カレースープとNo.30 ③

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 煌々と明かりが灯されている廊下の窓の向こうには、もう既に薄い闇が降りてきていた。  それでも向かいのオフィスビルの窓にはまだ殆ど明かりが灯っていたし、通りを走る車のライトでガラスの外の世界はまだ忙しない様子だ。   「お先に失礼しまーす」  帰り支度をすっかり終えた鈴木さんは、すれ違いざま呑気な声を上げる。 「課長から頼まれてた報告書は終わった?」 「まだですけどぉ。今日は私のお誕生日を彼氏にお祝いして貰うんで、定時で帰りまーす」  鈴木さんは男子が見ていないところでは手のひらをグーにしない。 「そう……」 「それにしても、12月のお誕生日って損じゃないですか? 私はまだクリスマス前だから良いですけど、田所さんみたいに年末のお誕生日なんて誰にも気づいて貰えないじゃないですか?」  そう言ってから鈴木さんは「あ、気づいて貰えない方がかえって良かったりして……」と小さく呟いた。  私は思わず彼女をギロリと睨み返す。 「田所さんって、営業部の森山(もりやま)さんと付き合ってる訳じゃないんですよね?」 「……そうよ。ただの同期」  そう、。  自分でそう言っておきながら、その言葉に何だか心の奥の方がチクリとする。 「良かったぁ。森山さんもそう言ってたんですけど、一応田所さんにも確認しておこうと思って。……森山さんって素敵ですよね」  ……俊介も、言ったんだ。 「で、でも鈴木さんには彼氏がいるんだよね?」 「それとこれとは別ですぅ。私の彼は超カッコ良くて超優しいんですけど、経済力がないんですよ。やっぱり結婚するには経済力ですよね?」   緩くウェーブのかかった毛先を弄ぶ彼女の左の薬指では、大きなダイヤモンドが魅惑的な輝きを放っていた。  何だか彼氏に同情の念が沸き起こる。 「結婚って相手に養って貰うって事じゃないでしょ? そういう考え方ってつまらないと思う」  何だか俊介の話が出たから、つい強い口調になってしまう。  正直、鈴木さんの結婚観なんてどうでもいい。  そう考える人を否定するつもりもないし、そういう女性を求めている男がいる事も知っている。  でも、私は今の仕事が楽しいし、結婚したからって辞めるつもりもない。  ただそれが結婚や恋愛の障壁になる事もあるのは、事実なんだろう……。 「へえ、田所さんってカッコ良いですね。狼みたいで」  私が睨みつけると、彼女はクスクスと馬鹿にしたように笑った。 「田所さん、今度業務二課の課長になるんですよね? それじゃあ、札幌にはついていけないですね?」  鈴木さんの言葉に、心の奥深くにしまい込んだ筈の感情が首をもたげてくる。 「だから、関係ないし……」 「森山さんって栄転なんですよね? 優しいし、ルックスはまあ許容範囲だし。田所さんの彼氏じゃないなら、私貰っちゃいますよ」 「べっ、別に構わないよ」  俊介がこんな女、相手にする訳がない。 「ふーん、田所さんって、何にも知らないんですね」  鈴木さんは含んだ笑いをこちらに投げかけてから、「じゃ」と手を上げて歩き出した。  すれ違いざま、その茶色がかった瞳がダイヤよりも強く、生々しいギラリとした光を宿しているのが見えた。
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