梅とアサリのスープとクズ男 ③

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 私の視線のちょっと上の辺りをカーキ色のボアジャケットの肩が揺れている。  長い前髪の向こう側は、ここからだと良く見えない。  毒を吐かない時の佑弦さんは、何処となく近寄り難いものがある。  何だか、何を話しかけたら良いのかわからなくて、私は通りの先の方に視線を向けた。  アパートから出て、大通りを少し行くとバス停がある筈だった。  電車の乗り換え時間等を考えると、昔のアパートへ行くにはバスを使った方が早そうなのだ。 「あの……、お礼に奢ります」  そう言って私は自販機の前に立ち止まった。  断られるかと思ったけれど、佑弦さんは素直にブラックコーヒーを選んだ。  私は少し悩んでからほうじ茶を選ぶ。  冷え切った手でペットボトルを包み込むと、じんわりと熱が伝わってくる。  響子さんの作るスープが何だか無性に飲みたくなった。  温かくて、何も言わずに全てを優しく包み込んでくれる様な、旨味たっぷりのスープだ。  佑弦さんもあのスープの味に惹かれてあそこで働いているのだろうか。  見上げると、彼は鼻の頭を少し赤くしながら缶コーヒーを傾けていた。  華奢に見えていたけれど、缶を掴むその手は結構がっしりしていた。  骨格のしっかりした甲から、シワのない滑らかなラインが白く長い指先へと続いている。  翔真の手ってどんなだったっけ?  3年も一緒にいたのに思い出せない。  私は忙しさにかまけて、二人でゆっくりと過ごす時間をおざなりにしていたのかもしれない……。 「佑弦さんはギターを弾くんですか?」  綺麗な指先に見惚れてながら私はそう尋ねた。 「いや……」 「えっ?」  それじゃ、この間背負っていた黒いケースは何だろう……。 「……ベース」  彼はそう言って前髪の間から、いつもの見下(みくだ)したような視線を向けてくる。 「う……」  私だってベースくらい知っている。  バンドの中でリズム部分を担っていて……。  えーと……、なんかバンドの中で一番地味な人がやってる事が多くて……、黒髪率が高い……。  私は佑弦さんの整った顔を見つめた。  深い輝きを宿した少し吊り気味の大きな目。  すっと通った鼻の直ぐ下には薄く小さな唇が艶を放っている。  そして、ツンと尖った小さな顎から真っ直ぐなラインを描いたその先には、今日もシルバーのピアスが鈍い輝きを放っていた。  彼は黒髪ではあるけれど、地味ではないかな。  やっているバンドがどういう感じかわからなかったけれど……。 「バンドをやってるんですか?」 「いや……前はやってたけど……」  そう言って彼は乾いたアスファルトの上に視線を落とした。  なんだか彼にしては歯切れの悪い言い方だ。  私は慌てて話題を変えてみる。 「えーと……響子さんのスープ、凄く美味しいですよね」 「ああ。……初めての日、お前すっげえガッツいてたもんな」 「あっ、あれは朝から何も食べてなくて、凄く寒かったし……」 「ふーん……」  それから佑弦さんは、何かを思い出したように「ふふっ」と小さく笑った。  やばい。あの涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を見られてたのかもしれない……。 「琴音は隙が多過ぎんだよ。今までよく無事に生きてこれたな」  そう言って彼は呆れたように大きな目を細めてみせた。
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