辛口ジンジャエールと本当の自分 ③

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 そう、ウチの門限は10時半。  遊びもバイトも10時に終わらせて帰って来なさい、って事なんだけど、それに付き合わされる智君の方が面倒くさいに決まってる。  けど、智君はいつも文句も言わず付き合ってくれる。  それどころか、つい夢中になって忘れそうになるあたしをたしなめてくれたりするんだ。 「でも高校までは6時だったから、もっと大変だったよ」 「マジかー。どこも行けないじゃん」 「でしょ、だから時々プチ家出して響子さんとこに行ってたんだ」 「響子さんって、例のライブバーやってる叔母さんだっけ?」 「そうそう、涼子さんは、叔母さんが昔やってたガールズバンドでキーボード担当してたんだよ」  そう言って、あたしはステージの上でモジュラーシンセを片付けている涼子さんに視線を送った。 「へえ、何か意外だな。果音の叔母さんって何かこう……、ちょっと地味ってゆうか……」 「うーん……」  あたしは少し言い淀む。  確かに人にペラペラと喋る事ではないけど、あたしの親戚の事だから、智君にはちゃんと知っててもらいたい。 「あのね、響子さんの旦那さんがsound or noiseの瀬尾 奏一郎さんで、ちょうど16年前に亡くなっちゃったってのは話したよね?」 「うん……」  智君は真剣な表情で頷いてみせた。 「それは突然の交通事故だったんだけど……」  響子さんは元々派手なイメージはあまりなかったけど、奏一郎叔父さんが亡くなるまでは、歳相応の格好をしてたと思う。  あたしはまだ小さかったからよく覚えていないけど、奏一郎叔父さんは、いつもニコニコしてて人の良さそうなおじさんって感じで、モジャモジャの髪を後ろで一つにまとめてる以外は、あまりミュージシャンっぽくなかった。  でも二人はとても仲が良くって、子供ながらにお似合いの夫婦だな、なんて思ってたんだ。  響子さんから連絡があった日は、お父さんとお母さんが何だか真剣な表情でバタバタしてたのを覚えてる。  でも「果音はまだ小さいから」って詳しい事は教えて貰えずに、お父さん方のおばあちゃんに預けられたんだ。  奏一郎叔父さんが亡くなっちゃった、って知ったのは色々落ち着いてから。  それでも「響子叔母さんはショックを受けて落ち込んでいるから」ってしばらくの間、会わせてもらえなかったんだ。  しばらくぶりに会った時、響子さんは、それまで通り優しい笑顔を浮かべていたけど、事故以来、飾り気のないモノトーンの服しか着なくなっちゃった。  黒縁メガネをかけて、髪もいつも一つにぎゅっと結んで。  何だか自分自身に対する戒めみたいに……。 「16年間、ずっと?」 「うん……。でも響子さんは果音に辛そうな表情なんか見せた事なんかなくて、いつも穏やかに微笑んでるんだよ」 「強い人なんだね」 「そう思う。プチ家出した時もね、果音がバーっとお母さんへの文句を並べ立ててる間、何も言わずにうんうんって頷きながらただ聞いててくれるの。果音の脈絡のない話を」 「ふふっ。果音の反抗期って、小ちゃい子が床に大の字になってヤダヤダって足をバタバタさせてるのを時々見かけるけど、そんな感じでしょ?」 「ううっ……」  さすがに床には転がらなかったけど、理屈ではお母さんには対抗できなくて、とにかくヤダヤダって騒いでた気がする……。  お母さんは門限以外にも色々厳しくて、高校生くらいまでは、お母さんの気持ちを理解できずに何かと反発してた。  でも最近になってやっと、これが『親の愛』なんだなぁ、なんて思えるようになってきたんだ。  テーマパークとかに行ったりした時は、前もって電車の時間とかを説明しておけば、その分遅くなっても許してくれるし、智君をお母さんに紹介したら、嫌がらずにちゃんと会ってくれた。  前はデートの時なんかはコソコソとでかけていたけど、ちゃんとお互い向き合って、丁寧に説明すればわかってくれる。  お互い『信頼関係』というものがあれば、わかり合えるし、許し合える。  そんな事がやっとわかってきた気がする。  あたしもになったから。 「果音、カップ」  そう言って、智君は大きな手のひらを差し出してきた。  あたしは慌てて少し水っぽくなった、ただ甘いだけのジンジャーエールを喉に流し込む。  カップを傾けると中に入っていた大きな氷が、ツーっと滑ってきて唇にトンって当たる。  何だか冷たいキスみたい。  あたしがそれを手渡すと、智君は自分のコーラの入っていたカップと一緒にカウンターに返しにいってくれた。  ドリンク定額制(*)のライブの場合、どう考えたってアルコール類よりも原価の安いソフトドリンクの方が損になる。  でも智君はあたしと会う時はいつもアルコールは飲まない。  毎回お母さんと会う訳ではないけれど、家まで送ってくれた時にアルコールの匂いをさせてたらマズイから、って。   「ありがと」    あたしはそう言うと、カップの氷で冷たくなっちゃった智君の手を、自分の二つの手のひらで包み込んだ。   (*)——ライブハウスの多くは飲食店で営業許可を取っているので、飲食物の注文が必須になります。  混雑や混乱を防ぐ為、ドリンク定額制をとっているお店が多いです。  2022年現在、東京都の相場は600円ぐらいでしょうか。  因みに「音の食堂」はスタンディングでキャパ40〜50人ぐらいなので、定額制ではなく、ドリンクそれぞれの代金をいただく、という設定にしています。
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