チキンライスとモブ男 ④

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 そこだけポッと明かりが灯る黒く塗られたステージの上で、響子さんは目の前にある丸い皿の上にドラムスティックのような物を軽やかに打ち下ろした。  それはそういう造りになっているのか、それとも何か叩くコツがあるのか、床の上で暫く回りながら、シャラーンと意外にも綺麗な音を立てた。  響子さんが裏にされた皿達を軽やかに叩いていくと、様々な形状をしたそれらが小気味よいリズムを奏でていく。  それぞれの皿が違う音を出していて、それがドラムセットのような役目を果たしているようだった。  だから色々な大きさや形があったのか……。  けれど、それが普通の楽器と違うのは、叩く度に皿が動いていってしまうというところだ。  スティックが強く銀の皿に当てられる度、それは跳ね上がり、別の場所に移動してしまう。  跳ね上がった皿は黒い床に当たるとまた違う音を立て、表だった物は裏返り、また裏だった物は表になって思いがけない音を返してくる。  そして時には皿同士が重なり合い、シャラララと別の音色を奏で始める。  それでも響子さんの白い腕は戸惑う事なく、滑らかに銀の皿を叩いていく。  動き回るそれらを自在に操りながら、彼女は思いのままに音の粒子をフロアに向けて繰り出し続ける。  動き回る皿達を次々と追いかけながら、響子さんは意表を突く音を返してくるそれらを、瞬時にまとまりのある音へと仕上げていく。  次から次へと放たれるただの音達が、白くしなやかな指先によって、意味を持つ音楽へと昇華してゆくのだ。    何だか皿と響子さんの腕が一体となって、リズミカルな音の流れを生み出しているみたいだ。  それ自体が別の生き物のように……。  新たな音を求め常に変化していく。  そしてそれは打楽器のように軽快なリズムを刻みながらも、紡ぎ出される音の中にはどことなくメロディーがあり、言葉にならない歌を含んでいるように思えた。    それは切なくもあり、軽やかでもあり、時には甘く囁き、そして攻撃的でもあった。  響子さんの眼差しは、いつも通り平然とした様子で動き回る皿達をとらえていたし、ふっくらとした唇は優しく閉じられている。  けれどよく見てみると、彼女の黒い瞳の奥には、僅かに揺らめきながら小さく灯る炎が宿っているのがわかった。  いつも穏やかな微笑みで僕を包み込んでくれていた響子さん……。  けれどその柔らかな笑顔の下には、艶かしくも情熱的な本当の響子さんの姿が隠されているのかもしれない。  その白い腕と皿が一体となった生き物を通して、響子さんは自分の内に秘めている熱く渦巻くものを、静かに吐き出しているのだ。  僕はいつの間にか、首を振ってリズムをとっていた。  それは響子さんが小さな皿にスティックを打ち付ける拍なのか、白い腕が奏でるメロディーなのか、それとも自分の中に湧き出してくる躍動なのか……。  響子さんと音。音と僕。それぞれの境界が段々と曖昧になっていく……。    僕が狭いフロアに満たされる音の粒子の中に心地良く身を委ねていると、突然、響子さんは今までにない強さでスティックを皿に叩きつけた。  すると小さな丸い皿は、鈍く光る裏側をこちらに向けながら、ぽーんと軽やかに宙を舞う。  それは当然、黒い床の上に落ちてカーンと大きな音を鳴らすであろうと思われた。  けれど次の瞬間、白い手のひらが軽々とそれを受け止めると、辺りを支配していた賑やかな音の粒達が急にエネルギーを失って、ハラハラと床の上に落ちていくのが見えるような気がした。  突然訪れた静寂を、観客達が静かに受け止めてから、響子さんはゆっくりと立ち上がる。  彼女が客席に向かって小さな頭を下げると、周りからパチパチと拍手が起こった。    
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