ココナッツミルクスープと世界の中心 ③

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 きっと、店主はを使った事はないのだろう………。  キッチンに戻った彼女は特に変わった様子もなく、女性店員に指示をだしながら、テキパキと調理に取りかかっている。  ふーっと長い息を吐き出しながら背の高いスツールに体重をかけると、年季の入ったそれはギシリと音を立てた。  とりあえずあたしは、使い込まれて所々茶色いシミができているメニュー表をパラリとめくってみる。    写真の載っていないメニュー表はイマイチわかり難い。  それでも、沢山あるメニューの中から自分の食べたい物を選ぶなんて久しぶりの事に、ちょっとだけ気分が上がる。  ママが気を利かせて時々お寿司を買ってきてくれたり、ピザを頼んでくれたりはしたけれど、どこかお店に入って食事をするなんて半年ぶりくらいの事だ。  色々あるメニューの中で気になったのは、『鶏のココナッツミルクスープご飯』  料理名の横に唐辛子の絵のピリ辛マークがついている。    浩人とよくエスニック料理屋に行っていたのを思い出す。  二人共辛いのが好きだったし、パクチーだとかナンプラーとか独特の香りがある物も得意なのだ。  あそこの店はバイマックルーを使っていて本格的だとか、こっちの店は辛いばかりで旨味がないとか、二人で色々と批評しながらデートの度に食べに行ったものだ。  あんな事があるまでは……。  あたしは木でできた床の上に静かに視線を落とした。  それは沢山の靴底によって塗装も表面の艶出し剤も剥ぎ取られ、木材の元々の地色が覗いている。    でも、ライブバーが片手間に出しているスープご飯じゃあそこまで期待はできないかな……。  そんな事を思いながらも、あたしはカウンターの向こう側で作業をしている小動物顔の女性店員に向かって声をかける。 「鶏のココナッツミルクスープご飯をお願いします」 「ライブは7時からですが、その前にお出ししますか?」 「お願いします」  あたしはそう答えると、カウンターの直ぐ脇に掛けられている古い時計に目をやった。  黄ばんだ文字盤の上の長い針は、ローマ数字のⅥの辺り。  何だかお腹が空いたと思ってたけど、まだ7時前なんだ。  このところ時間があく度にスナック菓子ばかり食べていたから、胃が広がっているのかもしれない。  
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