126人が本棚に入れています
本棚に追加
僕の言葉に、彼女の美しい二つの目が更に大きく見開かれる。
そして答えを探すように、彼女の視線が乾いたアスファルトの地面にゆっくりと落とされた。
彼女の真っ直ぐに下ろされた艶やかな前髪が、僅かに揺れる。
「……ごめんなさい」
僕はその言葉の意味が直ぐに飲み込めず、彼女の長い睫毛に見惚れていた。
「……私、今度結婚するんです。コンビニもこの間で退職して……。今日は制服を返しに来たところだったんです」
「あ、そうなんですね。おめでとうございます」
僕はにこやかにそう返した。
「えっと……。あ……ありがとうございます」
彼女は戸惑い気味に大きな目を瞬かせる。
それでも僕は笑顔のままだ。
あれ? こういう時ってどういう表情をすれば良いんだっけ?
引き攣った口角をどうやって元に戻せば良いんだろう……。
今まで無意識にやっていた事が急にわからなくなる。
脳からの指令が遮断されてしまって、顔の筋肉まで到達しない感じだ。
「……あの、本当にありがとうございました!」
彼女は僕の笑顔から視線を逸らすと、再び小さな頭を下げてみせた。
そして何だか慌てたように、そのまま通りの向こう側へと走り去って行ってしまった。
金曜の夜を楽しむ人波の中にだんだんと小さくなっていく彼女の背中に手を振りながら、僕は変わらない笑顔を浮かべ続けていた。
ごちゃごちゃと乱立する雑居ビルの間を冷ややかな夜の風が吹き抜けていく。
いつの間にか僕の目元から湧き出していた小さな滴を、それが静かに吹き飛ばしていった。
それでもなお溢れ出てくる液体が、頬をつーっと伝ってゆく感触がくすぐったくて、僕は思わず天を振り仰いだ。
街の灯りでぼんやりと白んで見える夜の空には、数える程の小さな光の瞬きが見て取れる。
僕の元に舞い降りて来た美しい天使は、僅かな星が清らかに瞬く夜の空に、帰って行ってしまったようだ……。
最初のコメントを投稿しよう!