豚と根菜の味噌スープご飯と捨てられたもの ③

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 2曲目はオリジナルの曲のようだった。再び、おっさんの伸びやかな声がフロアに響く。  その声はもの柔らかでありながら、全てを包み込むような力強さも持ち合わせているように思えた。  ラストでアルペジオが奏でられ始めてからやっと、俺は「おや?」と思った。  なるほど、だからこんなにも優しく響くのか……。  おっさんはピックを使わずに、指で金属の弦を(はじ)いていたのだ。  俺はエレキギターと言えば、ピックで弾くものだとばかり思っていた。  おっさんのがっしりとした指でつま弾かれる音色は繊細で、それでいて躍動感に溢れていた。  きっとおっさんも若かりし頃は、大きな会場で演奏し(やり)たい、もっと大勢の人の心を動かしたい、そう思っていた時もあったのだろう。  おっさんが今までどういう音楽活動を行ってきたのかはわからない。  どうして「音の食堂」( ここ )にたどり着いたのかも……。  それでも、優しくも芯の通ったこの音色は、おっさんが目の前にあるもの一つ一つにきちんと向き合って生きてきた証のように思えた。  それから逃げる事なく……。  おっさんはその後も、華麗なギターソロからコードバッキングまで、全ての曲を指弾きで奏であげた。  ライブの時間は30分ほどだっただろうか。  ドアのプレートに書かれていた名前は4組分だったから、一人の持ち時間はそんなものなのだろう。  おっさんが片付けに入ってから、俺はステージに近づいていった。  ステージとはいってもフロアとの段差も柵もないので、こちらからでも彼の機材を見る事ができるのでは、と思ったからだ。  ステージ前でおっさんとお喋りをしている女のフワフワと揺れる髪を避けようと、俺が少し左側にズレたその時だった。  ふと、視界に飛び込んできたそれに、心臓がドクリと大きな音を立てた。  ステージと出入り口の間には、その向こう側にあるトイレの分だけフロア側に飛び出た壁がある。  その壁に、俺の目は吸い寄せられ、どうしても逸らす事ができないでいたのだ。  楽しげにグラスを傾けている人達の誰一人注目などしていないであろうそれに……。  気がつくと、ステージの上ではおっさんではなく、二人の女性がセッティングを始めていた。    それでもぼうっと立ち尽くしている俺に、誰かが後ろからトンっとぶつかってくる。 「あ、ごめんなさい」  若い女性にそう声をかけられて、俺はようやく小さく一歩を踏み出す事ができた。  そしてそのまま、ロボットのようにギクシャクとした動きで重い金属の扉に手をかけた。  火照った頬を、ひんやりとした風が撫でていく。  俺は走ったあとのようにハアハアと荒い息をつきながら腰に手をやった。  ただ狭い階段を上ってきただけな筈なのに……。  
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