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僕はほろ酔い気分で響ヶ町の駅に降り立った。
吉野課長のせいでちょっと飲み過ぎてしまったけれど、「しみず」さんの前で紳士的に振る舞えるくらいには気力は残っている筈だ。
スマホで時刻を確認すると、21時30分だった。
「しみず」さんのシフトは22時までだから、まだ時間はある。
いつものように「音の食堂」で時間を潰すには、もうお腹は一杯だし、このままコンビニの前で待っているには、時間が少し余ってしまう……。
そんな事をぼうっと考えながら通りを歩いていると、後ろから涼やかな声が僕を呼び止めた。
「……すみません」
僕はビクリとして立ち止まる。
まさか、この声は……。
僕がゴクリと唾を飲み込んでからゆっくり振り返ると、そこに立っていたのは「しみず」さん、その人だった。
いつも後ろで一つに束ねている長い髪は柔らかく下ろされていて、街の灯りを艶やかに返している。
少し茶色味がかったクリクリとした大きな瞳は、穢れを知らぬ清らかな輝きを秘めながら、僕の方に真っ直ぐ向けられていた。
僕は夜空から天使が舞い降りたのかと思った。
濡れたように輝くぷっくりとしたピンク色の唇が僅かに開かれる。
「あの、この間はありがとうございました」
彼女がそう言って頭を下げると、淡いピンク色をしたコートの肩から絹の様な髪がサラリと溢れ落ちた。
「いや……」
「いつもパンとサラダを買いに来て下さる方ですよね?」
彼女の言葉に僕の心臓が跳ね上がった。
「しみず」さんが僕の事を覚えていてくれたなんて!
心拍数が上がって僕の胸の中でバクバクと音を立てる。
けれどその胸の高鳴りは、今まで女子の前に出た時に感じていたものとは違って、甘く、柔らかく、僕の心を満たしていってくれた。
「この間はビックリしちゃって、逃げ出しちゃったんですけど、ちゃんとお礼を言わなきゃ、と思って……。今日お会いできて良かったです」
はにかみながらこちらに向けられる可愛らしい視線に、僕は息が止まりそうになった。
ああ、これは夢なのかもしれない。
僕は思ったよりも酔っているのかも……。
そう思うのと同時に、言葉が口をついて出ていた。
「好きです! 僕と付き合って下さい!」
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