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死にやすい領主様
燃え盛る炎が夜闇を赤く染め、豪勢だったのだろう屋敷を、見る影もなく燃やし尽くす。
腹の大きな男は、めくれ上がる絨毯にうつ伏せ、苦悶の表情を浮かべていた。
――彼こそは、この地を治める領主であり、本家ゲルトシュランクの教えのままに、暴虐の限りを尽くしてきた。
額に脂汗を浮かべた男が、突き出た腹を撫でる。
豊かな脂肪に刺さったままのナイフが、痛覚よりも熱を傷口に与えた。
崩れた梁が、男の真横に落ちる。
火の手はますます迫り、もがくことすらできない彼は、黒煙と熱気に喉を焼かれながら、引きつった呼吸で懸命に命乞いを続けていた。
「――……の仇!!」
しかし、悲しいかな。
最後に男が見た景色は、炎に照らされた黒髪の男が、己へ向けて斧を振り下ろしている姿だった。
「――っ、ひっく、ひっ、うぅッ」
真夜中にベッドから起き上がった子どもが、しゃくりあげながら瞼をこする。
ここのところ連日で見ている悪夢に、少年はすっかり怯えきっていた。
「ひっ、まり、……まりあぁ」
ぐずぐず泣きじゃくりながら、最愛の乳母の名前を高い声が呼ぶ。
しかし、普段であれば飛んでくる彼女の姿が見えない。
不思議に思った少年、ノキシス・グレーゴルの涙が、はたりと止まった。
「マリア……?」
内気に掠れた喉で呼ぶも、返事すらない。
少年は恐々とベッドから抜け出し、冷たい床に裸足をつけた。
底冷えするそれに身体がすくみ上るも、彼は今すぐにでもマリアに会いたかった。
ぺたぺた裸足を鳴らしながら部屋の扉を開け、そーっと廊下を進む。
静まり返った廊下は明かりもなく、引っ込み思案の彼はぶるりと身を震わせた。
「マリア……っ」
か弱い声で最愛の名前を呼び、恐る恐る、裸足を廊下へ乗せる。
――ぺた、ぺた。
響く足音はひとりぼっちを強調し、怖がるノキシスの目には、再び涙がたまっていた。
「――っ、――……」
「!?」
微かに聞こえた人の声に、小さな肩が跳ねる。
耳を澄ませてみれば、どうやら誰かが喋っているらしい。
勇気をふり絞ったノキシスが、壁伝いに廊下を進む。
どうやら声は、うすらと明かりのもれる扉から響いているようだ。
――だれかいる。
そう考えたノキシスは扉へ近づき、誰が話しているのか聞き分けようとした。
「――ですが、奥様ッ!」
「騒々しいですわ。わたくしの命令が聞けませんこと?」
耳に馴染んだマリアの声と、零下を思わせる冷え冷えとした母親の声。
少年ははたと立ち止まり、その顔色をすっと青ざめさせた。
彼は母親のことが苦手だった。
しかしそれ以上に、この情景に既視感があった。
――はじめて見るはずなのに、覚えがある……!!
ノキシスの脳裏で、パズルのピースのように、符合箇所が音を立てる。
毎夜見る、屋敷が燃える夢。
腹の突き出た自分と、圧政に苦しむ領民。
どこにもいないマリア。
そして自分を殺す、黒髪の男。
ぱちり、ぱちり。当てはまったそれに、少年は絶句した。
――わたしは、一度死んでいる。
そしてこのままだと、また同じように、領民が屋敷に火を放って、わたしを殺す。
このまま、またマリアがいなくなってしまったら、わたしは……!!
「せめて、廃棄理由をお教えください……」
「しつこいですわね。……ふん、まあいいですわ」
高圧的な母親の声が、扉越しにくぐもって聞こえる。
――情報がほしい。
もっとよく聞こうと、ノキシスは明かりのまぶしい扉へ近づいた。
「あの子、ノキシスが――」
しかし残念なことに、ノキシスの足は冷え切っていた。
そしてもっと残念なことに、少年はどんくさく、運動が苦手だった。
そーっと動いたはずの足はもつれ、「あわわ!?」といった間の抜けた声とともに、扉を大胆に押し開ける形で転んでしまった。
べしょっ、顔面から転んだ少年に、いち早くマリアが気づく。
慌てて駆け寄ろうとした彼女よりはやく顔を上げ、ノキシスは緊張に上擦った声を発した。
「ぁ、あ、のっ! お、母さ……ま……」
音楽記号で表すならば、デクレッシェンド。
徐々に小さくなる言葉尻に、彼の母親が柳眉をつりあげる。
反対に俯き続ける内気な少年は、それでも勇気を振り絞った。
「……こ、こわ、い、夢、をみ、て……しまった、の、で、……」
少年の頬に熱がのぼる。
真っ赤な顔を懸命に俯け、冷淡で有名な母親の顔を、恐る恐る上目で見遣った。
「いっしょ、に、……ねても、……いい、で、しょうか……?」
「マリアではなく、わたくし、ですの?」
冷たい響きの問いかけに、ふるり、少年が頷く。
ひとつ鼻を鳴らした母親が、手の甲で払う仕草をした。
「……マリア。ベッドの支度をなさい」
「えっ」
「聞こえませんでしたの? さっさとなさい」
「し、失礼いたしました」
整った礼をしたマリアは寝所へ駆け込み、ベッドメイクに急いだ。
ノキシスを見下ろした母親が、にやりと口許をゆがめる。
「どういう風の吹き回しかしら。ノキシス」
整った指先で、涙のあとの残る頬をなぞり、母親が問いかける。
もじもじと俯くノキシスは、必死に彼女のシュミーズドレスの裾を握っていた。
「まあ、いいですわ。……あなたにも、意外とかわいいところがありましたのね」
ノキシスが7歳の頃。
ひとり息子が懐かないことに機嫌を損ねた母親が、乳母である自動人形を廃棄しようとした日。
この日を境に、彼の世界は大きく道筋を変えた。
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