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「……琴音!」
声と共に逞しい腕が、私を汚いフローリングの床から引き剥がしていく。
肩に添えられた力強い腕から温かい体温が伝わってきた。
「大丈夫か⁉︎」
「……ほうじ茶を……」
私は荒い息を吐きながら、震える手のひらを転がるペットボトルの方へ向けた。
あんなにも手間取っていたのに、白く長い指先がそれを拾うと、事もなげにプラスチックの蓋を開けていく。
「飲めるか?」
背中越しに頼り甲斐のある佑弦さんの体温を感じて、ようやく私は深く息を吐く事ができた。
細かく震える私の手を、彼の大きな手のひらが温かく包み込む。
彼に支えられながら、私は少しずつペットボトルを傾けた。
香ばしい茶色い液体が、引き攣った喉元を優しく流れていく。
ほうじ茶はすっかり冷えてしまっていたけれど、ゆっくり流し込んでいくと、縮こまっていた気持ちも一緒に溶かしていってくれるような気がした。
「ゆっくり、ゆっくりで良いから……」
囁くような低く落ち着いた声が耳元で聞こえる。
背中に添えられる温もりと、全てを包み込んでくれるような穏やかな声。
何だかどこかで感じた事があるような……。
「……ゆっくり、ゆっくりで良いから」
よろめく私の体を佑弦さんの引き締まった体が受け止める。
ああそうだった、あの日私は「音の食堂」の階段を登っていた。
いや、登っていた、というよりも運ばれていた。
温かい手のひらが私の肩に添えられていて、私は躊躇う事もなくその大きな肩に体重を預けて、そして呑気に……。
そう、私は呑気に「それから僕らは歌を歌う」を歌っていた。
調子っぱずれの私の歌に、響子さんは「しー、琴音さん、外では静かにして下さい」なんて慌てていたけれど、私は構わず「響子は小心者だなぁ」とか言いながら大事で笑っていた。
頼もしい大きな胸と、響子さんの全てを包み込んでくれるような穏やかな雰囲気に、私はなんだか無敵な気分だったのだ。
「あ、何お前ヘラヘラした顔してんだ。人が心配してやってんのに」
どうやら私は思い出し笑いをしていたらしい。
いつの間にか呼吸は随分と楽になっていた。
「ぷはっ!」
佑弦さんが添えていた手の力を緩めると、一緒にペットボトルも私の口から離れていった。
まだ傾きを保ったままだったペットボトルから茶色い液体が流れ出して、私のコートを濡らしていく。
床の上に流れ落ちた茶色い液体は、そのまま佑弦さんのズボンの裾を濡らした。
「うわっ、冷てえ! 琴音、何やってんだよ」
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