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辛口ジンジャエールと本当の自分 ③
涼子さんのライブを観てる時はいつも、湖の底にいるみたい、って思う。
彼女がツマミを捻ると、スピーカーからウォーンという音が響く。
そして更にツマミを捻ると、今度はジーっという音がその上に追加される。
涼子さんがツマミを捻る度追加される音は、それぞれが干渉し合って、そこからまた新しい音が次々と生み出されていく。
涼子さんが演奏しているのはモジュラーシンセ(*)という電子楽器だ。
ステージ中央に据えられた台の上に置かれた幅50センチ程の四角いその装置は、沢山のツマミとジャックに繋がれた色とりどりのケーブルが物々しくて、何かの電子回路といった雰囲気だ。
シンセと言っても鍵盤はなく、楽器というよりもまるで実験装置みたい。
そして涼子さんがやっているのは、ハーシュノイズというジャンルらしい。
リズムもメロディもなく、そこにあるのはただ音だけ。
ただ大音量の音。音。音。
スピーカーから流れ出す、粒ではなく液体状の音がフロア全体を包み込んでいく。
重なり合った音は、潮の流れとなって会場全体を静かに揺らす。
緑色の湖の底であたしはそれにただ身を委ねるんだ。
でも何だか不思議。
スピーカーから流れてくる音は、耳を塞ぎたくなる程大きな音なのに、何故か……静か。
熱過ぎる湯船に浸かると、足先が冷たいように感じるのと同じ原理なのかな。
そして、目を瞑ってその音の流れに身を委ねていると、液体の音の中にメロディーを感じる時がある。
ふとした瞬間に、ああこれだ。このメロディー。このリズム。
それが実際に耳から入ってきた物なのか、それとも自分の中から湧き出てきた物なのか、だんだんと境界が曖昧になってゆく……。
そして涼子さんがまたツマミを一つずつ絞ると、重なり合っていた音が流れて消えてゆく。
それからあたしは、小さな波がキラキラと揺れる湖面にゆっくりと顔を出すんだ。
「果音。そろそろ出た方がいいんじゃね?」
智君にそう声をかけられて、あたしはまだぼうっとしている頭をフルフルと振った。
「……ああ、そっかー。やっぱ、21歳にもなって門限10時半はキツイなー」
あたしが思わずそう漏らすと、隣りで智君が口を尖らせた。
「果音がそれを言うかー?」
「ごめーん」
あたしはそう言うと首をすくめてみせた。
(*)—— モジュラーシンセとは、オシレーターやフィルター等のそれぞれ単体のモジュールを、パッチケーブルで繋いでいく事によって音作りを楽しむ電子楽器です。
作中では使用していませんが、鍵盤も繋ぐ事ができます。
一般的に知られている鍵盤のついたシンセサイザーも、モジュラーシンセから進化しました。
モジュールの組み合わせにより、いくらでも自分好みにカスタマイズできる事と、パッチケーブルの繋ぎ方によって予想外の音を生み出す事もできる自由度から、一部のマニアに人気があります。
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