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キャパからしても、そんな激しいのじゃなさそう……。
店内の落ち着いた雰囲気に、あたしはホッと息をつく。
入って直ぐ左手にあるステージ前でも、店内の客達は特に場所取りをする、というふうでもなく、それぞれがリラックスしてお喋りに花を咲かせている。
あたしは擦り切れた木の床をスニーカーの底で踏みしめながら、店主の後をついて店内の奥の方にあるカウンター席まで進んでいく。
カウンターの真上に取り付けられている赤いランプシェードからは、暖色系の灯りが古いカウンターを艶やかに照らしている。
長年の使用で程よく色ムラのできた木製のカウンター、その隅に置かれたステンドグラス製のテーブルランプ、座る部分が黒光りしている赤い布製のソファー、それら一つ一つの存在が優しく溶け合って、この店の暖かくて柔らかな空気を形作っているように見えた。
あたしがキョロキョロとレトロな雰囲気の店内を見回しながら歩いていると、ソファ席のところで立ちながらグラスを傾けていた男性の肘に、肩にかけていたトートバッグがほんの少しだけトンっと当たった。
「あっ、すみません……」
あたしがそう言うのと同時にバッグの紐が肩からするりとズレて、鞄の口が大きく開いた形になってしまう。
そしてその拍子に中からアレが転がり出て、木の床に当たってカランと小さな音を立てた。
「あっ……!」
あたしは慌ててそれを拾い上げると、急いでトートバッグの中に押し込んだ。
「さーせん」
男性はこっちにチラリと視線を送ってきただけで、直ぐに仲間達とのお喋りに戻ってしまう。
大丈夫。
フロアの灯りはとても柔らかくて、足元を優しく照らす程度。
一瞬見ただけでは何だかよくわからないだろう。
それにもし目に留まったとしても、そもそもアレを使った事がない人からしたら、一体何に使う物なのかよくわからない筈だ……。
そう思いながら顔を上げると、店主の女性の穏やかではあるけど、感情の読めない視線がこっちに注がれている事に気がついてドキリとする。
「こちらのお席でよろしいですか?」
彼女はそう言って優しく微笑む。
まるで何も見なかったかのように……。
「……はい」
あたしは小さくそう答えた。
彼女にバレてはいないのだろうか……。
その黒縁メガネの奥から覗いている黒い瞳からは何も読みとる事はできない。
「ご注文がお決まりになりましたら、お声かけ下さい」
彼女は表情を変えないままそう言うと、カウンターの向こう側へと静かに消えていった。
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