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「あー、こんな事してる場合じゃなかった」
私はそう声を上げると、ローテーブルの上にスマホをぽんっと放った。
そう、私は2月にシノハラフードを退職して以来、「音の食堂」以外に仕事をしていないのだ。
退職金も支給されたし、結婚資金として貯めていた貯金も結構あるから、直ぐ生活に困る訳ではないけれど、ずっとこのままではいけない事もわかっている。
そろそろバイトを探そうと思っていて、またダラダラとスマホを弄って過ごしてしまった。
「音の食堂」での勤務は、木曜の定休日以外、午前10時から午後3時まで。
本当は平日だけの約束だったんだけど、今まで土日に入っていた佑弦さんがシフトを譲ってくれたのだ。
佑弦さんは昼間、物流センターという所でバイトしていて、そっちの方が時給が良いらしいのだ。
後は、佑弦さんがライブなんかで都合がつかない時だとか、大きなイベントなんかで人手が必要な時に夜勤務で入ったりする。
だからもう一つバイトをするとしたら、夕方から夜にかけて。
「音の食堂」の夜勤務に出る事を考えたら、固定シフトじゃないところ。
けれど、この生活をいつまで続けていくのか、という事を考えると、なかなか踏ん切りがつかないのだ。
でももう3月も終わりが見えている。
いい加減、自分がこれからどうしたいのか、見えてきても良い筈なんだけど……。
私は、「シンプルな生活」とは程遠い自分の部屋に目をやった。
生活していると、どうしても物が増えてくる。
なるべく物を増やさないように、と悩んだ末に購入した小さめのチェストの上には、ガチャガチャで出したフィギュアやキャラクターグッズが並んでいるし、昨日は、モフモフの生地が気持ち良くてコロンと丸くて可愛らしい猫のぬいぐるみを、我慢出来ずに買ってしまったのだ。
「なかなか響子さんみたいにはいかないなぁ」
私はそう呟くと、猫のぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
ぬいぐるみは柔らかくてふわふわで、どうしようもない私を優しく受け止めてくれている気がした。
「とりあえず履歴書用紙でも買いに行くか」
私はぬいぐるみをローテーブルの脇にそっと置くと、ゆっくりと立ち上がった。
考え過ぎて頭から湯気でも出そうな私の前髪を、柔らかな風がふわりと巻き上げていく。
その流れの先では、響子さん宅のキンモクセイの葉がサワサワと優しい音を立てている。
目を細めてのどかな気流の後をおっていると、一瞬、剪定されたばかりの葉っぱの向こう側も、同じように揺らめいたような気がして、私は足を止めた。
緑に息づく樹葉の向こう側には、いつも綺麗に拭き清められているリビングの大きなガラス窓がある。
私は10時からの勤務だけど、響子さんはもうスープの仕込みでお店に出てる筈……。
恐る恐る覗き込んでみると、ガラスの向こう側にある筈の白いカーテンがユサユサとうごめいている。
まさか、……泥棒?
私はゴクリと唾を飲み込んだ。
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