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「いらっしゃいま……せ」
私は思わず扉の方へ向けていた営業スマイルをこわばらせた。
スキンヘッドに鼻ピアス。耳たぶには大量の金属がぶら下がり、首元から覗くタトゥーには何やら漢字が沢山使われている。
金属の部品が沢山付けられたレザーパンツは、膝の辺りで右足と左足が何本かの黒いベルトで繋がっていて、走ったらコケてしまいそうだ。
男性は顎を少し突き出すようにしながら、ゆっくりと店内に入ってくる。
私はその鋭い視線から逃れるように首を縮こませた。
けれど、そのギラギラとした眼差しは私の頭の僅か上を睨みつけていて……。
その視線の先を辿っていくと、佑弦さんが相手を射抜くような鋭い眼光を放っていた。
男性は怯む事なく、佑弦さんの直ぐ目の前まで進み出る。
一重瞼の奥からギロリと向けられる男性の眼差しを、冷ややかな光を放ちながら佑弦さんの二つの瞳が受け止める。
二人共、私の事なんか視界の隅にも入っていない、とでもいうように……。
男性はそのまま佑弦さんに視線をぶつけながら、唇の片方だけを吊り上げてみせた。
「元『KIHOU』の佐渡 佑弦がこんなちっちぇハコとは、落ちたもんだよなぁ」
「……んだとっ! もう一回言ってみろ!」
更に佑弦さんが男性に近づくと、殆ど身長の変わらない二人は、唇が触れ合うくらいの距離になる。
けれど当然、二人の間に流れている空気はそんな甘いものじゃなくて……。
「店内で揉め事はご遠慮願います」
二人の間に割って入ったのは、響子さんの穏やかな声だった。
響子さんは自分よりもずっと大きな二人に臆する事なく言葉を続ける。
「どうしても、と言うなら外でやっていただきます」
口調は変わらず穏やかであったけれど、メガネの奥の黒い瞳は相手に有無を言わせない力強い光を放っていた。
「……すみません」
佑弦さんは眉間にシワを寄せたまま、カウンターの上に視線を落とす。
「よ、嘉成さん、何してるんっすか」
声をかけてきたのは、先程までステージで弾き語りを披露していた男性だった。
「何って、お前の晴れ舞台を見に来てやったんだろーが」
「えっ? でも、もう俺終わっちゃいましたよ」
「げっ、マジか!」
「一番手だって言っといたじゃないっすかー」
男性が情けない声を上げると、嘉成と呼ばれた男性は綺麗に剃り上げられた頭をポリポリとかいた。
「あー。……まあ、そういう訳だから……、今日のところは勘弁しといてやるぜ!」
男性は大きな声を上げると、服に沢山つけられている金属をガチャガチャと鳴らしながら、扉の向こうへと消えていってしまった。
響子さんは何事もなかったかのようにステージへ戻ると、次の出演者のセッティングを確認し始めた。
リハがなく、一人ひとりの持ち時間が短いうえに、ライブ自体不慣れな人が多いから、響子さんは大忙しなのだ。
カウンターの向こう側へ戻った佑弦さんの表情は厳しいままで、流し場からは、ガチャガチャと乱暴にグラスを洗う音が聞こえてくる。
「……お前、『目の前にある事を大切にして生きていきたい』って言ってたよな?」
突然の佑弦さんのセリフに、訳がわからず私は頷いてみせる。
「それが誰かを傷つけるとしたら?」
「えっ……」
「それでもお前は、自分の目の前にある事だけを大切にして生きる事ができるのか? その強さがあるのか?」
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