辛口ジンジャエールと本当の自分 ④

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辛口ジンジャエールと本当の自分 ④

 黄色いゴミ袋をダストボックスに入れてから、その扉を静かに閉める。  サワリと前髪を揺らしてゆく心地よい風に、私は思わず顔を上げた。  駅へ向かう人達は皆揃って無表情で、すっぴんの私の事など気にする事もなく、足早に目の前を通り過ぎてゆく。 『お前、いつまでこのアパートにいるつもりだ』  口の悪い佑弦さんの事だから、いちいち気にする事ではないのかもしれないけれど、つい気を抜くと、あの時の言葉が頭の中に甦ってきてしまう。  何となく佑弦さんと顔を合わせたくなくて、この間から私はゴミ出しの時間を少しずらしている。  沈丁花の白い花の間から見える一階の端にある扉は、まだ静かなままだ。  あの時は頭にきてあんな態度をとってしまったけれど、佑弦さんの言わんとしていた事はもっともだと思う。  私ももう少ししたら27歳になってしまう。  再就職だって時間が経てば経つほど不利になっていくだろう。  ここの生活が心地よ過ぎてつい長居してしまいそうになるけれど、これはあくまでも期間限定の——言わば神様からのプレゼントのようなものなのだ。  あまりにも酷い事が立て続けに起こったから……。  でもちゃんと現実を見て、身の丈に合った生活をしないと将来後悔するぞ、とそういう事なんだろう。  私は響子さんや佑弦さんみたく、自分の中にある何かを形にしてみせる事なんてできない。  地道に生きていくしかないのだ。    そのまま自分の部屋へ戻ろうと、響子さん宅のリビングの前を通りかかったその時だった。  オリーブの枝の向こう側で、何か黒い影が動いたような気がして私は足を止めた。  広いリビングの隣には古い洋室がある。  履き古したデニムにヨレヨレのチェックシャツを羽織った中年男性が、その出窓の中を何やら覗き込んでいたのだ。
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