アサリの中華スープと大切なもの ①

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「……したら、説得するよう説得する」 『は?』  嘉成さんの言葉に、思わず私と佑弦さんは声を揃えてしまった。 「佑弦がまた自分の音楽活動を再開するように、説得するようコイツを説得する」 「お前、何意味わかんねー事言ってんだ?」 「いつまで(のぞむ)の事でイジケてんだよ。お前はあんな小っちぇハコでやるヤツじゃねぇだろ?」 「響子さんの店を悪く言ったら許さねぇ、て言ったよな?」  長い前髪の奥の瞳が、ギラリと鋭い光を放つ。  一歩前へ詰めた佑弦さんに対して、嘉成さんは少し考えるようにしてから、その整った顔をじっと見つめた。 「……佑弦、お前いつまで、サウノイに拘ってんだよ。いっくら凄えバンドでも、もう過去だろ?」 「んだとっ!」  佑弦さんが革ジャンの胸元に掴みかかると、沢山つけられている金属がガシャリと鳴った。 「ゆ、佑弦さん!」  スーツを着たサラリーマン風の男性が、訝しげな顔をして通り過ぎていく。  どうしよう……。  ここには響子さんはいない。  それでも嘉成さんは構わず続ける。 「佑弦は今生きてんだろ? 止まってんじゃねーよ! お前自身の今現在の音を出したいとか思わないのかよ!」 「うるせぇ、お前に何がわかる!」 「わかんねぇよ! お前何も言わないし。いつも涼しい顔しやがって!」  佑弦さんは嘉成さんから目を逸らすと、無言で革ジャンを掴んでいた手を離した。  それでも嘉成さんはその整った顔を睨みつけたまま言葉を続ける。 「望は芸能界に魂を売ったんだ。アイツにあんな事されて『悔しい』とか思わねぇのかよ? 『見返してやる』とか思わねぇのかよ?」  今度は嘉成さんが佑弦さんのパーカーの胸元に掴みかかる番だった。  それでも、佑弦さんの大きな瞳はアスファルトの上に向けられたままだ。  黒いゴツゴツとした地面の上には、飲みさしのペットボトルが転がっている。  少しだけ残された中の液体は、元はどんな色だったのだろう。  今はほうじ茶のような茶色い色に変色してしまっている。 「悔しいって、思うよ……。望が世間で注目されるようになってからも『悔しい』って思えない自分に悔しいと思う。お前みたいに『いつか世間をあっと言わせてやる』とか思えない自分が不甲斐ないって思う」 「……佑弦、お前、何言ってんだ?」  いかにも見た目が悪そうな嘉成さんと、何もしていなくても強いオーラを放つ佑弦さん。  二人が大声で言い合っている様子に、通りを歩く人々は遠巻きにこちらを窺っている。  中年の男性が、こちらをチラチラと見ながらスマホを耳に当てている。  ヤバい、警察に通報なんかされたりしたら……。 「ゆ、佑弦さん、マズイよ……」  私が小さくそう呟くと、佑弦さんは野次馬の方へ鋭い視線を送ってみせてから、苛立たしげに舌打ちをする。 「……琴音、走るぞ!」 「えっ?」  佑弦さんは、掴まれているゴツい手のひらを払いのけると、しなやかに体を翻した。  その瞬間、白い指先が手首に食い込んでくるのがわかった。  強い力でぐんっと体が前に引っ張られる。  そして私はいつの間にか、佑弦さんに腕を引かれながら、細い路地裏を全力で走っていた。 「佑弦、待ってるからな!」  冷んやりとした風に乗って嘉成さんのがなり声が響いた。
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