126人が本棚に入れています
本棚に追加
/167ページ
今日が仕事納めの会社もあるのだろうか、楽しそうな人々で溢れる駅前を抜け、5分程歩いた先にそれはあった。
大手カフェチェーンの明るい光の直ぐ脇に、小さなイーゼルが一つ。
見落としそうな薄暗い階段を降りて行くと、その先には年季の入った木製の扉。
そしてその扉を開くと……、更に重い金属製の扉がある。
私がそのドアノブに手を伸ばそうとすると、不意に向こう側から重い扉が開かれて、辺りは人々の和やかな声と柔らかな音色に包まれた。
店内から出てきた男性は私に目をくれる事もなく、左手にあるトイレの扉へと消えていった。
金属製の扉が閉まる寸前、私は自分の腕をスルリと滑り込ませる。
再び大きく開いて店内に一歩踏み入れた瞬間、その黒く重いドアに、何やら数名の名前のようなものが書かれたプレートがかけられている事に気がついた。
あんな物この間あったっけ?
そう思った次の瞬間、私はピタリと足を止めた。
店内はこの間来た時とは随分と雰囲気が違っていたのだ。
店の中は多くの人で賑わっていて、奥の方の席が空いているにもかかわらず、立ち話をしている人達もいた。
そしてそこにいる人達がなんだか皆、和やかにその場の雰囲気を楽しんでいる、そんな感じがした。
なんだか場違いな所に来てしまったのかもしれない……。
「いらっしゃいませ」
私が引き返そうかと思っていると、ここの店主だろうか、この間も見かけた40代後半くらいの黒縁メガネの女性が声をかけてきた。
「あの……、スープご飯は食べられますか?」
「お出しできますが、今はライブ中なので、ミュージックチャージ料とワンドリンク代を頂く形になってしまいますが、よろしいですか?」
「ライブ……、いくらですか?」
「ミュージックチャージ料は2000円です」
そのくらいなら……。
何となく早く家に帰る気にもなれないし。
「じゃあ、お願いします」
「ただ……、ライブはあと井上 潤子さんでおしまいなんですが、よろしいですか?」
なる程、さっきドアのプレートに書かれていた何人かの名前は、今日の演奏者のものだったのか。
それでも、私はなんとしてもスープカレーご飯を食べておかなくてはならない気がしていたのだ。
「大丈夫です。お願いします」
私は料金を支払いながら、狭いけれど落ち着いた雰囲気の店内を見回した。
生演奏を聴きながら料理も楽しめる、そういった感じなのだろうか。
どうりで店内にいるお客さん達が皆、楽しそうに寛いでいる訳だ。
オレンジ色の優しい灯りの下、人々は飾らない笑顔を浮かべながらグラスを傾けている。
緩やかに流れるBGMも耳に心地よい。
「もうすぐライブが始まりますが、お料理は今お作りしますか? それともライブの後になさいますか?」
別に急いでいる訳でもないし……。
「終わった後でお願いします」
最初のコメントを投稿しよう!