることには、とことん、打ち込むが、興味のないことには、極めて、ズボラだった。 なので、彼の食事は、外食か、コンビニ弁当、であった。 彼は、食事は、いつも、近くの、コンビニ(セブンイレブン湘南台店)で、コンビニ弁当を買っていた。 彼の、アパートにも、電子レンジは、あったが、彼は、コンビニ弁当を、電子レンジで、温めるのも、面倒くさかった。 セブンイレブン湘南台店には、いつも、同じ女の店員がいた。 彼が、この町に引っ越してきたのは、千葉の国立下総療養所で、二年間の研修を終え、地元の、民間病院に就職するために、引っ越してきた、10年前である。 それ以来、彼は、精神病院の仕事と、小説創作に、寸暇を惜しんで、生きてきた。 しかるに、彼女は、10年間、ずっと、コンビニ店員をしている。 彼が、引っ越してきた時から、彼女は、コンビニ店員だったので、いつから、始めたのかは、わからない。 しかし、いつから、始めたのにせよ、10年間も、コンビニ店員を、やっている彼女は、彼には、憐れ、を、通り越して、みじめ、に見えた。 「よっぽど、やる気がない人間だな」 と、彼は、彼女を軽蔑した。 今年(平成28年)、モハメド・アリが死んだ。 モハメド・アリ、は、努力と不屈の精神をもった偉大な男だった。 その、モハメド・アリも、 「不可能とは、自らの力で世界を切り開くことを放棄した臆病者の言葉だ。不可能とは、現状維持に甘んじるための言い訳にすぎない」 と、言っている。さらに、 「不可能なんて、あり得ない」 とまで、モハメド・アリは、言っている。が、それは、ちょっと、言い過ぎだ。 人間は、どんなに、努力しても、空中4回転は、出来ない。 体操選手でも、伸身の、空中2回転が、限度だろう。 そもそも、「不可能」とは、「人間が出来ないこと」であるのであるからして、不可能は、どんなに、努力しても、出来るようにならない。 人間は、どんなに努力しても、鳥のように、空を飛ぶことは出来ない。 つまり、モハメド・アリの言う、「不可能」とは、「非常に困難なこと」という、意味である。 ともかく、彼は、彼女を見ると、 「よっぽど、やる気がない人間だな」 「彼女は、自らの力で世界を切り開くことを放棄した臆病者だ」 と、思っていた。 ある日のこと、彼は、医学の文献を、コピーするために、コンビニに行った。 「いらっしゃいませー」 彼女が、マニュアル通りに、挨拶した。 彼は、コンビニにある、コピー機で、医学の文献を、コピーした。 そして、原本と、コピーを持って、コンビニを出てアパートにもどった。 原本と、コピーとを、確認していると、原本(これもA4のコピーなのだが)と、コピーの一番下に、医学の文献とは、関係のない、コピーが、一枚、混ざっていた。 原本を、コピー機の上に、乗せた時、一枚、前の客が、忘れたもので、彼は、その取り忘れた、コピーを一緒に、持ってきて、しまったのだろう。 なにやら、詩のような、文章である。 それには、こう書かれてあった。 文章の最初に、「コンビニ人間」と、書かれてある。 詩のタイトルなのだろう、と、彼は思った。 それには、こう書かれてあった。 36歳未婚女性、古倉恵子。 大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。 これまで彼氏なし。 オープン当初からセブンイレブン湘南台店で働き続け、 変わりゆくメンバーを見送りながら、店長は8人目だ。 日々食べるのはコンビニ食、夢の中でもコンビニのレジを打ち、 清潔なコンビニの風景と「いらっしゃいませ!」の掛け声が、 毎日の安らかな眠りをもたらしてくれる。 仕事も家庭もある同窓生たちからどんなに不思議がられても、 完璧なマニュアルの存在するコンビニこそが、 私を世界の正常な「部品」にしてくれる――。 ある日、いつも、コンビニ弁当を買っていく、客に、 そんなコンビニ的生き方は 「恥ずかしくないのか」とつきつけられるが・・・・。 と、そこまで、書かれてあった。 「ははあ。これは、あの女店員が、書いた、自嘲的な詩だろう」 と、彼は思った。 なぜなら、彼女は、コンビニの制服のプレートに、「古倉」と書いてあったから、彼女の、苗字だけは、知っていた。 それに、あそこは、セブンイレブン湘南台店であり、彼女は、年齢は、知らないが、見た目から、まず30代に、間違いないと思っていたからだ。 彼は、以前に、ある不機嫌な時、おでん、を注文したことがあった。 ちょうど、その時、彼は、ある不機嫌なことで、イラついていた。 おでんの鍋の中では、大根、ゆで卵、白滝、こんにゃく、がんもどき、さつま揚げ、焼きちくわ、ちくわぶ、ロールキャベツ、牛すじ、ごぼう巻、昆布巻、はんぺん、が、グツグツ煮えていた。 彼は、ゆで卵、と、がんもどき、と、さつま揚げ、と、焼きちくわ、と、白滝、を、注文した。 だが、彼女は、白滝、の代わりに、こんにゃく、を入れた。 「ちょっと、あんた。僕は、白滝、を注文したんだよ。こんにゃく、と、間違えてるよ」 と、ツッケンドンに、注意した。 彼女は、 「申し訳ありませんでした」 と、ペコペコ謝って、こんにゃく、を、とり、代わりに、白滝、を入れた。 彼は、フリーターの、コンビニ店員の、こういう、卑屈な態度も嫌いだった。 それで、つい、 「あんたねー。あんたには、覇気というものが、ないんだよ。だから、いつまで経っても、コンビニ店員なんだよ。やる気のないヤツは、いつまでも、フリーターから、抜け出せないんだよ」 と、説教じみた愚痴を言ったことがあった。 彼女は、 「申し訳ありませんでした」 と、また、ペコペコ頭を下げて、謝った。 こういう個人的な、価値観の、注意は、本来、客といえども、する権利はないし、また、店員である、彼女も、謝るスジアイは、無いのだが、彼女は、白滝、と、こんにゃく、を間違えて入れた、負い目があるので、ついでの説教にも、謝ったのだ。 日本のコンビニ店員は、みな、そんなものである。 (そもそも、日本人は、卑屈すぎる。やたらと謝る。その卑屈さが、やる気の無さ、とも通じているんだ) と、彼は、思っていた。 それ以前にも、彼は、コンビニで、何か買う時、彼女が、毎回、 「ただいま、おでん全品70円均一セール中です。いかがでしょうか?」 と、マニュアル通りのことを、言うので、彼は、いい加減、腹が立って、 「うっせーんだよ。お前は、マニュアルに書いてあることしか、言えないのかよ。食いたい時にゃ、言われずとも、買うよ」 と、愚痴を言ったこともあった。 あいつ、大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目なのか。 と、彼は、あきれた。 また、バカにされたのなら、「なにくそ」と、一念発起、奮起して、必死に勉強して、宅建とか、税理士とか、公認会計士とか、中小企業診断士などの、国家資格を取るなり、して、バカにした、相手を、見返してやろう、と、いう覇気もなく、こんな自嘲的な詩を、書くような、彼女の、根性にも、彼は、あきれた。 とことん、やる気のないヤツだな、と思った。 しかし、ともかく、これは、まず、彼女が、置き忘れた物だろうから、彼女に渡そうと、彼は、急いで、コンビニに行った。 「いらっしゃいませー」 彼女は、マニュアル通りの、挨拶した。 彼は、彼女に、 「これ。あなたが、書いたのじゃありませんか。コピー機の上に、置いてありましたよ」 と言って、彼女に、コピーを見せた。 「あっ。そうです。それ私のです。どうも有難うございました」 と、彼女は、言って、それを、受けとった。 彼は、10年前に、ここに引っ越してきて、その時から、彼女は、あのコンビニで働いていたが、いつから、彼女が、働き出したのかは、わからなかった。 しかし、まさか、大学在籍中から、あのコンビニで働き出して、現在まで、18年間も、コンビニで、アルバイトしていたことには、あきれた。 (よっぽど、やる気のないヤツだな) と、彼は、あきれた。 彼は、こういう、やる気のないヤツを見ていると、腹が立ってくるのである。 それで。 「あんたねー。バカにされても、口惜しくないの?バカにされたら、一念発起して、何かに、打ち込むなりしなよ。こんな、自嘲的な、バカげた詩なんて書いていないで。たとえば。小説でも、書いてみなよ。まあ、あんたみたいな、覇気のない人じゃ、芥川賞とかは、絶対、無理だろうけれど。今じゃ、ネットで、自由に小説を発表できるじゃない。僕なんか、才能がないから、文学賞なんか、獲れないとわかっているけど、それでも、一生懸命、小説を書いて、ホームページで発表しているよ」 と、つい、余計な口出しをしてしまった。彼女は、 「は、はい。すみません」 と、卑屈に言った。 こういう個人的な、価値観の、注意は、本来、客である彼には、する権利はないし、彼女も、謝るスジアイは、ないのだが、彼が、彼女の置き忘れた、コピーを、届けてやった、お礼、の気持ちからだろう。彼女は、ついでに、謝った。 「あんたねー。ちょっと、卑屈すぎるよ。少しは、・・・そんな、個人的なことまで、言われるスジアイは、ありません、くらい、の、こと、堂々と、言い返しなさいよ。あんたは、覇気がなさすぎるよ」 と、彼は、彼女の態度に、苛立って、そう言った。 すると、彼女は、また、 「は、はい」 と、へどもど、と謝った。 (全く、仕方がないヤツだな) と、思いながら、彼は、アパートに帰った。 平成28年になった。 去年は、9月の、安保法案の強行採決くらいしか、大きな出来事がなかったが、今年は、やたらと、色々な、事件、出来事、があった。 3月31日。2014年3月から行方不明になっていた埼玉県朝霞市の15歳の少女が、東京都中野区で保護された。埼玉県警察は、未成年者誘拐の疑いで23歳男(寺内樺風)の逮捕状を取り指名手配。翌28日、静岡県内でこの男の身柄を確保し、31日に逮捕した。 4月16日。熊本県にてM7.3の地震が発生。 4月20日。三菱自動車工業は、自社の軽自動車を対象とした燃費試験でデータを不正操作していたことが発覚。 4月29日。野球賭博問題で元プロ野球選手、数名が逮捕される。 5月27日。バラク・オバマアメリカ合衆国大統領が現職のアメリカ大統領として初めて、1945年に米軍によって世界初の原子爆弾による核攻撃を受けた広島市を訪問。広島平和記念公園で献花を行う。 6月3日。モハメド・アリが死去した。 6月15日。東京都の舛添要一知事は、政治資金の私的流用疑惑などを理由にこの日行われた東京都議会の本会議に先立って辞表を議長に提出。その後、都議会において舛添知事の同月21日付での辞任が全会一致で承認された。 6月19日。選挙権年齢を18歳以上とする公職選挙法がこの日施行。 6月15日。イチロー選手が日米通算の4257安打でピートローズ氏の大リーグ記録を超えた。 6月23日。イギリスが、国民投票で、EU離脱。 7月13日。天皇陛下が生前退位の意向を示されていることが報道される。 ○ 世間では、8月5日から始まる、リオデジャネイロオリンピックの話題でもちきりだった。 しかし、彼にとっては、世間の出来事は、他人事だった。 彼にとっては、今年、どのくらい、小説が、書けるか、が、彼の関心事の全てだった。 寒い一月から、三月までは、割と、調子よく、小説が書けた。 しかし、内容的には、自分でも、それほど、自信作といえるような作品では、なかった。 彼は、喘息にせよ、過敏性腸症候群にせよ、副交感神経が、優位になると、体調が悪くなる。 寒い冬の方が、交感神経が優位になるので、彼は、季節としては、夏が好きだが、体調という点では、冬の方が、良かった。 しかし、四月になって、だんだん、昼間は、温かくなりだしたが、夜は寒いままで、気温の日内変動の差が大きくなった。そうなると、自律神経が、ついていけず、体調が悪くなり出した。 体調が、悪くなると、小説も、書けなくなった。 頭が冴えないのだ。 読書しようと思っても、本も読めない。 それで、仕方なく、何とか、頭が冴えるように、市営の温水プール、へ、行ったり、市営の、トレーニング・ルームで、筋トレをした。 それでも、自律神経の失調は治らなかった。 つらい時は、何も出来なくて、死にたいほどの気分になるが、耐えることも、必要だと、彼は、自分に言い聞かせた。 いつか、きっと、体調が良くなってくれる時も、あるだろう、と、無理にでも、思い込もうとした。 4月、5月、6月、と、何も出来なかった。 しかし、7月になると、猛暑になり、昼も夜も、暑くなったが、気温の日内変動がなくなって、体調が良くなり出した。 彼は、また、小説を書き出した。 彼は、テレビを、ほとんど観ない。 テレビなんて、受け身の行為で、テレビばかっり、見ていると、バカになると、彼は思っている。 バラエティー番組なんて、バカバカしくて、つまらないし、テレビドラマも、まだるっこしい。 しかし、ニュースだけは、見ていた。 彼は、内向的な性格だが、内向的といっても、世事のことには、興味があり、ニュースだけは、見ていた。 それと、彼は、ニュースで、女子アナを見るのが、好きだった。 四月から、NHKの、ニュースウォッチ9、の、女子アナは、井上あさひ、さんから、鈴木奈穂子さんに代わった。 報道ステーションの、小川彩佳アナも、古館伊知郎が、やめてから、なぜか、明るくなった。 古館伊知郎が、司会者をやっていた時の、小川彩佳アナは、堅苦しかった。 7月19日(火)のことである。 ニュースで、今年の、芥川賞と直木賞の受賞者が発表された。 そして、受賞者の記者会見が、行われた。 世間では、今年は、誰が、芥川賞や、直木賞の受賞者になるのかに、非常に強い関心を持っている。 世間の人間は、常に、新しいもの、最新の情報、に、興味をもっているからだ。 しかし、彼は違う。 彼は、楽しむために、小説は読まない。 彼が、小説を読むのは、その小説から、何か、自分が書くための、小説のネタが、思いつくのではないか、と思っているからである。なので、そういう視点で、本を選んで読んでいる。 なので、彼は、それほどの読書家ではない。 昔は、小説を多く読むことが、小説を書く、ネタにも、なると思っていた時もあり、そのため、かなりの本を彼は、読んできた。 しかし、小説を長い期間、書いているうちに、小説を読んでも、たいして、自分が小説を書くための、参考にはならない、ということが、わかってきた。 さらに、彼は、読書は、気をつけないと、想像力、も、創造力、も、つぶす、ことをも知っていた。 彼は、最近、野球小説を書きたいと思っている。 当然、(小説ではないが)、野球マンガの代表作である、「巨人の星」、は、読んでいる。 しかし、「巨人の星」、を、読んでしまった後では、野球小説を書きたいと思っても、どうしても、「巨人の星」、を意識してしまって、それに、引っ張られてしまうのである。 つまり、真似、二番煎じ、盗作、である。 しかし、「巨人の星」を、読まないで、自分の頭で、野球小説のストーリーを、考えて、書いてみれば、何らかの、オリジナルな野球小説、が、書けるのである。 そういう、創作の、精神衛生に、彼は、気をつけて、本を選んで、読んでいた。 小説とは、他人の、(想像力、創造力)の産物だから、小説は、気をつけて、読まないと、他人の、想像力、の発見だけに、終わってしまって、自分の、想像力を、つぶしてしまいかねない。 なので、彼は、読書は、フィクションである小説より、世の中の事実を知る、読書の方に、変わっていった。 もっとも、フィクションである小説でも、凄い作品を読むと、その、想像力、というか、発想力、の凄さに、驚くことがあり、よし、自分も、発想力を、根本から変えてみよう、という、ファイトが、起こることも、あるので、小説を、全く、読まなくなったわけではない。 しかし、自分が小説を書くためには、自分が、実生活で、何を体験したか、ということが、大きい。 もちろん、自分が、体験したことが、そのまま、小説には、なりはしない。 しかし、印象に残ることを、体験すると、それが、小さなヒントになり、それから、フィクションの、お話しを、作れることが、多いのだ。 それと、自分の体験ではなく、何か、作品を書こうと思ったら、調べなければならない。 今は、インターネットがあるから、何でも、気軽に調べられる。 それで、彼は、小説を読むより、調べることの方が、多くなった。 7月19日(火)の、ニュースで、今年の、芥川賞と直木賞の受賞者が発表された。 芥川賞の受賞者の記者会見がテレビの画面に写った。 今年の、芥川賞の受賞者は、女の人で、古倉恵子という名前で、受賞した作品は、「コンビニ人間」という、タイトルだった。 その女性の、顔が映し出された時、彼は、天地がひっくり返るかと、思うほど、びっくりした。 あやうく、ショック死するところだった。 なぜなら、受賞者の女性は、彼が、いつも、行っているコンビニの、あの、覇気のない、古倉、だったからだ。 彼は、目を疑って、よく見たが、間違いない。 顔も、声も、体格も、仕草も、態度も、完全に一致している。 しかも、古倉、という名前も、一致しているし、コンビニで働いている、と、自分の口から、言ったので、もう、これは、疑う余地がない。 彼女は、 「コンビニで働いています。これからも、コンビニで働きたいと思っています、が、店長と相談したいと思います」 と、飄々とした口調で言った。 彼は、急いで、ネットで、「コンビニ人間」で、検索してみた。 すると、色々な、感想が出てきた。 だが、どれも、「素晴らしい」と、絶賛する感想だった。 その一部。 古倉恵子さんは大学時代からコンビニでアルバイトを始めて、未だに週2~3日で働いています。 そして、芥川賞を受賞したあとも可能ならばコンビニでのアルバイトを続けたいとの姿勢を見せています。 芥川賞を受賞する前でもすでに小説家として成功しているので、収入に困って働いているとかそういうのではないはず。 だとしたら小説のネタ探しの意味で、人間観察目的にコンビニバイトをしているんじゃないか?と思いきや、 なんでも古倉恵子さんにとってコンビニでのアルバイトはすでに生活の一部となっており、コンビニで真剣に働くことに生き甲斐を感じるんだそうです。 コンビニ人間は、コンビニで働き続け、周囲の人たちからは正常ではないという見方をされながらも生きる36歳で未婚の女性の主人公・古倉恵子の姿を描いた作品です。 世間の常識から外れてしまう行動をとってしまう主人公の古倉恵子は、コンビニ店員というマニュアルが用意された仕事につくことによって、自分が生きる居場所を見つけます。 社会では、しっかりとした職について働いていなければ世間から認められません。 そんな世の中で、”コンビニで働く”という選択をとった主人公の古倉恵子は、その生き方に満足していました。 類型化された生き方を選択させられる世の中の成り立ちや、正常ではないものと社会とのすれ違い、その考えなどについて改めて考えさせられます。 現代社会に生きる人々の距離、人と人との干渉と不干渉との間ともいえる絶妙な感覚で主人公たちの行動が描かれています。 主人公だけが社会的な印象操作とは全く関係のないまっすぐな目で世界を見ており、独自の視点で世界を見ています。 これが人間の本質なのかな。と、感じる部分も多々ありました。 そして、選考者の二人が、「まさに芥川賞に値する傑作」と、絶賛していた。 彼は、今度は、「古倉恵子」で、検索してみた。 すると、「古倉恵子」のWikipedia、が、出てきた。 Wikipedia、には、彼女のプロフィールが出てきた。 それには、こんなことが、書かれていた。 古倉恵子(ふるくら けいこ、1979年8月14日―)は、日本の小説家、エッセイスト。 千葉県印西市出身。二松學舍大学附属柏高等学校、玉川大学文学部芸術学科芸術文化コース卒業。 文学賞 2003年、『授乳』で第46回群像新人文学賞優秀賞受賞。 2009年、『ギンイロノウタ』で第22回三島由紀夫賞候補。 2009年、『ギンイロノウタ』で第31回野間文芸新人賞受賞。 2010年、『星が吸う水』で第23回三島由紀夫賞候補。 2012年、『タダイマトビラ』で第25回三島由紀夫賞候補。 2013年、『しろいろの街の、その骨の体温の』で第26回三島由紀夫賞受賞。 2014年、『殺人出産』で第14回センス・オブ・ジェンダー賞少子化対策特別賞受賞。 2016年、『コンビニ人間』で第155回芥川龍之介賞受賞。 代表作 『ギンイロノウタ』(2008年) 『しろいろの街の、その骨の体温の』(2012年) 『コンビニ人間』(2016年) 主な受賞歴 群像新人文学賞優秀賞(2003年) 野間文芸新人賞(2009年) 三島由紀夫賞(2013年) 芥川龍之介賞(2016年) と、書かれている。 彼は、天地がひっくり返るかと、思うほど、びっくりした。 彼女は、単なる、やる気のない、フリーターだとばかり、思っていたが、蒼蒼たる、輝かしい執筆歴、受賞歴、をもった小説家だったのだ。 人は見かけによらない、とは、まさに、このことだ。 彼も、小説を、苦心して書いているが、彼には、いかなる文学賞なども、絶対、とれない自信というか、確信がある。 それでも、書いているのは、彼にとっては、小説を書くことだけが、生きていること、だから、である。 彼は、文学賞など、別に、欲しいと思わない。 もちろん、獲れるものなら、獲りたいとも思うが、彼は、長く小説を書いてきて、自分の文学的才能というものを、知っているつもり、である。 「作家は一生、同一レベルの作品しか書けない」 この格言は、彼にとって、救いでもあり、あきらめ、でもあった。 しかし、彼は、それで満足している。 彼の書く小説は、恋愛もの、エロチックなもの、ユーモラスなもの、であり、文学的価値は、たいして無いが、読んで、「面白い」と言ってくれる、人も、多いのだ。 スポーツの、水泳で、たとえれば、彼は、オリンピックで、通用するほどの、実力は無いが、基本の技術は、身につけていて、上級者であり、泳いでいれば、楽しいし、つまり、要するに、小説は、アマチュアの、趣味で、書いているのである。 そのことに、彼は、十分、満足している。 彼の書いてきた作品のうち、数作を、これなら、ある程度、売れそうだから、単行本で、商業出版しても、いいよ、と、言ってくれる、出版社があれば、もう、それで、御の字、なのである。 しかし、レベルは、高くなくても、また、世間で認められる作家にならなくても、そんなことは、彼には、どうでもいいことであった。 小説を書くことが、彼の生きがい、の全て、なのである。 だから、彼は、頭が冴えなくなったり、小説のネタが、思いつかなくなって、小説が書けなくなることの方が、文学賞を獲れないことより、はるかに、苦痛なのである。 もちろん、彼も、レベルの高い文学賞を、獲って、職業作家として、筆一本で、膨大な、量の本を出版している、作家を、うらやましいとは思う。 し、また、尊敬する。 彼は、まず、彼らプロ作家にまでは、どんなに、頑張っても、量においても、質においても、なれないだろうとは、思っているが、彼は、最初から、あきらめてはいない。 彼らを、思うと、彼も、頑張って、彼らに、負けないくらいに、頑張ろう、という、ファイトが起こるのである。 ただ、量が多ければ、いいというわけでもなく、仕事として、連載で、仕方なく書いている、面白くない、小説まで、評価しているわけではない。 そもそも、小説なんて、芸術であり、個性の世界であり、どの作品が、どの作品より、価値が、上とか下とか、絶対的に、いうことは、出来ない。 たとえ、レベルは高くなくても、また、アマチュアであっても、彼の書く小説は、彼にしか、書けない小説なのだ。 彼の小説創作観は、そんなものである。 ただ、彼は、芥川賞を獲るほどの、作家を、神様のように、尊敬していた。 もちろん嫉妬もしていたが。 それは、彼が、小説を書くことにのみ、価値を感じているのだから、当然のことである。 野球が、好きで得意な少年が、一流のプロ野球選手を、神様のように、尊敬するのと同じ理屈である。 文学的に価値のある作品を、書けるようになるには、努力だけでは、出来ない。 天性の才能というものが必要である。 しかし、天性の才能が、あれば、小説は、簡単に書けるか、といえば、書けない。 それは、彼自身が、昔から、小説を書いてきて、痛感していることである。 小説を書くには、小説や本をよく読み、世間の動向をよく観察し、絶えず、小説の題材を、日常生活の中で、根気よく、探しつづける情熱を持ち続け、インスピレーションが、降臨してくるのを、我慢強く待ちつづけ、インスピレーションが、起こったら、ストーリーの構想を、練り、必要な情報を取材し、最も適切な言葉を選び、美しい、滑らかな、文章を組み立て、呻吟して、ストーリーを、考え、そして、書いた後も、推敲し、最後の一行まで、言葉にしても、文章にしても、ストーリーにしても、一点の矛盾もない、作品に、仕上げなくてはならない。 それには、大変な根気と、情熱の持続と、頭の酷使が必要なのである。 そして、そういう、厳しい、難しい、小説という物を、作り上げようと、決断したのは、その人の、意志であり、努力なのである。 なので、彼は、芥川賞を獲るほどの、作家を、神様のように、尊敬していた。 しかも、彼女は、2003年に、『授乳』という作品で、群像新人文学賞優秀賞を受賞している。 なので、彼女は、10年、以上、小説を書き続けてきたのだ。 さらに、最初に書いて、投稿した小説が、いきなり、文学賞を受賞する、などという、ことは、まず、ない。 なので、彼女は、それより、もっと、ずっと以前から、小説を書いているはずだ。 そして、2003年に、文学賞を獲ってからも、その後も、小説を書き続け、 2009年に、『ギンイロノウタ』で第31回野間文芸新人賞を受賞し、 2010年に、『星が吸う水』で第23回三島由紀夫賞候補となり、 2012年に、『タダイマトビラ』で第25回三島由紀夫賞候補となり、 2013年に、『しろいろの街の、その骨の体温の』で第26回三島由紀夫賞を受賞し、 2014年に、『殺人出産』で第14回センス・オブ・ジェンダー賞少子化対策特別賞を受賞し、2016年に、『コンビニ人間』で第155回芥川賞を受賞したのだ。 さらに、文学賞候補や、文学賞受賞とならなかった、小説も、間違いなく、たくさん、書いているだろう。 彼女は、小説創作一筋に、努力に努力を重ねて、生きてきた、もの凄い人間なのだ。 彼の、彼女に対する態度は、180°変わってしまった。 彼は、今まで、彼女を、やる気も、覇気もない、フリーターだと思って、見下して、さんざん、イヤミを言ってきたのだ。 「あんたねー。あんたには、覇気というものが、ないんだよ。だから、いつまで経っても、コンビニ店員なんだよ。やる気のないヤツは、いつまでも、フリーターから、抜け出せないだよ」 とか、 「あんたねー。バカにされても、口惜しくないの?バカにされたら、一念発起して、何かに、打ち込むなりしなよ。こんな、自嘲的な、バカげた詩なんて書いていないで。たとえば。小説でも、書いてみなよ。まあ、あんたみたいな、覇気のない人じゃ、芥川賞とかは、絶対、無理だろうけれど。今じゃ、ネットで、自由に小説を発表できるじゃないの。僕なんか、才能がないから、文学賞なんか、獲れないとわかっているけど、それでも、一生懸命、小説を書いて、ネットで発表しているよ」 とか、 「あんたねー。ちょっと、卑屈すぎるよ。少しは、・・・そんな、個人的なことまで、言われるスジアイは、ありません、くらい、の、こと、堂々と、言い返しなさいよ。あんたは、覇気がなさすぎるよ」 とか、さんざん、バカにしてきたのだ。 彼は、「うぎゃー」、と、叫び、恥ずかしさに、床の上をゴロゴロと、転げまわった。 まさに、釈迦に説法である。 彼も、2003年、以前、から、小説を書き続けてきた。 しかし、彼の小説創作歴は、3回だけ、小さな文学賞に、投稿して、一次予選も、通らなかったのと、2001年に、「女生徒、カチカチ山と十六の短編」という、単行本を自費出版しただけであった。 彼にとっては、群像新人文学賞、だの、野間文芸新人賞、たの、三島由紀夫賞、だの、芥川賞、たのは、はるか、雲の上の、上の、一生、努力しても、到達できない、別次元のことだった。 以前、コピーにあった、詩みたいな彼女の文章の最後の、 「ある日、いつも、コンビニ弁当を買っていく、客に、 そんなコンビニ的生き方は 「恥ずかしくないのか」とつきつけられるが・・・・。」 とは、間違いなく、彼のことだろう。 「もう、彼女に会わす顔がない。彼女は、芥川賞を獲っても、コンビニで、働きたい、と言っていた。ならば、もう、あのコンビニには、絶対、行くまい」 と、思い決めた。 しかし彼は、自炊が出来ない。 なので、食事は、コンビニ弁当を買う、しかないのである。 彼も、食事は、自炊が全く出来なくて、コンビニ弁当に、頼り切っているので、そして、コンビニがなくなると、生きて行けなくなるので、彼も、「コンビニ的人間」と、いえるかもしれない。 彼は、芥川賞受賞作家をバカにしてきたので、もう、彼女のいる、セブンイレブン湘南台店には、恥ずかしくて、行くことは出来なくなってしまった。 しかし、彼にとって、コンビニ弁当は、絶対に必要である。 なので、アパートに、一番、近い、彼女の働いている、セブンイレブン湘南台店は、行くのをやめにして、少し、遠い、ローソンで、コンビニ弁当を買うことにした。 しかし、ローソンの、コンビニ弁当には、彼の欲しい、369円の、幕の内弁当がなかった。 なので、ローソンの、不本意な、コンビニ弁当を、買って、我慢することにした。 翌日になった。 7月20日(水)である。 彼は、急いで、湘南台駅の駅前の、文華堂湘南台店に行ってみた。 「コンビニ人間」は、もちろんのこと、彼女の、著書の本を、出来るだけ、手に入れて、読んでみたかったからである。 「コンビニ人間」、は、当然、平積みで、何冊も、積んであった。 昔は、湘南台駅の西口には、五階建ての、大きな三省堂書店があったが、出版不況のため、とっくの昔に、なくなってしまった。 それ以外でも、近隣の、書店は、どんどん、閉鎖していった。 文華堂湘南台店は、規模が小さく、彼女の本では、「コンビニ人間」と、講談社文庫の、「殺人出産」しか、置いてなかった。 彼は、その二冊を買った。 そして、アパートに帰って、さっそく、「コンビニ人間」を、読み出した。 「コンビニ人間」は、素晴らしかった。 特に、「コンビニ人間」の、P54に、書いてある、 「人間は、皆、変なものには、土足で踏み入って、その原因を解明する権利があると思っている」 という、一文と、P115に、書いてある、 「普通の人間っていうのはね、普通じゃない人間を裁判するのが趣味なんですよ」 という、一文に、作者の強烈な、人間批判があった。 その後、講談社文庫の、「殺人出産」を、読んでみた。 講談社文庫の、「殺人出産」は、表題が、「殺人出産」、であるが、内容は、「殺人出産」、「トリプル」、「清潔な出産」、「余命」、の四作の短編集だった。 というか、「殺人出産」、は、119ページと、一番、長く、本の半分以上を占めていて、ついでに、他の、三作も、収録してある、というものだった。 彼女は、「コンビニ人間」、以外では、どんな作品を、書くのか、知りたくて、真っ先に、一番、短い、「余命」、という小説を、読んだ。文庫本で、たった、4枚、という、短い、短編、だったが、これが、怖い小説だった。 自分が、生き埋めになって、死ぬ、という内容の小説だった。 記者会見では、あんなに、おとなしそうな人が、こんな、怖い小説を、書くのかと、彼女の、精神がわからなくなった。 次に、彼は、「清潔な出産」、を読み、「トリプル」、を読んだ。 「殺人出産」、は、119と、長く、怖そうだったから、後で読もうと思ったのである。 「清潔な出産」は、子供は、欲しいが、セックスは、したくない夫婦が、セックスをしないで、子供を産む、という、小説だった。 これには、感心させられた。 人間が、生まれてくるためには、男と女が、セックスをしなくてはならない。 しかし、人間が生まれてくる、ということと、性行為とは、ちょっと、考えれば、全然、別の問題だ。 「トリプル」は、の男女の関係、は、男と女の、二人一組、という、常識、に反抗する小説だった。 どの作品も、世間の常識に、反抗するような、小説ばかりだった。 あの、おとなしそうな、顔をした、コンビニ店員が、こんな、小説を書いていることに、彼は驚いた。 「殺人出産」は、怖そうだった、し、もう、夜、遅くになっていたので、読まなかった。 その日の夜、彼は、彼女が、こわくなって、なかなか寝つけなかった。 しかし、いつものように、睡眠薬を飲んで、You-Tubeで、無理して、明るい、健全な、「ジャッキー・チェンの、コメディーカンフー映画」を、少し見た。 そうしているうちに、何とか、眠れた。 しかし、夜中に目を覚ましてしまった。 腹が空いていたので、何か食べたくなって、彼は、勇気を出して、おそるおそる、コンビニに、行ってみた。 「こんばんはー」 と、言って、僕は、コンビニに入った。 「いらっしゃいませー」 彼女がいた。 彼女は、いつもの、明るい口調で、ニコッ、と、笑って、挨拶した。 彼は、少し、ほっとした。 「あ、あの。芥川賞の受賞、おめでとうございます。テレビの記者会見、見ました。今まで、失礼な事を言ってしまって、申し訳ありませんでした」 と、言って、彼は、深く頭を下げた。 「いえ。いいんです。気にしてませんから」 と、彼女は言った。 彼は、彼女に許されて、ほっとした。 彼は、恥ずかしくなって、何を買おうかと、彼女と、少し離れて、コンビニの中の、食べ物を、探した。 彼は、カップラーメンと、ポテトチップスと、野菜ジュースを、手にとって、カゴに入れた。 そして、急いで、レジに持っていこうと、顔を上げた。 すると。コンビニの、ガラスから、彼の後ろから、彼女が、彼に、近づいて来るのが見えた。 何をする気だろう、と、彼は、戸惑った。 「あっ」 彼が、危機に気づいた時には、もう、遅かった。 彼女は、「えいっ」、と、駆け声をかけて、背中に隠し持っていた、スコップを、振り上げて、思い切り、彼の頭に振り下ろした。 ・・・・・・・・・・・ 気がつくと、彼は、横になっていた。 (ここは、一体、どこなのだろう?) 全身に、ひんやりと、土の、冷たさ、が、伝わってきた。 彼は、手と足を、動かそうと、してみた。 しかし、駄目だった。 手は、縄で、後ろ手に縛られ、足首も、縄で、カッチリと、縛られていた、からだ。 そこは、ちょうど、彼の体が、入るくらいの大きさに、地面に、長方形に、くり抜かれるように、掘られた、穴の中だと、彼は気づいた。 上を、見上げると、古倉恵子さんが、彼を、じっと、彼を、眺めていた。 「あっ。古倉さん。ここは、どこですか。一体、何をしようというのですか?」 彼は、焦って聞いた。 彼女は、小さな微笑を頬に、浮かべた。 「ふふふ。ここは、コンビニの裏の雑木林よ」 彼女は、言った。 「こんな、土葬の墓のような、所に、僕を入れて、どうしようと、いうのですか?」 彼は、声を震わせて、聞いた。 「あなたは、ここで、生き埋めになって、死ぬのよ」 彼女は、薄ら笑いを、浮かべながら、淡々と、言った。 「な、何で、そんなことをするんですか?」 彼は、焦って聞いた。 「あなたは、コンビニ店員を、バカにしたでしょ。私には、それが、許せないの」 「ご、こめんなさい」 「あなた。なぜ、私が、作家的位置を確立しているのに、コンビニ店員をしているのか、わかる?」 彼女が聞いた。 「そ、それは、あなたにとって、コンビニで、働くのが、生き甲斐だから、でしょう?記者会見でも、そう言っていた、じゃないですか」 彼が言った。 「ふふふ。ちがうわ。あれは、世間を欺くためのウソよ」 彼女が言った。 「で、では。何が理由ですか?」 彼が聞いた。 「ふふふ。私。小説で、人間を殺す場面を書くのが大好きなの。そして、人間が死んでいく場面を見るのも、好きなの」 「そ、そんな、こと。く、狂っている」 彼は、ゾッと、全身から、冷や汗が出た。 「ふふふ。このコンビニの、裏の雑木林の中には、18人の死体が埋まっているのよ。みな、コンビニ店員を、バカにした人間だわ。あなたは、19人目ね。梶井基次郎の短編に、(桜の樹の下には)、というのがあるでしょ。桜の樹の下には屍体が埋まっているのよ。人間の屍体を肥やしにしているから、桜は美しいのよ。あなたも、桜の樹の、肥やし、に、なりなさい」 そう言うや、彼女は、スコップで、土を彼の入っている、穴の中に、土を入れ始めた。 そういえば、コンビニの裏は、桜の樹だった。 そういえば、この近辺で、一年に一人くらいの割り合いで、失踪したまま、行方がわからなくなっている事件が起こっているのだ。 それは、警察で調べても、その行方は、まだ、わかっていない未解決事件だった。 彼女の言うことは、辻褄が合っている。 彼は、ぞっとした。 「古倉様ー。お許し下さいー。もう、コンビニ店員をバカにしたりしませんー」 彼は、必死で、叫んだ。 「ふふふ。人間が死ぬ時の、悪あがき、の姿、を、見るのって、最高の快感だわ」 そう言って、彼女は、どんどん、スコップで、土を、彼の上に、乗せていった。 ・・・・・・・・・・・ 「うわー」 彼は、バッと、飛び起きた。 ハアハアハアハア。 全身が、汗、ぐっしょり、だった。 しばし、彼は、速くなった脈拍が、下がるのを、待った。 時計を見ると、午前2時だった。 周りを見ると、そこは、彼のアパートで、床の中だった。 (はあ。夢だったのか。よかった。しかし、怖かったな) そう呟いて、彼は、また、布団の上に横になった。 翌日になった。 7月21日(木)である。 彼は、藤沢駅前にある、藤沢有隣堂に、車で行った。 湘南台から、藤沢駅までは、小田急江ノ島線で、急行で、7分である。 各駅停車では、湘南台から、六会日大前、善行、藤沢本町、と三駅である。 距離は、7kmである。 彼は、藤沢には、車で行く。 車の方が、疲れないからである。 時間も、電車と、大体、同じで、7分、程度で行ける。 小田急線の、東を、主幹道路の国道467号線が、小田急線に、沿うように、走っているので、ほとんど、直線的に行けるから、楽なのである。 彼は、藤沢駅の駅前があまり好きではなかった。 ゴチャゴチャしていて、気分が落ち着かないからである。 しかし、藤沢には、ビッグカメラがあって、家電製品は、そこで買っていた。 そして、有隣堂は、駅前ビルの中で、4フロアーに、渡っていて、医学書の専門書も、あるほど、充実していた。 彼は、欲しい本があると、在庫があるか、どうか、を電話で、聞いてから、行って買っていた。 有隣堂では、古倉恵子著作の本では、「授乳」と、「マウス」と、「ギンイロノウタ」と、「しろいろの街と、その骨の体温と」と、「消滅世界」と、「タダイマトビラ」が、あった。 これで、ほとんど、彼女の出版してある本は、手に入れることが、出来た。 彼は、アパートにもどって、「マウス」から、読み出した。 「余命」ですら、怖い小説なのだから、「殺人出産」は、もっと、怖い小説だろうと、思って、彼は、読むのを、躊躇していたのである。 「マウス」は、(臆病者。弱いもの)という意味であり、社会的弱者を、いじめるな、という世間に対する、主張を彼は、感じた。 その日は、読書に、没頭した。 夜寝るまで。 夜12時になって、彼は、床に就いた。 そして、昨日と同じように、You-Tube、で、ジャッキー・チェンのコメディー・カンフーなどの、明るい、健全な、動画を見て寝た。 しかし、夜中に目を覚ましてしまった。 時計を見ると、午前2時である。 彼は、昨夜の夢の、コンビニの裏の、桜の樹に、本当に、屍体が埋まっているのか、どうか、ということが、気になり出した。 その想念は、強迫観念のように、時間の経過と、ともに、どんどん、大きくなり、ついに、彼は、耐えきれなくなって、懐中電灯を持って、コンビニの裏の雑木林に行ってみた。 そして、桜の樹の近くを、懐中電灯で、照らして見ながら、歩いた。 (この地面の下に、彼女の埋めた屍体が、本当に、あるのだろうか?) と、思いながら。 と、その時である。 「うわー」 彼は叫び声を上げた。 地面に乗せた、足が、突然、ふっと、拍子抜けしてしまったからだ。 落とし穴だった。 深さは、3mくらいだろうか。 よじ登ることが、出来なかった。 落ちた時に、左の足首を挫いてしまったからだ。 上を見上げると、古倉恵子さんが、地中の彼を、じっと見ていた。 「ふふふ。あなたも、懲りない人ね。昨日、埋めたはずなのに、どうやって、出てきたの?今度は、絶対、出て来れないように、してあげるわ」 彼女は、そう言って、彼の頭の上から、バケツを、逆さにした。 ザー、と、何か、が、彼の頭の上に、かかってきた。 「な、何ですか。これは?」 彼は、聞いた。 「ふふふ。速乾性のセメントよ。セメントで、固めてしまえば、もう出て来れないでしょう」 そう言って、彼女は、次から次へと、セメントを、穴の中に、流し込んでいった。 「や、やめて下さい」 彼は、絶叫した。 しかし、彼女は、やめない。 「ダメよ。あなたは、コンビニ店員を、バカにしたでしょ。私には、それが、許せないの」 「ご、こめんなさい。古倉様―。お許し下さいー」 しかし、彼女は、薄ら笑いを浮かべながら、セメントを流し入れつづけた。 ・・・・・・・・・・・・・ 「うわー」 彼は、バッと、飛び起きた。 ハアハアハアハア。 彼は、全身が、汗、ぐっしょり、だった。 時計を見ると、午前2時だった。 しばし、彼は、速くなった脈拍が、下がるのを、待った。 周りを見ると、そこは、彼のアパートで、床の中だった。 (はあ。また夢だったのか。よかった。しかし、怖かったな。しかし、二日も続けて、こんな怖い夢を見るとは・・・) 翌日になった。 7月22日(金)である。 その日も、彼は、古倉さんの小説を読んだ。 彼は、古倉さんの小説を読むと、また悪夢を見そうで、怖かったのだが、読まないでいると、ますます、怖くなりそうで、読まずにいられなかった。 悪夢で、見た、コンビニ店、の、裏、の土の中に、埋められる、というのも、「余命」という、土の中に埋められて死ぬ、という小説を読んだことが、きっと、影響しているのだろう、と、彼は思った。 いや、その可能性は、大きいだろう。 「余命」ですら、怖い小説なのだから、「殺人出産」、は、もっと、怖い小説だろうと、思って、彼は、読むのを、躊躇していたのである。 彼女は、スティーブンソンの、「ジキル博士とハイド氏」、のような二重人格の人なのかも、しれないと、も思った。 しかし、読まないでいると、増々、怖い小説、に思えてきて、彼は、勇気を持って、読んでみることにした。 怖いものを、見ないでいると、想像で、実際とは、違って、過剰に、怖いもの、と、思って、それに、脅かされる、ということは、結構、あることである。 それに、彼は、もっと、彼女という人間を、知りたくなってもいた。 それで、「殺人出産」を読み始めた。 「10人産んだら一人殺してもいい」、という殺人出産システムが導入された、現代から、100年後の世界を描いた小説だった。 小説は、怖くもあったが、彼は、彼女の、度胸に、圧倒された。 こんな、内容の小説を、書いたら、文壇から、非難されるのが、彼女は、怖くないのだろうか。 石原慎太郎は、「完全な遊戯」という、問題作の短編小説を書いて、文壇から、不謹慎だと、滅茶苦茶に、批判された。 そういうことは、いくらでもある。 文壇の目は、厳しいのである。 しかし、彼女の、世間の、常識、や、既成の価値観に、真っ向から、挑む、勇気に、彼は圧倒された。 記者会見や、ネットでの顔写真からは、似ても似つかわない、度胸のある人だと、感心させられた。 「10人産んだら一人殺してもいい」、という殺人出産システムの、未来社会というのは、きっと、彼が、コンビニ店員である、古倉さんを、バカにしたから、彼を、殺したいために、思いついたんだ、と、思った。 読み終わって、彼は、怖くなってしまった。 その夜、彼は、床に就いた。 (もう、今日は、怖い夢を見ませんように) と、祈りながら。 ついでに、彼は、手を組んで、久しぶりに、「主の祈り」をした。 「天にまします我らの父よ。願わくば御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪ある者を我らが許すごとく我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに会わせず悪より救い出したまえ。国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり。アーメン」 主の祈り、をするのは、10年、ぶりくらいだった。 彼は、特に、「我らを試みに会わせず悪より救い出したまえ」、のところに、力を込めた。 「我らを試みに会わせず」、とは、「こわい夢をみるのが神の試み」、のように思われたからである。しかし、それに続く、「悪より救い出したまえ」、は、古倉恵子さん、を、「悪」、と言っているようで、それに、申し訳なさを感じた。 しかし、彼は、枕元には、しっかりと、十字架と、聖書と、ニンニク、を置いておいた。 彼は、You-tube で、つとめて、明るい、動画を見た。 無理に、笑おうとしてみたが、笑えなかった。 しかし、やがて、睡魔が襲ってきて、彼は、眠りに就いた。 幸い、その日は、夜中に、起きることが、なかった。 チュン、チュンという、雀のさえずりと、窓から、入ってくる日の光によって、目が覚めた。 時計を見ると、午前6時だった。 (はあ。よかった) と、彼は、安心した。 その時である。 玄関の戸が、すー、と開いた。 彼は、時々、玄関の鍵をかけ忘れてしまうことがある。 昨日は、かけ忘れてしまったのだろう。 (こんな早朝に一体、誰だろう) 彼は、不思議に思った。 髪の長い、女の人が入って来た。 その顔を見た時、彼の全身の体毛は、逆立った。 入って来たのは、なんと、古倉恵子さん、だったからだ。 しかも、彼女は、靴を脱がず、スニーカーを履いたまま、土足で入って来た。 彼女が、彼のアパートに、入って来ることは、不思議ではない。 なぜなら、彼のアパートと、コンビニは、とても近く、(だから、古倉さんのいる、コンビニを利用しているのだが)、以前、彼が、アパートから出てきたところを、仕事が終わって、帰る途中の、古倉さんと、会ってしまったことが、あるからだ。 「あ、あの。ふ、古倉さん。一体、何の用ですか?」 彼は、咄嗟に、立ち上がろうとした。 しかし、体が、ビクとも動かない。 金縛りである。 以前にも、彼は、金縛り、にあったことがあった。 彼女は、腰を降ろして、彼の枕元に座り込んだ。 「あ、あの。古倉さん。一体、何の用でしょうか。それに、いくらなんでも、土足で、他人の家に部屋に入り込む、というのは、非常識なのではないでしょうか?」 「何を言っているの。あなたこそ、私の心の中に、土足で入り込んだじゃない。偉そうなことを言う資格があなたに、あるの?」 「そ、それは、心から謝ります。申し訳ありませんでした」 「謝ってすむことじゃないわ。よく、私が、深く掘っておいた、落とし穴から、出て来れたわね。しかも、速乾性のセメントをかけておいたのに」 「・・・・」 「私が来たのはね。あなたは、生き埋めにしようとしても、ゴキブリのように、しぶとく、脱出してくるから。こうなったら、もう私の方から、出向いて、あなたを、私の手で、確実に殺すしかないと、思ったからなの。あなたが、確実に死んだのを見届けてから、コンビニの裏の、桜の樹の下に埋めることにしたの」 「お、お許し下さい。古倉様―」 彼は、叫んだ。 しかし、彼女は、何も答えない。 「古倉様―。おわびとして、僕は、あなた様の奴隷になりますー」 「奴隷って。あなた、マゾなの?」 「は、はい。そうです」 「私。マゾの心理って、よくわからないの。でも、友達に聞いたところによると、男の、マゾって、崇拝する女性に、完全に服従することの喜び、なんでしょ。そして、マゾの極致って、崇拝する女性に殺されることに、最高の喜びを感じるんでしょ。なら、あなたは、殺されても、幸せなんじゃないの?」 「あ、あの。僕は、そこまで、本格的なマゾじゃないんです」 「じゃあ。いっそ、本格的なマゾになりきりなさいよ」 「そ、そんな・・・」 彼は、まだ、死にたくなかった。 もっともっと、生きて、小説を書きたかったからだ。 「古倉様。僕は、マゾは、今日限り、やめます。僕は、これから、清く、正しく、明るく、生きます。ですから、お許し下さいー」 「ふふふ。何、言ってるの。人間の、生まれつきの、感性や、性格なんて、一日で、変わったりなんかは、しないわ」 彼女には、彼の哀願など、聞く素振りなど全くなかった。 「今は、金縛りになっていて、動けないわね。私に、見つめられた男は、みんな、金縛りになってしまうのよ。なぜかは、わからないけれど。でも、金縛りだけじゃ、心配だから、ちゃんと、縛っておきましょうね」 そう言って、彼女は、金縛りで、動けない彼の、両手を後ろに廻し、背中で、手首を重ね合せて、縄で縛った。 そして、左右の足首も、カッチリと、縛った。 「ふふふ。これで、もう、逃げられないわね」 彼女は、そう言うと、小さな裁縫セットを取り出して、一本の、縫い針を取り出した。 「ふふふ。私。小説で、人間を殺す場面を書くのが大好きなの。そして、人間が死んでいく場面を見るのも、好きなの。あなたは、体中を、針で刺して、殺してあげるわ」 彼は、背筋が、ゾッとした。 「や、やめて下さい。そんなことー」 彼は、絶叫した。 「じゃあ、まず、右の目を刺してみましょうね」 そう言って、彼女は、彼の、右目の、角膜に、垂直に、縫い針を立てた。 針が、彼の、右目の角膜に、近づいてきた。 ・・・・・・・・・・・・・ 「うわー」 彼は、バッと、飛び起きた。 ハアハアハアハア。 彼は、全身が、汗、ぐっしょり、だった。 時計を見ると、午前2時だった。 しばし、彼は、速くなった脈拍が、下がるのを、待った。 周りを見ると、そこは、彼のアパートで、床の中だった。 (はあ。夢だったのか。よかった。怖かったな。しかし、三日も続けて、こんな怖い夢を見るとは・・・) 翌日になった。 7月23日(土)である。 彼は、もう、あのコンビニや、古倉さんのことは、あまり考えないようにしようと思った。 ちょっと、古倉恵子さんの小説を読むと、怖くなってしまう、からである。 (あの人は、あの人で、独特の感性を持っている) 子供の頃から、無口で、変わり者で、人と違う、感じ方、考え方、を、する、という点では、彼と、共通する性格もある。 しかし、彼の、書きたい小説は、さわやかな恋愛小説である。 そして、彼は、後味の悪い小説は、書けなかったし、書きたくなかった。 しかし彼の書く小説は、ハッピーエンドでは、必ずしもない。 彼は、結末をつけるのが、嫌いで、小説の、ラストこそが、小説の、始まりで、その後、どうなるかは、読者の想像にまかせたい、というのが、彼の創作スタンスだった。 しかし、彼女の、小説は、いささか、怖い。 しかし、やはり、彼女の小説は、読まずには、いられなかった。 それで、彼は、おそるおそる、「タダイマトビラ」という小説を読んでみた。 自分が産んだ、血のつながっている、本当の、自分の子ども、を愛せないという母親、のもとで育った少女の話だった。 少女は、おそらく古倉さん自身であろう。 彼女は、母親の愛情を受けずに、育ったのではないか、と、彼は思った。 彼女は、小説の創作に、於いては、自分の、思い、を極限まで、表現しようと、追求している。 それが、文学的価値として、評価されているのだ。 いったん、読み始めると、つい、小説に、引きずり込まれて、読んだ。 しかし彼女の小説を読むと、怖くなってしまう。 それで。 彼は、読書の途中に、明るい気分になろう、テレビのスイッチを入れてみた。 彼は、テレビは、ほとんど見ない。 バラエティー番組は、もちろんのこと、テレビドラマも、見なかった。 テレビドラマは、受け身で、まだるっこしい、し、バラエティー番組は、ギャーギャー、うるさいだけだったからだ。 彼は、テレビは、ニュースしか見なかった。 それと、NHKの、「クローズアップ現代」では、時々、いいのを、やっているので、見ることもあった。その程度である。 彼は、テレビのチャンネルを、リモコンで、切り替えていった。 TBSで、「水戸黄門」を、やっていた。 「水戸黄門」は、同じパターンで、単純に楽しめて、明るい気分になれるかもしれないと、思った。 「水戸黄門」の、ストーリーは、いつものパターンだった。 極悪非道の悪代官が、弱い、町人の娘を、罠にはめて、いじめる。 水戸黄門と、角さん、助さん、が現れて、いじめられている、小町娘の言い分を聞いてやる。 悪代官が、水戸黄門に出会うが、悪代官は、水戸黄門を、偉い人だとは、知らず、老いぼれジジイと、見なしているので、バカにする。 忍術を身につけている風車の弥七、が、悪代官の、悪事の決定的な証拠をつかむ。 水戸黄門と、角さん、助さん、が、悪代官の、代官所に、乗り込む。 しかし、まだ、悪代官は、水戸黄門の正体を知らないので、手下に、「やっちまえ」、と命じて、斬りかかる。 しばし、乱闘シーンがあってから、角さんが、懐から、葵の印籠を、取り出して、「ええい。鎮まれ、鎮まれ。この紋所が目に入らぬか。こちらにおわす御方をどなたと心得る。畏れ多くも前の副将軍・水戸光圀公にあらせられるぞ。一同、御老公の御前である。頭が高い。控え居ろう」と言う。 悪代官と、その手下は、「ははー」、と言って、水戸黄門の前にひれ伏す。 何だか、見ているうちに、彼は、背筋がゾッとしてきた。 何だか、自分が、極悪非道の悪代官のようで、水戸黄門が、古倉恵子さんに、似ているような、気がしてきたからだ。 彼は、急いで、テレビを消した。 彼は、もう、テレビを見ることも出来なくなってしまった。 その夜。 彼は、床に就いた。 昼間、見た、「水戸黄門」が、気になって、なかなか、寝つけなかった。 しかし、12時を過ぎたころから、だんだん、眠気が起こり出した。 気づくと、彼は、ある、見知らぬコンビニ店にいた。 研修中の、若い女のコンビニ店員の対応が遅いので、彼は、 「あんたねー。あんたは、やる気、というものがないんだよ」 と、説教というか、愚痴をこぼしていた。彼は不機嫌な顔で、そのコンビニを出た。彼が、そのコンビニ店を去った後、すぐに古倉恵子さんが、やって来た。彼女は、泣いている、女のコンビニ店員に、優しく声をかけた。 「いいのよ。コンビニ店員だって、立派な仕事なのよ」、 となぐさめていた。 彼は、翌日、古倉恵子さんが働いている、セブンイレブン湘南台店に、行った。彼は、古倉恵子さんにも、 「あんたねー。あんたは、やる気、というものがないんだよ」 と、いちゃもん、を、つけた。そこに、見知らぬ男が、現れた。なんと、その男は、水戸黄門の、角さん、だった。角さんは、 「ええい。頭が高い。ひかえおろう。このお方を誰だと心得る?」 と、彼を叱りつけた。呆然としている彼に、角さんは、言った。 「このお方こそは、畏れ多くも、第155回の、芥川賞を受賞なされた、古倉恵子先生であらせられるぞ」 彼は、顔が真っ青になって、「ははー」、と古倉恵子さんの前に、ひれ伏した。いつまでもひれ伏していると、 「山野哲也よ。面を上げよ」 と、古倉さんの声が聞こえた。彼は、おそるおそる顔を上げた。いつの間にか、古倉恵子さんは、杖を持って、服は、紫のちゃんちゃんこ、を着て、水戸黄門の格好になっていた。古倉恵子さんは、おもむろに話し始めた。 「山野哲也。そのほう、たかが、一介の医者の分際で、威張りくさり、社会の弱者である、コンビニ店員を、軽蔑し、見下し、愚弄しつづけてきた、その極悪非道の所業。いささかの許す余地も酌量もなく、その罪、万死に値する。よって、市中、引き回しの上、獄門、晒し首とする」 と、厳しく告げた。 「うわー」 彼は、バッと、飛び起きた。 ハアハアハアハア。 彼は、全身が、汗、ぐっしょり、だった。 しばし、彼は、速くなった脈拍が、下がるのを、待った。 時計を見ると、午前2時だった。 周りを見ると、そこは、彼のアパートで、床の中だった。 (はあ。夢だったのか。よかった。しかし、怖かったな。これで、四日連続だ。こんなことは、初めてだ。彼女は、本当に、僕を憎んでいるのかも、しれない。これは、本当に、彼女の、たたり、なのかもしれない) と、彼は、恐怖した。 その後も、彼は、古倉さんの出てくる、怖い夢を、毎晩、見つづけた。 怖い夢は、あの手この手を、変えて、古倉さんが、彼を殺そうとする、夢ばかりだった。 彼は、それで、ヘトヘトに疲れてしまった。 彼は、芥川賞受賞作家をバカにしてきたので、もう、彼女のいる、セブンイレブン湘南台店には、恥ずかしくて、行くことは出来ない。 しかし、彼にとって、コンビニ弁当は、絶対に必要である。 それで、アパートに、一番、近い、彼女の働いている、セブンイレブン湘南台店は、行くのをやめにして、少し、遠い、ローソンで、コンビニ弁当を買うことにしていた。 しかし、ローソンの、コンビニ弁当には、彼の欲しい、369円の、幕の内弁当がなかった。 なので、ローソンの、不本意な、コンビニ弁当を、買って、我慢していた。 数日が過ぎた。 彼は、彼女に、とても恥ずかしくて、合わせる顔がなかったが、しかし、その一方で、彼女は、芥川賞を獲った後でも、本当に、コンビニのアルバイトを、続けているのか、ということが、気になってきた。 いくらなんでも、群像新人文学賞、だの、野間文芸新人賞、たの、三島由紀夫賞、だの、芥川賞、などの文学賞を獲って、彼女は、もう完全に、世間で、作家としての地位を確立して、小説の原稿料や、単行本や、文庫本の印税収入で、十分に、生活できるはずである。 彼女の芥川賞の、受賞の記者会見でも、彼女は、「これからも、コンビニ店員のアルバイトを続けたいと思っているけれど、店長と相談して決めようと思います」と、彼女は、言った。 「つづけたいと思っている」と、言ったのだから、続けるのか、どうかは、まだ、わかっていない。 さらに。 「店長と相談して決めようと思います」と、言ったのだから、やめた可能性もある。 芥川賞を受賞すると、芥川賞受賞者という、肩書きが、出来るから、受賞者には、出版社から、こぞって、執筆依頼が殺到するものである。 そして、芥川賞受賞者という、肩書きから、傑作でなくても、あまり、面白くなくても、小説を書きつづけていれば、読者は、買うのである。 そういう点で、日本で文学の最高の権威である、芥川賞を受賞してしまえば、もう、あとは、天下御免で、小説や、エッセイを、書き続けていれば、原稿料や、単行本や、文庫本の印税収入で、生活費は、保証されたも、同然なのである。 なので、彼女は、小説創作に、忙しくなって、セブンイレブン湘南台店を、辞めたかもしれない。 そう思って、彼は、そっと、セブンイレブン湘南台店に、行ってみた。 そして、店の外から、そっと、店内の店員に、気づかれないように、店内を見た。 彼は、びっくりした。 何と、彼女が、以前通り、コンビニの店員のアルバイトをしていたからである。 彼は、彼女に、見つからないように、そっと、店の中の、彼女の様子を見た。 客が来ると、彼女は、「いらっしゃいませー」、と、相変わらず、愛想よく、客に、挨拶していた。 彼女は、記者会見で、言った通り、コンビニのアルバイトを、続けることにしたのだ。 彼には、彼女の心理が、全く、わからなかった。 しかし、ともかく、コンビニのアルバイトを、続けている以上、彼女は、記者会見で言ったように、コンビニでのアルバイトは、彼女にとって、すでに生活の一部となっていて、コンビニで真剣に働くことに生き甲斐を感じているのだろう。 彼は、彼女の心理が、全く、理解できなかった。 しかし、彼は、かなり、残念だった。 彼女は、きっと、執筆が、忙しくなり、おそらく、コンビニを、辞めているだろうと、思っていたからである。 彼女が、辞めていてくれれば、彼は、アパートのすぐ近くの、セブンイレブン湘南台店を利用することが出来るからである。 彼は、彼女の、精神構造が、全くわからなかった。 しかし、ともかく、彼女が、セブンイレブン湘南台店で働いている以上、そこのコンビニを、利用することは出来ない。 しかし、彼女の、屈託のない、笑顔を見ていると、心を込めて、今までの、非礼を、わびれば、彼女は、怒りそうもないようにも、見えた。 彼女の、今までと、変わらぬ、穏やかで、おとなしそうな、態度を見ていると、彼女が、彼を見ても、「あなた。今まで、よくも、さんざん、私をバカにしてくれたわね。私は、芥川賞を受賞した、売れっ子の、超人気作家なのよ」などと、彼にイヤミを言うようには、とても、思えなかった。 そもそも、彼が、彼女に、暴言を吐いた時には、彼女は、すでに彼女は、群像新人文学賞、野間文芸新人賞、三島由紀夫賞、センス・オブ・ジェンダー賞少子化対策特別賞受賞、を受賞していて、毎日、旺盛な、執筆活動をしていたのである。もう、これだけで、十分、過ぎるほどに、世間で、作家的地位を確立している。 それなのに、彼が、彼女を、口汚く、愚弄しても、彼女は、「申し訳ありませんでした」、と、心から、謝っていたのである。 また、彼女は、芥川賞を獲るまでは、じっと、我慢して、芥川賞を受賞して、テレビで記者会見をしてから、彼に、「私は芥川賞を受賞した、超一流の、売れっ子作家なのよ」と、自慢して、さんざん、バカにした、彼を、見下してやろう、という、ような、復讐の計画を、密かに、たくらんでいた、とも、思えない。 一体、彼女の精神構造は、どうなっているのだろう? ともかく、彼にとっても、この、コンビニは、便利なので、今まで通り、使いたい。 そもそも、コンビニとは、convenient store (便利な店)という意味だから、当たり前である。 彼は、彼女に、今までの、非礼を、謝罪したいと、思うと同時に、(それは、彼女に、心から謝罪すれば、彼女は、彼を許してくれそうに思えたからである)、彼女と、もう一度、会って、彼女の精神構造を知りたい、という、気持ちが、起こってきた。 しかし、彼は、すぐには、彼女に、会う気には、なれなかった。 なにしろ、彼は、「神様を冒涜しつづけて」、きたのだから。 その、落とし前は、絶対、つけねばならない、という強い自責の念が、彼を、激しく叱咤した。 「しかし、彼女に対する、謝罪の、落とし前、は、どのように、つけたら、いいのだろう?」 と、彼は悩んだ。 しばし、考えているうちに、彼は、落とし前、の、方法を思いついた。 それで、彼は、急いで、小田急線に乗って、新宿に、行った。 そして、四時間くらいして、また、湘南台に、もどってきた。 彼は、いったん、アパートにもどってから、コンビニに行ってみた。 彼女は、夜勤もしている、こともあるのである。 コンビニの外から、彼は、そっと、中を見た。 彼女は、いた。 彼女一人である。 彼は、ゴクリと、唾を飲み込み、高鳴る心臓の鼓動を、抑えようと、勤めながら、そーと、コンビニのドアを開けた。 「いらっしゃいませー」 彼女は、いつもの、愛想のいい、挨拶の言葉を言った。 もっとも、彼女が、愛想がいいのも、コンビニの、マニュアルにある、「お客様には、笑顔で、元気よく、挨拶する」、という規則を守っているのに、過ぎないのだろうが。 彼は、彼女と、視線が合うと、茹蛸のように、顔が真っ赤になった。 彼は、いきなり、彼女の前に、行き、立っている、彼女の前で、土下座した。 「古倉様。今までの、無礼極まりのない、発言の数々、態度、まことに、申し訳ありませんでしたー。心より、おわび致します」 そう叫んで、彼は、頭を床に擦りつけた。 「申し訳ありませんでしたー」 彼は、10回、謝罪の発言を繰り返した。 そして、10回、謝罪した後は、ずっと、体をブルブル震わせながら、土下座し続けた。 それは、あたかも、かけがえのない、一人娘を、車で、はねて、死亡させてしまった、男が、その両親に、謝罪する時の態度と、全く同じだった。 「あ、あの。お客様。一体、どうなされたんですか?」 いつまでも、土下座して、平身低頭している、彼に、彼女の声が、かかった。 彼は、おそるおそる、そっと、顔を上げた。 彼の目からは、ボロボロと、大粒の涙が、流れていた。 彼の顔は、あたかも、15ラウンド戦った後の、ボクサーのように、見るも無残に、腫れ上がっていた。 顔中、青アザだらけだった。 「あっ。お客様。顔が、ひどく、腫れ上がっていますが、どうなされたんですか?」 彼女が、聞いた。 「古倉様。私は、あなた様に、話しかけても、よろしいのでしょうか?」 彼が聞いた。 「え、ええ。一体、どうなされたんですか?」 彼女は、淡々とした口調で言った。 彼は、涙を流しながら、語り出した。 「ふ、古倉様。7月19日の、テレビのニュースで、あなた様が、芥川賞を受賞なされた、ことを知りました。あなた様が、数々の、文学賞を受賞なされた、文学創作、一途に、一心に、精進して、生きてこられた、気高い、お方様とは、つゆにも、知りませんでした。私は、あなた様が、そのような、ご高名で、志の高い、高貴な方であるとは、知りませんでした。今までの、無礼極まりのない、発言の数々、態度を、今、心より、おわび申し上げます」 そう、彼は、泣きながら、言った。 「い、いえ。私。別に、気にしていません。それより、その顔のアザは、どうなされたんですか?」 彼女は、淡々とした口調で言った。 「はい。おそれながら申し上げます」 彼の口調は、テレビの時代劇で、家臣が殿様に物申す時の口調になっていた。 「私めは、あなた様が、芥川賞を獲るほどに、文学一途に、精進し、努力して生きてこられた、高貴な方とは、つゆほども知らず、あなた様に、さんざん、無礼な、ことを、言ってきました。この罪は、どんなに、つぐなっても、つぐない切れない、大罪でございます。そこで、私は、浅はかな頭で、どうしたら、私の犯した罪をつぐなえるか、を、考えました。できれば、あなた様に、気のすむまで、殴っていただきたいと思いました。しかし、あなた様の、海よりも、山よりも、御寛大な御性格では、それを、あなた様に、願い出ても、あなた様は、とても、それを、引き受けて下さらない、と思いました。しかも、あなた様は、腕力のない女性でございます。そこで、私は、今日、新宿に行って参りました。そして、新宿のスタジオ、アルタの前で、『殴られ屋。一回、千円で、日頃のストレス発散のため、思い切り殴って下さい』と、プラカードを、首にかけて、立っておりました。そして、10人の、屈強の男に、力一杯、殴って頂きました。これによって、あなた様に対する、非礼の、罰の一部としたかったのです。しかし、私が受けるべき罰は、あくまで、あなた様が、お決めになることです。どうぞ、なんなりと、あなた様の気が晴れる罰を、私に、下して下さい」 彼は、涙に咽びながら、そう言った。 「お客様。そんな、無茶なことをされたんですか。そんなことを、されては、私の方が、心が痛みます。さぞ、痛かったでしょう。お怪我はありませんか?」 彼女は、淡々と言った。 「ああ。寛大な、お言葉を有難うごさいます。顔は、多少、腫れていますが、大した怪我など、ありません。私は、あなた様と違い、頭は、愚鈍ですが、肉体のタフさだけには、自信があります」 と、彼は言った。 「でも、お客様。私が小説を書いているからといって、どうして、そんなに、私に、対して、卑屈な態度に、なるのですか?」 彼女は、首を傾げて聞いた。 「古倉様。お言葉を返すようで恐縮ですが。何事でもそうですが、どんな芸事でも、一つの道に、価値を認め、精進する者ならば、その道を、はるかに究めた上の人を、下の者が、尊敬するのは、当然のことではないでしょうか?」 彼は言った。 「では、あなたも、小説を書くのですか?」 彼女が聞いた。 「はっ、はい。私は、あなた様と違い、優れた、価値のある文学作品など書けません。文学賞など、獲ったことは、ありませんし、また、おそらく、一生、獲れないと確信しています。愚鈍で非力な私ですが、私も、小説を書いて、ネットに出しています」 と、彼は言った。 「本当ですか。お客様も小説を書いているとは、思ってもいませんでした。よろしかったら、読ませて頂けないでしょうか?」 と、彼女は言った。 「それは、身に余る光栄です。私は、浅野浩二、というペンネームを、使って、ホームページに、小説を出しています。拙い小説ばかりですが、よろしければ、ご覧ください」 と、彼は言った。 「じゃあ、ぜひ、読ませて頂きます。浅野浩二さん、ですね。どんな小説かしら。楽しみだわー」 と、彼女は言った。 「古倉様。楽しみ、などと、言われると、読んで、内容の、つまらなさに、失望した時に、申し訳なく、恥ずかしく、心苦しいです。古倉様も、芥川賞をお獲りになり、執筆活動が、ますます、忙しくなるでしょうから、執筆中に、書きあぐねた時に、息抜きのため、気が向いたら、ご覧ください。原稿用紙で、10枚ていどの、ショートショートも、あります。ストーリーは、単純ですが、読みやすさには、心がけて、書いておりますので、読んで、肩が凝ることは、ないと、それだけは、自信があります」 と、彼は言った。 「わかりました。でも、楽しみです。お客様が、どんな小説を書いているのか、と、思うと・・・」 と、彼女は言った。 「あ、あの。古倉様・・・」 「はい。何でしょうか?」 「私の、今までの、非礼を謝罪したいのですが、私がすべき罰を、教えていただけないでしょうか?」 彼は聞いた。 「罰も何も、お客様には、何の恨みもありません」 彼女は、淡々とした口調で言った。 「で、では。私の、今までの、非礼を許して下さるのですか?」 「許すもなにも、お客様には、恨みどころか、心から、感謝しています」 「ええー。それは、一体、どうしてですか?」 「だって、お客様が、私に、マニュアルに書いてあることしか、言えないのか、と、言って下さったから、私は、コンビニ人間、という、小説を書いてみようと、思いついたんです。それが、芥川賞になったのですから、私が、芥川賞を獲れたのは、お客様の、おかげ、でもあるんです」 「そうだったんですか。そうわかると、私も、救われます。有難うございます」 そう言って、彼は、随喜の涙を流した。 その時。 コンビニのドアが、ギイーと、開いた。 客が三人、入って来た。 「お客様。すみません。仕事しなくてはならないので・・・」 と、彼女は、小さな声で言って、レジにもどった。 「いらっしゃいませー」 彼女は、急いで、コンビニ店員にもどって、大きな声で、客に会釈した。 三人とも、タトゥーをした、ガラの悪い男たった。 「おい。ねーちゃん。そこの、そこの、マルボロ、二箱、くれねーか」 と、一人が、不愛想に言った。 (群像新人文学賞や、野間文芸新人賞や、三島由紀夫賞や、はては、芥川賞を獲って、Wikipedia にまで、名前が、載っている、高名な文学者に、なんたる口の利き方だ) と、彼に、憤りが起こった。 他の二人の客は、週間マンガの、立ち読みを始めた。 彼は、咄嗟に、客達に、 (おい。お前たち。この、お方をどなた、だと思っているんだ。畏れ多くも、芥川賞を受賞した・・・) と、言って、立ち読みしている二人を、注意したい、衝動が、起こったが、彼は、グッ、と我慢した。 それは、単行本「コンビニ人間」の、P54に、書いてある、 「人間は、皆、変なものには、土足で踏み入って、その原因を解明する権利があると思っている」 という、一文と、P115に、書いてある、 「普通の人間っていうのはね、普通じゃない人間を裁判するのが趣味なんですよ」 という、一文が、思い浮かんだからである。 新約聖書でも、マタイ伝7章1節に、 「Do not judge, or you too will be judged」 (人を裁いてはいけません、そうしないと、あなたが神に裁かれますよ) と、書いてある。 それは、今まで、古倉さんを、覇気のない人間だと、その人の一部だけを見て、決めつけて、その人の全てが、解ったかのように、心の内に、非難していた、彼の反省の、思いからであった。 彼女は、コンビニの仕事が、終われば、どうせ、ごろ寝して、テレビか、スマートフォンの、アプリか、を、やっているだけだろう、と、思ってしまっていた、彼の反省からであった。 そして、彼自身も、医学部時代、無口で、内気で、友達がいなく、同級生達から、さんざん、「あいつは、得体の知れないヤツだ。何か、悪いことを考えているヤツだ」と、そういう目で、見続けられてきた、こととも、同じだった。 彼は、他人に、どう思われようと、気にしない、開き直り、を、方針としていた。 (他人が、どう思おうが、かってにしろ。オレはオレだ) と、彼は、自分を、人に、良く見せようとも、悪く見せようとも、全く思わなかった。 それが、強さ、だと、彼は、思っていて、他人の、自分に対する、評価だの、陰口だの、には、動じなかった。むしろ、誤解されることに、誤解する人間の、頭の程度の、低さを、心の中で、笑っていた。誤解され、偏見の目で見られることが、彼の、誇りでさえあった。 それと、同じように、立ち読みしている二人だって、どういう人間かは、わからない。 高い志を持っているのかも、しれない。 人を、その人の、見かけの、一部で、勝手に、決めつけては、いけない、ということが、「コンビニ人間」を読んでから、彼の信念になっていた。 そんなことが、一瞬のうちに、疾風のように、彼の頭を擦過していった。 彼は、そっと、コンビニを出た。 そして、アパートに入って、床に就いた。 「人を、その人の、見かけの、一部から、勝手に、決めつけては、いけない」 というのは、以前から、彼のモットーだった。 自分は、他人から、誤解され、悪く見られようと、そんなことは、気にしない。しかし、他人は、そういう、先入観で、見ては、いけないと、思っていた、つもりだったのに、まんまと、彼女を、そういう、先入観、で、決めつけていた、自分を、彼は、恥じた。 その原因を、彼は、歳をとるにつれて、自分の頭が、固くなったからだとは、思っていなかった。彼女の性格が、つかみどころが無く、そのため、イライラしていたのが、原因だと思った。 ともかく、その夜は、彼女に謝ったので、リラックスして眠れた。 夜中に、怖い夢を見ることもなかった。 数日が、経った。 もう、彼女の出てくる怖い夢をみることもなくなった。 しかし、その数日間は、彼は、古倉さんのいる、コンビニには、行かなかった。 なぜかというと、古倉さんは、まず、ネットで、「浅野浩二」で、検索して、彼の小説を、読んでくれているだろうから。出来るだけ、日にちをかければ、多くの小説を、読んでくれるだろう。 彼の、小説は、原稿用紙換算にして、短いのでは、10枚から、長いのでは、400枚と、全く、バラバラだった。 原稿用紙の換算枚数は、各小説に、書いていなかったが、小説のタイトルを、クリックして、下に、スクロールすれば、どのくらいの長さかは、わかる。 青空文庫でも、そうして、小説の長さは、わかる。 彼女が、今、自分の、書いた小説を、読んでくれているのではないか、と思うと、彼は、緊張しっぱなしだった。 一週間、経った。 もう、怖い夢は、見ることはなかった。 彼は、古倉さんのいる、コンビニに、行ってみた。 「いらっしゃいませー」 彼女は、雑貨の棚を清掃しているところだった。 ドアの開く音で、反射的に、挨拶の言葉を発したのだ。 振り返って、客が、彼であることを、見ると、彼女は、ニッコリと、笑った。 店には、彼女と、彼しかいない。 「こ、こんにちは」 彼は、照れくさそうに、挨拶した。 「こんにちは。浅野さん」 彼女は、パタパタと、小走りで、彼の方にやって来た。 「小説、読ませていただきました。ブログも、かなり読みました。浅野さん、って、精神科医で、スポーツも、色々、やるんですね。すごいですね」 彼女は、無邪気そうに、そう言った。 「い、いえ。一応、僕は、医師ですが、これは、謙遜ではなく、本当に、たいした医師では、ありません。スポーツは、健康のために、やっているだけです」 と、照れながら言った。 「あ、あの。古倉さん。もし、よろしければ、いつか、喫茶店か、どこかで、ゆっくりと、お話ししたいです。古倉さんの、小説も、ほとんど、読みました。古倉さんの小説に対する、僕の感想も、ぜひ、話したくて・・・」 と、彼は、言った。 「わかりました。今日、の5時に、仕事が、終わりますので、その後、お話ししませんか」 「ありがとうございます」 「話し合う場所ですが・・・。もし、よろしければ、浅野さんの、アパート、というのは、ダメでしょうか?」 「いいんですか。身に余る光栄です」 「うわー。嬉しいわ」 彼女は、飛び跳ねて喜んだ。 「僕も嬉しいです。決して、襲いかかったりしません。から、安心して下さい」 「ええ。言われるまでもなく。心配していません。浅野さんは、プラトニックな性格ですから。小説を、読んでいて、ひしひしと、それを感じました」 彼は、喜んで、アパートにもどった。 幸い、彼のアパートの部屋は、つい、最近、大掃除して、きれいだった。 彼は、面倒くさがりで、年間、4回、ほどしか、アパートを掃除しないが、いったん、掃除し出すと、部屋の隅々まで、完璧に掃除しないと、気が済まない、という潔癖症でもあった。 彼は、古倉さんが、来るのが、待ち遠しかった。 芥川賞を、とった、天下の、売れっ子、職業作家が、来るのだ。 彼は、古倉恵子さんと、何を話そうかと思ったが、ともかく、彼女の、作品の数々についての、感想を話そうと思った。 彼女は、芥川賞をとった、職業作家であり、彼は、趣味で書いている、アマチュアである。 実力的には、天と地、ほどの差がある。 しかし、芥川賞をとったプロの職業作家でも、自分の身近で接していた、思いもよらぬ人が、小説を書いている、となると、その驚き、と、好奇心から、どんな小説を書いているのか、ちょっと読んでみたくなるのは、自然な感情である。 彼女は、記者会見での、対応にしても、ネットでの、彼女の記事にしても、あまりにも、人が良すぎる、と、思っていた。 芥川賞を獲って、文壇的地位を確立すると、原稿の執筆依頼が殺到する。 また、文壇的地位を確立すると、他の人が、書いて、出版された本の、帯に、コメントの、依頼も、頼まれる。 帯に、「芥川賞受賞作家の、古倉恵子さんも、絶賛」とか、書かれると、本の、売れ行き、も、よくなるのである。 そのため、時間がないのに、他人の出版した本まで、読まなくてはならなくなる、こともある。 他人の本の、解説も、頼まれたりする。 連載小説の依頼を頼まれたりもする。 本人は、気分が乗らなくても、また、小説の構想が、無くても、書かないわけには、いきにくい。 作家的地位を確立すると、何かと、忙しくなるのだ。 まあ、良く言えば、仕事が、増えて、収入が安定する、とも、言えるだろうが。 しかし、創作意欲が、旺盛で、自分の書きたいものを書きたい、と思っている、作家にとっては、迷惑だろう。 また、芥川賞に限らず、権威のある、文学賞を獲ると、出版社の方から、小説執筆の依頼が、来る。 しかし、実際のところは、文学賞を、とると、それを越えられる、作品は、書けず、文学賞でとった、一作で、終わってしまう、一作作家の方が、圧倒的に多いのである。 しかし、彼女は、中学生の時から、小説を書いてきて、いくつもの、文学賞を獲っている、創作意欲が旺盛な、本物の小説家なのだ。 そんなことを、思いながら、彼は、古倉さんが来るのを待っていた。 古倉さんは、彼のアパートを知っている。 なぜなら、彼のアパートと、コンビニは、とても近く、(だから、古倉さんのいる、コンビニを利用しているのだが)、以前、彼が、アパートから出てきたところを、仕事が終わって、帰る途中の、古倉さんに、見られてしまったことが、あるからだ。 ピンポーン。 チャイムが鳴った。 彼は、玄関の戸を開けた。 古倉さんが、立っていた。 「やあ。古倉さん。来て下さって、ありがとうございます」 彼は、ペコペコ頭を下げて、言った。 「こんばんは。山野さん」 彼女も嬉しそうな表情だった。 「どうぞ、お入り下さい」 彼は、玄関の前に立っている彼女を招き入れた。 「では。お邪魔します」 そう言って、彼女は、彼のアパートに入っていった。 彼の、アパートの玄関には、テニスのラケット、と、野球のグローブが、無造作に置いてあった。 それが、目についたのだろう。 「山野さん、って、テニスをするんですか?」 彼女が聞いた。 「ええ。健康のため。足腰を鍛えるために、やっています」 「試合とかは、しないんですか?」 彼女が聞いた。 「ええ。たまには、やりますよ。去年は、テニススクールのコーチに勧められて、ウィンブルドンという試合に出て、ノバル・ジョコビッチ、という、かなり強いヤツに、勝って、優勝しました」 と、彼は言った。 「ウィンブルドンとか、なんとかジョコビッチ、とか、私。全然、知らないんです。私、スポーツのこと、全然、知らないので・・・」 と、彼女が言った。 「いやー。スポーツなんて、くだらないですよ。ですが、適度な運動は健康にいいので、僕は、やっているんです」 「古倉さん。芥川賞、受賞、おめでとうございます。それと、あなたを、覇気のない人間などと、失敬なことを言ったことを、心よりお詫びします」 彼は、改まって、再度、謝罪した。 「有難うございます。でも、私。本当に、気にしていないので、そのことは、もう、言わないで下さい」 「ありがとうございます。そう言って頂けると、本当に、救われます」 彼は、話したいことが、いっぱいあった。 だが、やはり、彼女の小説に対する、感想を一番、言いたかった。 それで、 「では、まず、僕の方から、古倉さんの小説に対する、感想を言っても、よろしいでしょうか?」 と、聞いた。 「ええ」 と、彼女は、自然に答えた。 なので、彼は、話し始めた。 「古倉さん。あなたの小説を読んで、まず頭に浮かんだのは、太宰治です。太宰治は、子供の時、自分が、みなと、違う考え方をする人間であり、自分が、異端児であることを、隠そうと、学生時代は、道化を装いますね。そして、大学在学中に、偽らない自分の子供時代の心境を述べた、(晩年)の、諸作品によって、文壇から絶賛されますね。あなたも、子供の頃から、一般の子供と、考え方が違う自分を、一般の子供のように、演じる、処世術で、波風たてず、友達と、つき合って、生きてきましたね。しかし、あなたは、太宰治とも、違う。太宰は、性格が弱く、苦悩しつづけて、生きてきましたが、あなたは、冷静に、自分や他人、つまり人間を、観察し、小説の中で、普通と言われる人間社会の中に、変わっている、と言われる人間を登場させ、色々な、お話しを作っていきますね。感情を、入れず、淡々と。あなたは、苦悩する、ということがない。というか、苦悩する、ような境遇に生まれなかったし、生来の感覚があっさりしているように見受けられます。それを武器となって、他人の評価なんか、が、気にならない。それで、堂々と、小説を書いている、ように、見受けられます。多数派が支配している社会に、少数派の人間の、心の理解を求めているのでもなく、自分の意見を主張しているのでもない。あたかも、善人と悪人がいるから、お話しが作れるように、多数派と少数派がいるから、お話しが作れる、ので、それを、楽しんでいるように、見えます」 「え、ええ。まあ、そうです。ところで、山野さんは、どういう心境で小説を書いているのか、教えて下さい」 「僕は、自分の心にある、叶わぬ願望を、小説を書くことによって、実現させようという思いで、小説を書いています。僕は、現実の女性と、つき合えません。なので、小説で、架空の、可愛い、僕にとって、理想の女性を、登場させ、その女性と、つき合おう、としたり、その女性に、面白い、生き方をさせたりして、お話しを作ろうとしています。そういう小説が多いです」 「そうですね。山野さんの小説を読んで、それは、感じました」 「まず。コンビニ人間、に、ついてですが。・・・圧倒されました。古倉さんの小説は、みな、読みやすく、文章も美しい。僕は、芥川賞の受賞作を、ほとんど、読みません。僕は、新しい物、好きの世間の人間とは、ちょっと、違います。僕は、自分が、小説を書くことのみが、僕の関心の全てなんです。僕は、長年の経験から、小説を読むことは、自分が、小説を書くヒントを得られることは、まずない、と、確信するようになりました。作家の、感性も、体験した経験も、小説の舞台も、全然、違います。しかし、今回の、古倉さんの小説は、違いました。コンビニ人間、は、古倉さんの小説の中でも、一番、優れた作品のように、思います。これほどの、小説なら、芥川賞の受賞作に、ふさわしいと思いました。なにせ、芥川賞は、日本人で、100万人、ほどの、作品の中で、ただ一人、選ばれる賞ですが、まさに、それに、ふさわしいと、思いました。これは、決して、お世辞でも、なんでもありません」 「そう言って、頂けると、素直に、嬉しいです」 「あなたには、妹さんが、いるという設定になっていますが、本当は、いないのでは、ないでしょうか?」 「ええ。そうです。私は、一人っ子です。でも、どうして、それが、わかるんですか?」 「妹さんが、あなたに、世間で、変わった人間に、見られないように、色々と、アドバイスしますね。しかし、あなたほど、思索の深い方なら、妹さん、という、アドバイスしてくれる、他の存在が、いなくても、あなたの思考力で、十分、わかるはずです。しかし、・・・(私は、変わり者に、見られないように、こうすればいいと思った)、・・・というふうに、主人公の独白の形式で書くより、そうした方が、小説が面白くなります。あたかも、諸葛孔明のような、優れた軍師が、いて、変わり者の、主人公を、助けているようにした方が、小説が、面白くなります」 と、彼は言った。 「え、ええ。その通りです。そういう計算がありました」 「次に、白羽さんですが。この人は、あなたの敵として、作った、人物ですが、この人は、あなたの、敵でもありますが、あなたの分身でもありますね?」 「ええ。よくわかりますね。どうして、わかるんですか?」 「だって、あなたと、正反対の価値観を持った、敵を登場させなければ、お話しが、作れない。しかし、白羽さんの、言葉の、いくつかは、あなたの、考え、そのものが、多く表現されています。それに、こんな、複雑なことを、考える人間なんて、まず、現実には、存在しっこありません。世の人間、や、男は、もっと、単純です」 「え、ええ。その通りです。敵役を作るのには、苦労しました。本当は、もっと、単純な男にしたかったのですが。それでは、私が作りたい、お話しが、作れなくなってしまいますし。また、主人公である私に、私の気持ちを、言わせるのは、照れくさいですし、主人公である私に、世の不条理さを、言わせるのも、恥ずかしいですし。それで、彼の口を借りて、私の思いを、述べさせました。違和感を感じられましたか?」 「いえ。全然、感じません。ああいう、複雑な、精神の男は、まず、現実には、1000人に一人もいないと思いますが、いても、おかしくないと思います」 「そう言って、頂けると、非常に、嬉しいです」 「一番、というか、感動したのは、ラストです。ここでは、白羽さんは、完全に、いわゆる世間の常識的な人間となっています。しかし、立ち寄った、コンビニで、あなたは、スーツ姿で、店員でもないのに、コンビニ店員の仕事をしてしまっている。せずにはいられない。そして、店員も、あなたを、受け入れるようになる。ここに至って、あなたの、コンビニに対する、激しい愛、が、完全に勝利している。僕は、読んでいて、涙が出て来ました。あなたは、音に対して、とても、敏感ですね。すごく、繊細な精神を持っておられるのでしょう。人間にとって大切なことは、傍目からみると、つまらない、とか、価値が無い、と思われていようとも、自分の仕事に、生き甲斐を持って、精一杯、頑張っている人は、異常でも、なんでもない。そういう人こそ、活き活きと、生きて、充実した人生を送っている人だと、つくづく感じました」 「仰る通りです」 そう言って、彼女は、顔を赤らめた。 「次に僕が、素晴らしいと思ったのは、清潔な結婚、という、短編小説です。これは、印象が、あまりに、強かったでした。セックスしない夫婦。というより、セックスを嫌っている夫婦。しかし、子供は欲しい、という、小説です。ここでも、あなたは、世間的な常識の見方を完全に破壊している。というより、あなたは、常識という枠に、縛られない、感性、考え方、を先天的に持っている。と、感じました。しかし、ああいう考え方は、僕にもあります。僕は、小学6年生まで、結婚した男女は、何をしているんだろう。それは、わかりませんでした。寝る時は、お互い、パジャマを着て、手をつないで寝ているのだろうと、思っていました。中学生になって、男女は、セックスをし、そのセックスによって、人間が、産まれると知った時は、ショックでした。これは。人間も動物ですから、自分の種を残さなければならない。それが動物、生物の宿命です。人間もその例外ではない。それが成されるためには、生殖行為が、気持ちのいいものでなくては、ならない、と、ショーペンハウアーは、言っています。人間は、子供の頃の、初めの時期は、セックスという、行為に、嫌悪を感じても、成長するのと同時に、徐々に、第二次性徴と、ともに、高まっていく思春期の激しい性欲から、それを、いつの間にか、自然な行為と、受け入れてしまっている。しかし、僕には、それが、どうしても、受け入れられませんでした」 「仰ることは、全て、その通りです。しかし、山野さんは、どうして、セックスを、受け入れられないのですか?」 「僕は、生殖という行為、を嫌っているからです。僕は、人間なんて、幸せな人生が送れる、という保証がない限り、産まれて来ない方が、良いとさえ思っています。人間が、産まれること、とか、それを意味する、数の子、だの、末広がり、だの、という、ことを、単純に喜ぶ、大人の気持ちが僕には、全く、わかりません。僕は、あの小説には、非常に共感しました。ただ、僕には、ああいう小説を書いてみたい、という、情熱までは、起こらなかっただけです」 「そうですか」 「(殺人出産)も、面白く読ませていただきました。男は、いつも、発情していますが、女性の性欲は違いますね。女性は、いつも着飾って、男に対して、フェロモンを出している。しかし、性欲という点では。女は、基本的に、普段、男を、性欲の対象としては、見ていません。ある、一定、以上の、性欲の快感を感じてしまうと、性欲が、燃えあがってしまいますが・・・。それに、女は、出産する時、苦しまなければならない。これは、聖書では、アダムとイブが罪を犯したから、と言っていますが、ともかく、女は、産み、の、苦しみを、しなければ、ならない。妊娠した、女性も、スマートなプロポーションが、お腹が、ふくれて、格好が、わるくなる。それどこか、妊娠中毒症などになったら、自分の命も危なくなる。まさに、命がけで、人間を産んでいる。そもそも、女は、月に一回、子供を産むための、準備である、生理、と共に生きている。それに、セックスによって、人間が産まれる、というのも、ちょっと、考えてみれば、不謹慎ですよね。石川啄木も、(二筋の血)という、小説のラストで、こう言っています。(男と女が不用意の歡樂に耽っている時、其不用意の間から子が出來る。人は偶然に生れるのだと思ふと、人程痛ましいものはなく、人程悲しいものはない。其偶然が、或る永劫に亘る必然の一連鎖だと考へれば、猶痛ましく、猶悲しい。生れなければならぬものなら、生れても仕方がない。一番早く死ぬ人が、一番幸福な人ではなかろうか)、と。あなたの作品は、あなたが、女だから、書ける、と思いました。夫婦のセックスにおいては、男も女も、快感を得ますが、人間の誕生に於いては、男は、何も苦しまない。しかし、女は、初潮から閉経までの、人生のほとんどの期間を、毎月、起こる生理と、妊娠による体の崩れと、出産の命がけの苦しみ、という、三つの苦しみ、を、味あわなくてはならない。これは、不公平ですよね。あなたは、その不公平さ、に、不満、というか、憤りを持っている。あなたの小説、(殺人出産)は、神に対する、その不公平さ、の、許しがたい、煮えたぎるような怒りが、動機ですね。(殺人出産)では、男も人工子宮を埋め込まれ、人間を産むことが出来る、ようになっていますね。わがまま勝手な世の男どもよ。女の産みの苦しみをおもい知れ、という、あなたの、男に対する、凄まじい憎しみの怨念が、ひしひしと、感じられました」 「え、ええ。そうかもしれませんね。でも、私。妊娠や、出産の、苦しみは、経験していませんし。生理は、経験してきましたが、そんなに、つらかったことは、ありません」 彼女は、顔を赤くして、焦って言った。 「それと。(マウス)ですが。これは、おとなしい私(田中律)が、自分以上に、もっと、おとなしい、というか、全くクラスメートの誰とも、話さない、ネクラな性格の、塚本瀬里奈、に、(くるみ割り人形)の、話しをしてあげて、その翌日から、塚本瀬里奈、は、(くるみ割り人形)の、主人公の、マリーになりきって、さかんに喋り出し、積極的に行動する、という話ですが。これは、読んでいて、現実には、そんなこと、絶対、あり得ない、と、違和感を感じました。他人が読んであげた、一つの童話が、きっかけで、誰とも全く一言も、話さなかった無口な子が、その翌日から、性格が豹変して、さかんに喋り出して、積極的に行動する、などということは、現実的には、考えられません。それは、選考委員も感じていると思いました。しかし、この作品は、三島由紀夫賞の候補になっています。しかし、小説や、漫画なんて、現実的かどうか、なんて、細部の正確さを、きびしくは、見ていないんだな、と思いました。手塚治虫の、医療マンガ(ブラックジャック)にしても、医学的には、デタラメなのが、かなりあります。しかし、ストーリーが面白ければ、違和感を感じません。芥川龍之介の、(蜘蛛の糸)や、(杜子春)にも、矛盾は、あります。しかし、批判する人はいません。だから。文学賞では、選考委員は、細部の、揚げ足をとるのではなく、小説の、全体の文学的価値を、評価しているんだな、と、知らされました。つまり、作品の評価は、減点方式ではなく、良い点を見つけての、加点方式なのだと、思いました。読者も、面白さを、求めて、小説を読みます。僕は、性格が神経質なので、小説作品の、現実との、整合性、が、気になってしまいます。しかし、(マウス)を、読んで、小説は、小説のお話の中で、辻褄が合っていれば、いいのである、ということを、あらためて、感じました。これは、前から感じていたことですが。現実性、ということに、こだわっていると、小説は作れません。むしろ、いかに、現実性を壊すか、という、ことに、僕は、心がけています」 「ええ。私も、(マウス)は、ちょっと、現実性と点で、批判されないかな、と、心配して書いていました」 「ところで、古倉さん。あなたは、自分の作品に、愛着を持っていますか?」 「自分が満足できる作品には、愛着は、あります。愛着、という言葉が、適切かどうかは、わかりませんが」 「作家にとって、作品は、自分が産んだ、自分の子供、とも、言われていますが、その、一方で、哲学者の、メルロ・ポンティーは、作家にとっては、過去に書いた作品は、墓場、とも、言っています。それは、作家にとっては、作品を作っている時だけが、生きている時である、という意味です。それは、僕も感じています。三島由紀夫は、死ぬ前に、自分の作品の全てを、自分の排泄物とまで、言っています。それは、ちょっと、卑下しすぎ、だとも思っていますが・・・。だって、三島由紀夫の作品では、成功作とか、失敗作、とか、客観的に、文芸評論家によって、判断されていますが、文学賞をとった、文学的価値のある、作品の方が圧倒的に多いです。ましてや、三島由紀夫は、ノーベル文学賞の候補にも、なったほどですから。自分の作品を、自分の排泄物、とまでは、本当には思ってなく、過剰に、卑下しているとも思っています。少なくとも、僕は、創作は、コックと同じだと思っています。コックは、手によりをかけて、美味しい料理を作る。そして、お客さんが、(美味しい)と、言って、喜んで、自分の作った料理を食べているのを、見るのが、コックの、喜び、であって、創作も、それと、全く同じだとも思っています。太宰治も、そういう考え方です。ただ、味つけ、つまり、心にも思っていないことは、作家は、書けないでしょう。そういう点、僕は、読者に、まずい料理は出したくない。美味しい料理を出したい、と思っています。しかし、あまり、美味しさ、とか、心地よさに、こだわっていたり、自分が愛着をもてるような作品ばかり書いていると、文学的に価値のある作品は、書けない、とも、あなたの作品を読んで、感じました」 「そうですね」 「あっと。ちょっと、僕だけ、一方的に、話してしまって、申し訳ありません。つい、小説とか文学のことになると、饒舌になってしまっで・・・」 「いえ。構いません。山野さんは、小説を、見る目が、鋭いのですね。鋭い文芸評論家、以上の文学評論です。これからも、私の、書いた小説、や、文学のこと、聞かせて下さいね」 「ええ。でも、僕は、文芸評論家になるよりも、自分が小説を書きたいのです。たとえ、文学的価値は無くても。あるいは、あっても、低くても。でも。歳をとって、自分が、どうしても小説を書けなくなったら、文芸評論的な、ことでも、書こうかな、とも思っています」 「今度は、私に、話させて下さい」 「はい。何なりと。言って下さい。ちょっと、一方的に、芥川賞を受賞したプロ作家先生に、偉そうなことを言って、まことに、申し訳ありませんでした。何なりと、お話しして下さい」 「まず。単純な質問をさせて下さい。山野さんは、どうして、医者になろうと、思ったのですか?」 「それは、ひとことで言って、医者に対する復讐です。僕は、幼い頃から、喘息で、自分史である、(浅野浩二物語)、とか、(ビタ・セクシャリス)にも、書いていますが、小学校の半分の三年間を、親と離れて、喘息の療養施設で過ごしました。自律神経の切り替えが、悪くて、小児喘息が、治りきらずに、大人になってしまいました。胃腸も、ストレスで、過敏性腸症候群という、かなり、つらい病気にかかってしまいました。僕は、一生、医者、や、薬、なしには、生きていけないのです。医者は、無能なくせに、威張った医者も多いんです。自分の体のことを、一番よく知っているのは、まず第一番目に自分であるはずです。一日中、自分の体と、つきあっているのですから。医者は二番目、あるいは、三番目で、もっと下で、あるはずです。なのに、現実は違います。医者は患者を、病気に関しては、素人とバカにしています。そんな、自分の体のことを、一生、ヘコヘコと、医者に頭を下げ続けるのが、口惜しくて、いっそ、自分が医者になってやろう、と、思ったのです。患者でも、医者ならば、(僕も医者です)、と、堂々と言えます。そして、そう言えば、医者も患者を、医学の素人と、バカにすることが出来なくなります。そういう、不純な理由が、第一番です」 「負けん気が強いんですね」 「ええ。劣等感が強いんです。それと、二番目は。僕は、自分が、本当にやりたいことを、高校生になっても、どうしても、わかりませんでした。僕は、一人で、コツコツとやる仕事が僕の性格に合っていると思いました。たとえばオートバイの設計技術者のような仕事が、僕の適性には、ふさわしいのでは、ないかとも思いました。しかし、やはり、病気や医者に対する、コンプレックスの克服の方が、まさって。これは、どうしても、克服しなければならない、僕の宿命だという思いが、まさり、それで、医学部に入ることが、僕の至上命題になってしまったんです。それで、難関で、世間的な評価も高い、医学部に入ろうと思ったんです。医学部6年間のうちに、自分が本当に、やりたいことが、見つかるだろう、とも思っていました。つまり、モラトリアムです」 「それで、大学三年生の時に、小説家になることが、自分が本当にやりたいこと、だと気づいたのですね」 「ええ。その通りです」 「作品について、ですが。読みやすく、面白い作品が、多いですね。(ロリータ)とか、(虫歯物語)とか、(蜘蛛の糸)とか、(杜子春)とか、つい最近のでは、(七夕の日の恋)とか、とても、面白く読ませて頂きました。可愛らしい小説が多いですね」 「そう言って、頂けると、嬉しいです」 「文学賞に投稿しようとは、思わないのですか?」 彼は、ニコッと微笑した。 「あなたも、ちょっと、意地悪な質問をしますね。僕の作品の中で、文学賞を受賞できるような、作品があると思いますか?僕は、無いと思っています。僕の小説は、娯楽で読んで、ちょっと面白いな、と、思える程度の小説に過ぎないと思っています。しかし、文学賞となるような、作品は、娯楽で読んで、ちょっと面白いな、という程度の作品では、ダメなんです。そんなことをしたら、その文学賞の価値が下がってしまいます。作品は、ある一定、以上の、何らかの、文学的価値のある作品でないと、どんな文学賞でも、受賞できません。それは、色々な文学賞に投稿してきた、あなたになら、わかるはずです」 「すみません。その通りです」 「いえ。いいんです。僕は、文学賞を獲りたいと、熱烈に望んでいるわけでは、ないんです。僕は、小説を書いていれば、それで満足なんです。文学賞は、スポーツに喩えるなら、国体とか、日本選手権のようなものだと、思います。技術も体力も、かなりのレベルの選手でないと、大会で、優勝することは、出来ません。僕も健康のため、色々と、スポーツをやっています。ですが、技術の基本は、身についていても、それだけでは、テニススクールで、コーチと対等に、打ち合える程度の実力です。そんな人は、吐いて捨てるほどいます。その程度の実力では、正式な大会で、勝つことは、絶対、出来ません。だから、文学賞に投稿する、なんて無駄なことは、しないんです」 「山野さんは、自分というものを、よく知っていますね。山野さんに、ウソは、つけないと思いました。失礼ですが正直に言います。私が、もし、文学賞の選考委員だとしたら、山野さんの、作品で、受賞の価値がある、と、堂々と、自信をもって言える作品は、・・・大変、失礼ですが、・・・ありません」 彼は、ニコッと笑った。 「いえ。いいんです。僕は、小説を書いていれば、幸せなんですから。僕にとっては、文学賞を、受賞できないことより、小説が、書けなくなることの方が、はるかに、こわいんです。僕にとって、小説を書く、ということは、生きるということ、そのものなんです。命なんです。ですから、命である、小説を書く、ということが、出来れば、それで、十分、満足なんです。そして、逆に言うと、命である、小説を書く、ということが、出来なくなると、僕は、死の恐怖に、おびえるようになるんです」 「山野さんは、天性の小説家ですね。認められるか、認められないか、などということを、度外視して、小説を書き続けているのですから」 「僕は、何事においても、競争とか、他人と比べることが嫌いなんです。上は、オリンピックから、下は、テニススクールのレッスン中の試合まで。世間の人間は、スポーツでは、全て、どっちが、勝ったか、負けたか、という、勝敗ばかりに、みな、注目します。そして、勝敗を決めなくては気が済まない。しかし、水泳とか、短距離走とかでは、0.01秒の差で、勝ったり、負けたりして、それが、金メダルと、銀メダルの、大きな違いになります。そして、選手も、観客も、勝敗の結果に、目の色を変えます。しかし勝負は時の運であり、そんな差は、もう一度、やれば、簡単に、逆転する、ということなど、ザラにあります。僕は、そういうことが、くだらないことだと、思っているのです。大学受験にしても、選抜試験ですから、他人を蹴落とす競争です。しかし、芸術の世界は、個性の世界ですから、比べることが出来ません。サザンオールスターズと、ユーミンの、音楽を、どっちが、上とか下とか、そんなこと、比べることなど出来ません。僕の書く小説は、確かに、文学的価値という点では、高いものではないでしょう。あなたの、いくつもの受賞作は、文学的価値という点から言えば、僕のコメディー的な小説より、はるかに上です。しかし、僕の書く小説は、僕にしか書けない、そして世界で、唯一の作品です。だから、僕は、満足できる小説を書ければ、それだけでいいのです」 「山野さんは、純粋な人なんですね」 「でも。何か、偉そうなことばかり、言いましたが、もちろん、僕は、あなたが、うらやましい。芥川賞もさることながら、それ以上に、全国の書店の、目立つ所に、平積みで、置かれ、もう、すでに、50万部、を越しています。つまり、50万人の人に、もうすでに、読まれているわけですし、これからも、発行部数は、増え続けるでしょう。人づきあいが苦手で、孤独に苦しむ芸術家なら、誰だって、芸術作品を、通して、つまり、自分が書いた小説が読まれることによって、世間と、関係を持ちたい、と思っていますから。その点は、僕は、古倉さんを、すごく、うらやましく思っています」 「山野さんも、いつか、世間の人達に、認められる小説が、書けるといいですね」 「ええ。僕が小説を書くのは、多分に、自己満足という面もあると思います。しかし、僕の小説を読んで、面白い、と、言ってくれる人もいるのです。はじめは、大学時代の文芸部の友達から、そして、ネットでも、少し勇気を出して、あるホームページの、掲示板に、小説の宣伝をすると、面白い、と言ってくれる人が、多いんです」 「そうでしょうね。山野さんのは、面白いですもの」 誉められて、彼は、少し、得意になった。 彼は、パソコンの、あるホームページを開いた。 ホームページアドレスは、http://policewoman.sakura.ne.jp/top/link.html である。 そこには、こう書かれてあった。 「個人的お勧めサイトの紹介。 簡単な紹介コメントを勝手に添えています。 浅野浩二のホームページ その名の通り浅野浩二さんのWEBサイトで、小説やエッセイなどが読めます。 その作品には掴みどころのない不思議な魅力が溢れていて、特に自分は「女生徒」という作品がお気に入りです。 疲れた時に、この作品を何度も読み返してしまうのですよ。 自分が、他の方の作品を読んで羨ましく思う時の感想は二種類あって、 「頑張って、いつかはこういう作品を書きたいなぁ。」というものと、 もうひとつは「こういう作品は、僕には一生書けないのではないか?」というものです。 浅野さんの小説は数少ない後者に該当する素敵な作品群です」 「これは、僕が、ホームページを作って、間もない頃、それは、僕が、(女生徒、カチカチ山と、十六の短編)を、文芸社で、自費出版した頃、(平成13年)ですから、もう、15年も前に、頼んでもいないのに、相手の人が、書いてくれたのです。リンクまでしてくれて。こういうふうに、読んでくれる人が、いると、とても、嬉しく、また、創作の、ファイトがでます」 彼は、いささか得意になって、さらに、続けて話した。 「これは、僕が、文芸社に、短編集を、送ってみたところ、返ってきた、感想です」 と言って、彼は、A4の用紙を、彼女の前に差し出した。 それには、こう書かれてあった。 「平成12年9月27日。(株)文芸社。山野哲也様 本稿は、18編の掌編・短編と、5編のエッセイで構成されている。どの作品も手堅く、まとめられており、作者のレベルの高さを感じた。内容的には、掌編といっても短編に匹敵するような大きく重いテーマのものがあり、短編でも、もっとよく短く刈り込んだ方が仕上がりの良くなるものもあるが、総じて、どの作品も、よく計算された上で書かれていることがわかる。文学作品として平均的なレベルをクリアしていると言えるだろう。 掌編では、「スニーカー」、「少年」など、実に達者な語り口で書かれており、短編も無駄なく構成され、展開もスムーズである。作者は、かなり修練を積み、筆力を蓄えられた方だと推察する。作者の持ち味の一つに、職業経験を生かした心理的な描写、人間を解剖し分析する文章力がある。分析も細部にこだわりすぎて説明的になると、かえってくどくなり、作品をぶちこわす結果になるが、本稿では程好く味付けされているため、作品の質感を高めることに成功している。 エッセイは、「ちゃんと小説を書きたく、こんな雑文形式の文はいやなのだが・・・」(P82;婦長さん)とあるが、病院の日常をさりげなく描いたエッセイには、小説に劣らぬ魅力を感じるという意見もあった。なかでも、「おたっしゃナース」、「婦長さん」は、作者の独断場の世界でもあり高い評価がされた。また、山野様の作品の一つの方向として、「少年」や「春琴抄」にみられるように、被虐の世界に徹底されていることも興味深い。精神分析、心理解剖の知識と経験が十分に生かされている。 ただし、作品としての全体の構成を見た場合、どのような意図で編まれたものなのか判断が難しいところである。安定した筆致で書かれた個々の作品は、それぞれ完成度が高いのだが、小説にしても、エッセイについても、どのような読者を想定してあるのかが曖昧である。その流れを明確にした方が、作品の密度を高め、読者に、より強いインパクトを与えることが出来るだろう。 なお、各作品にはタイトルが付けられているものの、本稿のタイトルともなるべき総合タイトルが付されていない。ぜひ、山野様ご自身で納得のいくタイトルを考えていただきたい。 などが挙げられました。 いかがでしたでしょうか。山野様の作品は、弊社に毎月800点以上、送られてくる作品の中でも印象深い作品であることに間違いなく、好評を得たもののひとつでした。」 彼女が読み終わって、顔を上げたので、彼は、そのコピーを取り戻した。 「文芸社は、あの時は、協力出版と、宣伝していましたが、実際は、悪質な自費出版で、しかも、製作費の費用に、相当な水増しをしていて、本を売ることでなく、本を作ることで、利益を上げていた、詐欺商法でした。それは、ネットで、調べて、僕も知っていました。しかし、この評価の文章は、心にもない、おだて、を言っているとは、思いません。この感想は、かなり、正確に、僕の小説を、評価していると思います。おだてて、契約に、こぎつけるため、だけだったら、(山野様の作品の一つの方向として、「少年」や「春琴抄」にみられるように、被虐の世界に徹底されていることも興味深い)、などとは、はっきりと、書いたりしないでしょう」 「被虐って。山野さんは、マゾなんですか?」 「ええ。そうです。僕の小説を読んで、マゾっぽい、と思いませんでしたか?」 「いえ。私。マゾって、さっぱり、わからないんです」 「そうですか。サド、とか、マゾ、とか、が、全くわからない人も、世間には、結構、いますからね。そういう人の方が幸福かもしれませんね。今は、ドSとか、ドM、とか、いう言葉を、世間の人達が、平気で使うようになりました。しかし、今、使われている、ドSとは、単に、(いじわる、とか、わがまま)という意味で、ドMとは、単に、(気が小さい)という意味に変わっただけです」 「山野さんは、マゾという、ものを、表現するために、小説を書いているのですか?」 「そうです。それただけでは、ないですが。それは、大きいです」 「私には、マゾは、わかりませんが、私も、自分の異常な感覚を表現するために、小説を書いています」 「そうでしょうね」 「ところで、山野さん。世間では、私が、芥川賞を受賞しているのに、コンビニで働きたい、と思っている、ことを、異常と見ていますが、山野さんには、その私の心理が、わかりますか?」 「ええ。もちろん、わかりますよ。あなたが芥川賞を獲っているのに、コンビニのアルバイトを続けたいと、いう気持ち」 「では、説明して下さい」 彼女は、黙ってニコッと、笑った。 彼が、どんな説明をするのかを、ワクワクと待っているという感じだった。 「簡単なことです。世間の人は、芥川賞を獲れば、それ以後は、創作に専念するもの、という、固定観念に、まだ、おちいっているのです。菊池寛は、(小説家たらんとする青年に与う)で、(小説を書くということは、紙に向って、筆を動かすことではなく、日常生活の中に、自分を見ることだ。すなわち、日常生活が小説を書くための修業なのだ)と言って、作家の創作、にとっての、実生活の重要性を主張しています。太宰治も、(如是我聞)で、(作家は、所詮、自分の生活以上の小説は書けない)と、作家が生活を真面目にすることを主張しています。三島由紀夫も、(小説家の休暇)の中で、(創作においては、規則正しい日常生活こそが、大切だ)と言っています。僕も、それは、感じています。医者の仕事だって、慣れれば、同じ事の繰り返しです。僕は、仕事が好きではありません。もっとも嫌いなだけでも、ありませんが。しかし、なぜだか、仕事が終わって、ほっとした時に、小説のインスピレーションが思い浮かんだり、小説の筆が進むのです。まったく、大作家たちが、言っている通りです。むしろ、机の前で、ウンウン唸っていても、小説のインスピレーションは、なかなか起こってくれません。そういう時。町を歩くのでもいい。公園で遊ぶ子供達を見てみるのもいい。一度も入ったことがない喫茶店に入ってみるのでもいい。なにか現実の空気に触れることが、創作のヒントになります。僕は、それを、何回も経験しました」 「その通りです。私も、コンビニで働いていると、小説のアイデアが浮かんでくることが、よくあるんです。というか、コンビニで働かないと、小説のアイデアが沸かないんです」 「ところで、山野さんは、私を変わった人間だと思っていますか?」 「それは、もう、世間の常識的な人の目から見れば、変わった人間に見えるでしょう。あなたの作品のほとんどは、世間の常識的な人から見ると、おかしな、非常識な、小説に見えるでしょう。しかし、そもそも、物書き、というのは、世間の常識に合わないから、作品が、書けるんじゃないんですか?小説家なんて、みんな変人ばかりだと思いますよ。もちろん、僕だって、何十回、(変人。とか、変わり者)と、言われたことか、わかりません。僕は、自分でも、自分を変人だと思っています。世間の常識に合う人間は、現実に生きること、つまり、異性を愛し、結婚し、真面目に会社勤めをし、子供を生み、子供の成長を楽しみ、酒を飲み、おいしい料理を味わい、海外旅行で外国に行き、ペットを飼い、セックスの快感を楽しみ、プロ野球を見て好きなチームを応援し、と。そういうことを、することが、すなわち、その人が主人公となっている小説を書いているようなものです。つまり、常識的な人間は、現実に生きて行動することが、小説を書いている行為なのです。しかし、世間の常識に合わない感性に、生まれついた人間は、現実を生きることが、楽しみには、なりません。本当に生きることにも、なりません。だから、自分の心の中に、燻っている、自分の思い、を、紙と、ペンによって、架空の世界の、お話し、という形で、書いて、作りあげることが、自分が、本当に生きる唯一の方法であって、それ以外に、本当に、生きる方法が無いのです。だから、常識的な人間も、行動という手段によって、本当に生きているし、変人である小説家も、小説を書くことによって、本当に生きている。どっちの方が、正常、とか、どっちの方が、変とか、そういうことは、決められないこと、だと思います。しかし、あえて言うなら、変な人間である小説家の方が、自分の思いに忠実に生きていて、常識的な人間は、世間の常識、というものに、自分の心が、良くも悪しくも、無意識のうちに、影響されて、作られてしまっている、とも、思っています」 「仰る通りです」 彼女は、強い口調で声で言った。 「どうも、僕ばかり、小説の大家先生に、偉そうなことばかり、言ってしまって、申し訳ない」 彼は、恥ずかしそうに、顔を赤くして、頭を掻いた。 「いえ。いいんです。私、人間が好きですから。人間を観察するのが、好きですから。知らない人を見ると、この人は、どういうことを、考えいるのだろうなって、ことに関心を持ちますから。山野さんのこと、もっと、よく知りたいです」 「なら、話しますよ。何でも、聞いて下さい」 「二点、聞きたいことがあるんです。一点は、性と生、のことです。もう一点は、過敏性腸症候群という胃腸病のことです」 「一点目の、性と生のことですが。山野さんは、小説で、性的なことを、多く書いていますね。山野さんの、性と生に対する、考えを教えて下さい」 「人間は、どうしても、自分の価値観、モノサシで、他人をも見てしまいます。これは、よくないことだと、思いますが、感情として、起こってしまう、ことは、仕方のないことですよね。夏の暑い日に、暑いと思うな、と、言っても、無理なことです。心で感じることまで、修正しろ、というのは、無理なことだと思います。大切なことは。自分の感じ方を、そのまま、行動に移したり、他人に押しつけたりしなければ、それで、いいだけのことだと思います。芸術の創作に価値を認めている、人間は、どうしても、他人に対しても、芸術の創作、という価値観で、人を見てしまいます。スポーツに価値を感じている人は、スポーツ、の能力という視点、価値観で、人を見てしまいます。これは、仕方のないことだと思います。僕は、生まれてきてから、幼少の頃から、病気や、容貌、取り柄のなさ、などに、苦しんで、生きてきました。今でも、生きることは、喜びもありますが、つらさ、も、非常に多い日々です。だから、人間一般に対しても、この世に、生まれてくることを、手放しで喜べないのです。僕は、人間なんて、幸せな人生が送れる、という保証がない限り、産まれて来ない方が、良いとさえ思っています。絶対的な健康と、普通の程度の容貌と、正社員での就職、が保証されない、限り、人間が生まれてくることに、慎重になっているんです。そして。セックスと、人間の誕生は、つながっています。僕が、興奮するのは、SMだけでした。子供の頃は、みんな、SM的なことに、興奮すると思います。男は、女の裸を見たい。女に、エッチな悪戯をしたい、と思っています。しかし、男である自分は、女に、裸を見られたくない。まさに、SM的です。しかし、実際は、小学生、や、中学生では、女生徒は、性に目覚めてはいても、大人の性行為は受け入れらない。男子生徒が、一人の女生徒を、取り囲んで、裸にして、エッチなことをすれば、女生徒にとっては、それは、つらい、いじめ、であって、泣いてしまう、だけでしょう。男子生徒は、先生にも注意されますから、そんなことは、出来ません。つまり、そういう、エッチなことは、男の子の、夢想にとどまる、だけです。谷崎潤一郎の、(少年)、のような、小説は、実際には、行われるはずは、ありません。あれは、完全なフィクションです。しかし、高校生、そして、大学生になってくると、女も、胸が膨らんできて、また、性にも、目覚めてきます。なので、SMプレイを、する、女の大学生も、出て来ます。しかし、男は、何といっても、セックスというものに、目覚めます。そして、男も女も裸になって、抱き合い、そして、本番をしたくなります。SMは、消えていくか、ペッティングの一部となっていきます。しかし、本番は、人間を生む行為ですから、そして、出来ちゃった結婚、などのように、妊娠してしまうことも、あるわけですから。僕は、本番、という行為が生理的に嫌いなのです。男と女の体が、完全に、つながる。これの方が、ノーマルだと僕も思います。しかし、僕は、人間なんて、幸せな人生が送れる、という保証がない限り、産まれて来ない方が、良いと思っていますから、基本的に、生殖行為に嫌悪感を感じるんです。幼稚園児では、男女は、異性を、友達として、見ています。しかし、小学生も、学年が上になってくると、そして、中学生になると、異性として、意識し始めます。恥じらいます。それは、かわいい。しかし、高校生になると、女も、性を知り、男と平気で、手をつなぐようになる。恥じらいが、なくなる。それが、ノーマルなのでしょうが、僕には、それを見るのが、つらいのです。だから、僕の、理想的な、男女関係は、中学生の、恥じらいのある男女関係、です」 「なるほど。わかりました。では、次に、胃腸病のことについて教えて下さい」 「ええ」 「山野さんは、小説では、自分の病気のことを、ほとんど、書いていませんが、ブログでは、自分の消化器病のことを、結構、書いていますよね。ところで、過敏性腸症候群、って、どういう病気なんですか?ホームページでも、(過敏性腸症候群)と、題した文章がありますが、読んでみましたが、いまだに、わからなくて・・・」 「そういうふうに、聞いてくれる、だけでも、すごく癒されます」 「どうしてですか?」 「だって、世間の人は、親でも、そうですが、過敏性腸症候群、の辛さを訴えても、誰も、理解しようとしてくれませんから・・・。理解しようとしてくれる人は、過敏性腸症候群、に苦しんでいる人だけです。世間の人は、自分を無にして、相手の話を聞こうとは、決して、しません。自分の人生経験から、説教するのが、好きな人ばかりです。コンビニ人間、で、書いてあるように、土足で相手の心に踏み込むのが好きな人ばかりです。病気の、辛さを訴えても、祖父は、(オレも胃腸が悪くなったことがあるよ。しかし、オレは、こうして乗り切ったよ)と得々と自慢げに説教しますし、両親に言っても、(野菜はとっているのか)、とか、食事の注意ばかりです。しかし、そのくせ、世間の人間は、自分の苦しみは、訴えて、自分に対する理解は、必死になって、他人に、求めています。理解してくれないと、怒り狂います。自分の苦しみは理解されたいが、他人の苦しみは、自分の経験から、説教したがる。全く自分勝手だな、と、思います。それは、病気に限らず、全てのことで言えます。僕は、前から、そういう世間の人間の、身勝手さに気づいていましたから、人に理解なんか求める、というバカバカしい行為は、とっくの昔に、捨てています。病気や、自分の苦しさは、自分の努力で、治すものだと、思っています。つまり、自力本願です。そして、僕は、色々なことを試してみて、過敏性腸症候群、は、食事ではなく、運動が、一番、効果があると、わかり、健康のために、運動しているのです。ブログでは、自分の病気である、過敏性腸症候群、のことも、書いていますが。本当は、自分の病気のことは、書きたくないのですが。僕にとって、ブログは、書きたい事を、好き勝手に書いていますが、病気の考察の、記録でも、あるんです。今日は、調子が良かったが、それは、どうしてか、ということを、書くことで考えているんです」 「なるほど。そうだったんですか」 「たとえば。パラリンピックや、身体障害者の人を見ると、まず、見た目で、可哀想だな、辛いだろうな、と思ってしまいます。それは健常者に対する引け目だけでなく、ちょっと、想像力を働かして考えれば、片手の無い人は、歯を磨くのも大変だろうな、とか、トイレで用を足すのも大変だろうな、とか、障害によって起こる、二次的な、日常生活の、様々な、不便を想像してしまいます。しかし、障害者の人の表情を見ていると、結構、明るい人の方が多い。障害者の人が、日常生活で、どんなことが、辛くて、どんなことは、それ程でもない、のかは、他人には、わかりません。わかっているのは、障害者本人だけです。だから、障害者の人の、苦しみを、過剰に考えて、可哀想に思ってしまったり、逆に、想像しても思いつけないような意外なことで、苦痛になっている、ことも、あるはずです。ですから、他人の苦しみを、理解しようとする行為は、不潔だと、僕は思っています。一番、理解に近づくためには、相手に直接会って、相手の口から、話しを聞くことだと思います。それなら、ある程度、相手を理解できると思います。文章では、感情までは、伝えにくいですから」 「私も、そう思います」 「しかし、世間の人間は、どうしても、喋らずには、いられない。人を自分の先入観で、評価せずには、いられない。なので、人と、喋り合う。そして、お互いに、誤解し合って、お互いに、自分の主張を、言い合って、生きている。しかし、デリケートな性格の人は、他人に理解されたとも思わないし、他人を理解したいとも思わない。だから、人と話せなくなって、無口になってしまうんです。そして、無口だと、変人だと、言われるのです。アメリカ人は、喋ることが美徳です。喋らないでいると、あいつは、何も考えていないバカだ、と思われます。しかし、日本には、以心伝心、とか、沈黙は金、とか、謙譲の美徳、とか、の精神が昔はありました。今では、アメリカナイズされて、それらは美徳ではなくなってしまいましたが」 そう言って、彼は、一呼吸、おいて、さらに、話しを続けた。 「ちなみに、古倉さんは、ハンバーガーショップとか、牛丼家の店員、とかでは、ダメなんですか?」 「ええ。もちろん、私も、マクドルドや、吉野家で、働いたことも、あります。コンビニ同様、好きです。しかし、あれらは、早い、美味い、安い、を、売りにしていて、実際そうですが、流れ作業的です。しかし、コンビニは、何でも屋で、一つの、小さな、世界を感じるんです。食料もあれば、本もあれば、日用品もあります。人間の生活を感じるんです。商品は、売れてくれるのを待っている、私の、かわいい子供のような感覚なんです。努力、気配り、に、よって、お客様に喜んでいただけるし、お客様に、気配りできる余地がありますし、私の、努力によって、店の売り上げが、上がったり、する余地があります。それが、面白いのです。私も、いくつか、アルバイトをしましたが、コンビニ店員が、一番、私の相性に合っているな、と感じているんです」 「抱きつかれると、何も言わない、というのは、どうしてですか?普通、コンビニ店員が男に抱きつかれたら、最低でも、小さな声で、やめて下さい、と言うものですよ」 「それは、抱きついてくる、お客さんの、意図がわからないからです。単に、性欲が目当てなのか、あるいは、私を好きになってくれて、でも告白できず、心の中で、苦しい思いをしつづけて、ついに我慢できなくなって、そっと私の腰を、触れてしまった、というのかも、しれないじゃないですか。そういう人って、ロマンチストじゃないですか。私の、やめて下さい、の一言で、その人が、傷ついて、しまうのは、可哀想ですし、せっかくの、常連の、お客さんだったら、なおさら、お得意さんも、失ってしまいますし、その人の、純情な心も傷ついてしまうじゃないですか。だから、抱きついてくる意図が、わかるまで、声は出さない方針にしているんです」 「なら、僕も、あなたに、後ろから、そっと、腰を触れておけば、よかった」 彼は、ふざけて、そんなことを言った。 彼女は、ふふふ、と、笑った。 「ところで、古倉さんは、コンビニで、働いた日にしか、創作意欲が沸かず、小説が書けず、コンビニで働かない日は、創作意欲が、沸かないため、小説が書けず、それで、編集の担当の人から、コンビニで働く日を、増やすように、言われている、と、ネットに、書いてありましたが、あれは、本当なんですか?」 「ええ。本当です」 「そうですか。それは、ちょっと変わっていますね」 と彼は言った。 「山野さんの、創作意欲は、どうなんですか?」 「僕も、仕事をした日に、小説の、インスピレーションが、起こる、ということは、なぜかは、わかりませんが、よくあります。しかし、小説の、大まかな構想が、思い浮かんでしまえば、もう、しめたもので、あとは、働かなくても、インスピレーションで、起こった、小説の、構想を、文章にしていく、だけです。だから、働かなくても、小説は書けます」 「そうですか」 「僕が思うのに。古倉さんは、非常に、デリケートで、繊細で、でも、おとなしくて、体つきも、性格も華奢で、ガンガン、小説を、書く馬力が、ないように、思えます。なので、緊張感がないと、小説を書く、馬力が起こらないように、見受けられます。コンビニで、働くと、古倉さんに、緊張感という、強い刺激が、加えられるために、それで、精神が、活発になって、小説を書きたい、という、意欲が、起こる、ように、見受けられるんです。つまり、スポーツで言えば、ドーピング、です。働くことで、ノルアドリンが分泌されて、小説を書く意欲が、高まっているように思われます。どうでしょうか?」 「ええ。そうです」 と、彼女は言った。 「山野さんは、精神科医だから、異常な、精神の患者さんを、たくさん、見てきたから、異常な性格の、私を見ても、驚かないんですね」 「それは、違います」 「どう、違うんですか?」 「僕は、精神科医になりたくて、精神科を選んだのでは、決して、ありません。僕は、医学部を卒業した時、健康状態が、ガタガタで、外科はもちろん、内科も、とても、勤まる、体調ではありませんでした。それで、一番、体力的に、楽、と言われている、精神科を選んだのにすぎないのです」 「そうだったんですか」 「世間の人は、精神科医というと、人間の心を、精神分析する、医者、と、思っていますが、それは、全く、違います。昔の、フロイトの頃の時代は、神経症、つまり、ノイローゼ、の患者に、対して、精神分析も、行われていましたが、今の精神科医は、違います。精神科は、心理学ではなく、薬理学なんです。統合失調症の患者の薬の知識が、ほとんど、全てです。人間の心理に、興味のない人、や、苦手な人でも、つまり、誰でも、精神科医には、なれます。でも、そんなことを、ムキになって、世間に訴える気もありませんし、誤解している人には、どうぞ、精神科医を、好きなように、見て下さい、と、僕は、開き直った、態度でいます」 「そうなのですか」 「ええ。そうです。むしろ、医者、特に、精神科医、は、かえって、人の心に鈍感になってしまいます。これは、職業病です」 「それは、どうしてですか?」 「人の心を読む、という職業は、一体、どういう仕事でしょうか。たとえば、その一つは商売です。商売で、相手との、取り引き、契約、を成立させるには、相手との、虚々実々の、駆け引き、が必要になります。相手は、どういう性格だろうか、とか、どう言えば、相手は、どう感じるだろうか、とか、相手の心理を探ろうとしなれれば、なりません。また。商品を開発する技術者は、世間の人間が何を求めているか、ということを、細心の注意で、たえず、読もうとしなければ、売れる商品は、作れません。また、スポーツでもそうです。プロ野球でなくても、大学野球でも、高校野球でも、バッターは、ピッチャーが、次に、どんな球を投げてくるだろうか、と、ピッチャーの心理を読まなくては、なりません。つまり、相手と対等な仕事では、相手の心理を読まなければなりません。しかし、医者はどうでしょうか。医者と患者との、関係は、対等ではありません。医者の方は、先生、と呼ばれますが、患者は、先生とは、呼ばれません。つまり、医者の方が、上で、患者の方は、下、という、上下関係です。患者は、医者に対して、強気な態度には、出れません。特に、精神科では、そうです。精神科の、個人クリニックに行く人は、悩みや、精神的な病気で、毎日がつらく、助けて欲しくて、藁にもすがる、思いで、精神科クリニックに行きます。精神科医は、患者にアドバイスしますが、その、アドバイスに対して、患者は、医師に対して(それは違うんじゃないですか)とは、言えません。精神病院の、精神科医と患者の関係も、同じです。精神科医が、患者の問題点を、一方的に説教するだけで、その逆はありません。人から説教されず、一方的に、人に説教はがりして、自分で、ものを考えないでいると、精神が、どんどん、鈍化していきます。精神科医に限らず、社会的地位が上になって、権力や権威を持つと、人間は、どんどん、ダメになっていきます。スポーツでも、そうです。監督とか、コーチは、権威があります。なので、コーチに物申すことは出来ません。(こうしてみたい)、などと、自分の考えを言うことなど、もってのほかです。ひたすら、コーチの言うことを聞く、イエスマン、になるしかないのです。コーチは、一方的に、アドバイスというか、説教するだけです。だから、コーチも、どんどん、ダメになっていきます。古倉さん。あなたも、(マウス)という小説の中で、小学校のクラスの中の友達グループにも、いくつも、上下関係があって、下の、(おとなしい女子)、のグループは、上の、権力を持った(明るい活発な女子)、の、グループ、の心理を知り、それに合わせるよう、演じなくては平和な学校生活は送れない、と、書いているでは、ないですか。そして、あなた、つまり、田中律、は、(真面目でおとなしい女子)の三人組のグループの一員ではないですか」 「な、なるほど。そ、そうですね。でも、山野さんは、思索が深いですね。それは、どうしてですか?」 「それは、僕が、医師である、以前に、患者で、あるからです。あまり、自分の病気自慢のようなことは、言いたくないのですが。僕は、小学校の半分の三年間を、親と離れて、喘息の施設で過ごしました。僕には、普通の人間が持っている、集団帰属本能、というものが、ありません。なので、友達も一人もいません。喘息=内向的=ものを考える。という、図式が、僕には、見事に当てはまるのです。古倉恵子さん。あなたも、普通の、元気で溢れている、人間と違って、元気のエネルギーが、少ないですね。あなたの、小説を読んで、それを、つくづく感じました。元気のエネルギーが少なく、デリケートだと、人とのつきあいが疲れる=孤独を好む=内向的になる=ものを考える=空想にふける。という、傾向になります。そういう点で、僕は、あなたと、同類の人間だと思っています」 時計を見ると、もう、9時だった。 「古倉恵子さん。本当のことを、言います。僕は、あなたになら、殺されてもいいです。ただ、今は、僕は、まだまだ、小説を書きたい。し、書きたい小説があります。だから、僕が、体力が無くなって、小説が全く、書けなくなったら、僕は、あなたの手にかかって、殺されたい。医学の進歩の皮肉で、安楽死を望む人は、これから、もっと、増えていくでしょう。(殺人出産)で、殺される人は、憎い人ではなく、(死)を希望する人なら、いいのではないでしょうか?」 彼女は、ニコッと、笑った。 「山野さん。これからも、時々、お話ししても、いいですか?」 「ええ。僕は構いませんし、光栄ですが。あなたには、文学を語り合える友達が、たくさん、いるじゃないですか?」 「ええ。確かにいます。でも、彼女たちは、私のことを、クレージー、と、言うんです。彼女らは、元気があり余っていて、キャピキャピ、一刻たりとも、休むことなく、喋りつづけるんです。彼女たちも、やはり、常識的な人間です。そして私を、変わり者、と、見ているんです。なので、私は、彼女たちにも、変わり者、と、見られないよう、世間の普通、の基準のマニュアルの教科書で、対応しているんです。本心は、言えません。そうしないと、私。友達がいなくなっちゃいますから。ですが。山野さんは、根っから、おとなしくて、無口で、私を、変人と見ていません。だから、山野さんと、話していても、疲れないんです」 「そうですか。そう言って、もらえると、嬉しいです」 そんなことを話して、彼女は、彼のアパートを出ていった。 翌日からは、彼は、また、セブンイレブン湘南台店で、コンビニ弁当を買うようになった。 古倉さんは、コンビニで働いている。 というか、働きながら、小説を書いている。 彼も、古倉さんに、「努力」、という点で、負けないように、頑張って小説を書いている。
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