豚と根菜の味噌スープご飯と捨てられたもの ⑤

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 俺は再び女性に深々と頭を下げてから、古い住宅を後にした。  鈴は全てわかっているのだろうか、俺が家を出る時も、丸い大きな瞳でこちらを見つめるだけで、後を追ってくる事もなかった。  柔らかな風が大きな庭木の枝をさわりと揺らしてから、やがて家々の間に消えていった。  黄色い帽子を被った小学生が、自分の体の幅よりも大きなランドセルをガタガタと鳴らしながら、通りをかけていく声が聞こえる。  メガネの女性は何も言わなかったけれど、あの家で俺を見た時「おや?」っという顔をしたような気がする。  飛び込みでライブを観にやってくるお一人様のジジイなんて、そうはいないのだろう。  ステージ横の壁に貼ってあった迷い猫の張り紙を、俺が見ていた事に、彼女は気付いていたのかもしれない。  何となく、鈴代の小さな瞳の中に宿っていた柔靭な輝きが、女性のものと重なって見えるような気がした……。    それにしても、彼女は「一人で暮らすのは寂しい」と言っていたけれど、あの大きな家に一人で住んでいるのだろうか……。  この歳で、一緒に暮らしてくれる者がいるというだけでありがたい事なのかもしれない……。  この地に思い残す事はもうなくなった。  この世でたった一人だけ、鈴代の味噌汁を作る事ができる娘の所へ行こう。  これからも毎日味噌汁ご飯が食えるのだ。  娘もきっと「お行儀が悪い」と言うと思うが……。
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