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「チキンとポテトのハーブ焼き」をオーブンで焼いている間に、私はジンジャエールの緑色のビンを冷蔵庫から取り出した。
「音の食堂」で出しているジンジャエールは、カクテルで使っているのと同じ物を出しているので、辛口だ。
色もほんのり茶色味がかったソーダのような物ではなくて、麦茶のような褐色。
王冠の端に栓抜きの爪の部分を引っ掛けると、向こう側に勢いよく引き上げる。
シュポっと心地よい音と共に、固く閉じられていた金属の蓋が飛んでいった。
「お待たせ致しました」
私はビンに入ったままのジンジャエールをカウンターの上にコトリと置いた。
響子さん曰く、ビンのまま提供した方が炭酸が抜けにくいのだそうだ。
「お前、これ飲んだ事あるか?」
「えっ、ない……けど」
「飲んだ事もなくて、どうやって客に説明するんだ?」
メニュー表には辛口と明記してあるけれど、ランチタイムにジンジャエールの注文が入った時は、辛口でも大丈夫かどうか必ず確認を取るよう響子さんに言われている。
お子様連れの時は特に。
確かに実際に飲んでみないと、どのくらい辛いのかわからないし、それをお客さんに説明もできない。
でも、お店のドリンクを全て飲んでみる、という訳にもいかないと思うのだけど……。
私がそんな事を考えていると、緑色のビンが唇の直ぐ前にグイっと差し出されてくる。
「試しに一口飲んでみろよ」
そう言っている佑弦さんは、何だか面白い物でも見るような目をしている。
「う……ん」
思わずそのまま口を付けそうになってから、私は慌てて下を向いた。
いやいや、このまま飲んだら間接キスになってしまうではないか……。
急に頬が熱を帯びてゆくの感じる。
いや逆に、そんな事考えるなんて自意識過剰なんじゃないのか……。
果音ちゃんと神社でこっそりと会っていながらも、こうやって私と普通に話している、という事は、佑弦さんにとって私はどうでもいい存在である、という証拠なのかもしれない。
それでも、一度意識してしまった緑色の瓶の先は、艶やかに室内の灯りを返していて、嫌でも佑弦さんの形の良い唇を連想させる。
何だか頭の中がぐるぐるとしてきて、体中の血液が更に頭部に集まってくるのがわかった。
「音の食堂」の照明が、顔色のわかりにくいオレンジ色のもので良かったな、と思う。
横目でチラッと色白な頬を見上げてから、急いでグラスを取り出すと、褐色の液体を少しだけそれに注ぐ。
そして、佑弦さんに赤くなった頬を見られないように勢いよくグラスを煽った。
グラスを傾けてまず感じるのは、生姜の刺激的な香り。
茶色い液体を一気に喉の奥に流し込むと……。
「……グェッホ……ゲホッ」
私は涙目になりながらも何とか吐き出さずにそれを飲み込んだ。
まさかお客さんのいる前で吹き出す訳にもいかない。
今まで飲んできた、ただ甘いだけのジンジャーエールとは全然違う。
正に生姜汁のソーダ割りという感じ。
生姜は別に嫌いではなかったけれど、さすがにこれは、ガツンとくる生姜の辛味と、弾ける炭酸の泡で口の中と喉が痛いのだ。
「……ブハハハハッ」
嬉しそうにお腹を抱えている佑弦さん。
もしかして、わかってて私にこれを飲ませたって事?
やっぱり佑弦さんは意地悪だ。
ドキドキしてた私がバカみたい。
いつまでも笑っている佑弦さんの前に、ドンっと音を立ててジンジャエールのビンを置くと、中の液体がカウンターの上にピシャリとはねた。
「お電話ありがとうございます。『音の食堂』でございます」
レジ横に置いてある電話機のランプが点灯すると、響子さんが静かに受話器を取り上げた。
「音の食堂」は音楽を楽しみながら食事をしてもらうのがコンセプトなので、ライブ中はもちろん、そうじゃない時も、店内を優しく流れるBGMを邪魔する電話の呼び出し音は、消音にしてあるのだ。
「……えっ、果音が?」
響子さんの声に、佑弦さんがすかさず厳しい顔を向けた。
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