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「喧嘩です! 早く来て下さい! 場所は……」
振り返ると、中年の女性がスマホに向かって話しかけているところだった。
「何、今度はババア?」
パーカー男は、西洋人のように両手を天に向けて肩をすくめてみせた。
「調子狂うな……。行こうぜ」
ニット帽男もため息をつく。
「……ババアに感謝しろよ」
パーカー男は、ふっと僕に息を吹きかけてみせると、ニット帽男と共に人混みの中に消えていった。
「……ふわーっ」
気がつくと、僕はへたりとその場にしゃがみ込んでしまっていた。
「大丈夫ですか?」
女性の穏やかな声に僕は顔を上げる。
どこかで見た事があるような……。
白いものが少し混じった髪は後ろでぴっちり結びにされていて、黒縁メガネの奥の黒い瞳は優しげにこちらを見下ろしている。
「最近よくウチの店に来てくださっていますよね」
ああそうだ。スープご飯屋のキッチンにいつも立っている人だ。
僕は黙って頷いた。
「立てますか?」
彼女に助けて貰いながら、僕は何とか立ち上がる。
「あ、もうすぐ警察が来ちゃいますよね」
僕が慌ててそう言うと、彼女は目元に皺を寄せてふふふっと笑った。
「あれは真似だけです……。向こうもそこまでやる気ではなかったみたいですし」
彼女の言葉に、ビビリまくっていた自分が恥ずかしくなって僕はアスファルトの地面の上に視線を落とした。
「今日は裏メニューでカオマンガイをお出ししているのですが、いらっしゃいますか?」
「カオマンガイ?」
「茹でたチキンとその茹で汁で炊いたご飯を盛り付けた物で……、タイ風チキンライスとも言われているわね」
「チキンライス⁉︎」
「カフェペンギンの家」が潰れてしまってから、僕はしばらくチキンライスを食べていない。
あの香ばしいケチャップの香りを思い出すと、よだれが垂れそうになる。
「普通のチキンライスとはちょっと違うのですけど……」
「どっちみち今からお店に向かおうとしていたところだったんです」
僕はにこやかにそう返すと、「音の食堂」に向かって歩き出した。
「そう言えば、お体は大丈夫ですか?」
「全然、平気です! ほら!」
僕は何だか嬉しかなって腕をぐるぐると回してみせた。
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