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私は黙って棚から銅でできたマグカップを取り出した。
まずは氷をその中に入れて、マグカップを良く冷やしてから溶けた氷を一旦取り出す。
そして、再び氷を入れてから、ウォッカとライム果汁、ジンジャエールの順に入れていく。
ジンジャエールを入れてから混ぜ過ぎると、炭酸が抜けてしまうから注意だ。
仕上げにライムスライスを載せてから、私はそれをカウンターの上へ静かに置いた。
「サービスです」
私が初めてここに来た時、響子さんにカシオレを静かに差し出されてから、全てが始まった気がする。
響子さんは少し掠れた声で「ありがとう」というとマグカップをゆっくりと手に取った。
店ではグラスで出しているけれど、本来、モスコミュールは銅製のマグカップで提供する物なんだそうだ。
響子さんは打ち上げの時に、自分専用に置いてある銅製のマグカップでモスコミュールをよく飲んでいる。
「レシピを見ないで作ったので、お口に合うかどうか……」
響子さんは濃いめが好きだから、ウォッカの分量を少し増やしてみたのだ。
「美味しいわ……」
響子さんは銅製のカップを静かに傾けてから、小さく呟いた。
彼女が目尻にシワを寄せると、果音ちゃんの前では溢れ落ちる事のなかったキラリと光る滴が、色白の頬を伝って流れ落ちていった。
白く細い指先がそれを静かに拭う。
マグカップの中で、アルコールによって溶かされた氷が、カランと涼やかな音を立てた。
「……奏一郎は全てわかったうえで、私の事を受け入れてくれたの。果音も姪っ子としてとても可愛がってくれたわ」
「優しい人だったんですね」
「そうね……。優しくておおらかで、深い心で何でも受け止めてくれる人だったわ。それが分け隔てなく誰に対してもだから、ちょっとやきもちを焼いてしまうくらい……」
そう言って響子さんは、ほんの僅かだけ口元を緩めてみせた。
つられて私も「ふふっ」と小さく息を吐く。
やきもちを焼いてご機嫌ななめの響子さん。
ちょっと見てみたい気がする……。
「奏一郎だけではないわ。あの子を立派に育ててくれた姉夫婦。こんな私を支えてくれた両親。再び舞い戻った私を受け入れてくれた音楽仲間。もちろん果音も……。そして琴音さんと佑弦君。私の周りにいるのはみんな優しくて素晴らしい人達ばかり」
「私は何も……。いつも響子さんに助けて貰ってばかりで……」
響子さんはその小さな顔に柔らかな笑顔を浮かべながら、ゆっくりと首を左右に振ってみせた。
「だから……、せめてもの恩返しができたら、と思って『音の食堂』を続けているのよ」
そうか、だから心に傷を負った様々な人達が「音の食堂」に引き寄せられてくるのか……。
私も響子さんと出会わなかったら、一体どうなっていた事だろう……。
いつか私も響子さんに恩返しができたらいいな、と思う。
私は少し迷ってから、自分用に冷蔵庫からジンジャエールのビンを取り出した。
今日は酔って記憶をなくしてしまわないようにしないと……。
「明日は休みですし、朝まで女子会しましょ」
そう言ってほんの一口だけ含んでみたジンジャエールは、やっぱりとても辛くて、私にはまだまだ大人の味だった。
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