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「田所さん、……あの」
業務部を出たところで、坂上君にジャケットの袖をくいっと引っ張られた。
「田所さんって森山さんと仲良いですよね」
坂上君の言葉に、心の奥の方がざわざわと微かに揺れる。
「……うん、同期だからね」
「その……、森山さんが鈴木さんにダイヤの指輪をプレゼントしたって本当ですか?」
「えっ!」
持っていた会議の資料の束が、ぐしゃりと小さな音を立てる。
「営業部の廊下で渡しているところを、小林さんが見たって……」
確かに最近鈴木さんは左の薬指に大ぶりのダイヤの指輪をはめている。
今の彼氏は経済力がないって言ってたっけ……。
「最近、鈴木さんは『北海道に行ったらスープカレー食べたいなぁ』とか『北海道は寒いからダウン買わなくちゃ』だとかずっと言ってるんですよ……。確か森山さん、札幌支社に異動になるんですよね?」
俊介は見た目よりも性格重視だ。
鈴木さんみたいな女に引っかかる訳はないし、社内で指輪をプレゼントするなんて、目立つ事する筈がない。
でも、俊介も来月で30歳になる。
私と同様、焦っているとしたら?
いやいや、私は別に焦ってなんかない。
ただちょっと、ほんのちょっと気になっているだけで……。
「俊介に限って、さすがにそれはないと思うよ」
自分に言い聞かせるような私の言葉に、坂上君はホッとした表情を見せる。
「そう、そうですよね? 小林さんの見間違いですよね! ありがとうございます」
そう言って坂上君はハリネズミのような頭をペコリと下げると、業務部のフロアに消えていく。
気がつくと手元にあった資料は私の手汗でぐにゃりとなってしまっていた。
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