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「あなたは一人の人間なんですから。あなたの体はあなたのものですよ」
店主の声に、あたしは思わず彼女の顔を見返した。
彼女の瞳は変わらず穏やかな黒い色をしている。
そしてその黒の中には、あたしの向こう側にいる赤ちゃんなんて映ってはいない。
「自分の体が自分のものじゃなくなっちゃったみたいで、嫌で嫌でしょうがないんです……」
あたしは滴の跡がついたスウェットを強く握りしめる。
まるで獣みたいだ、と思う。
あたしは「母乳を作れ」なんて命令していないのにもかかわらず、時間がくると体が勝手に母乳を作り出すのだ。
何もないところから、子が成長する為の栄養素をあたしの体が自動的に作りだす。まるで乳牛のように……。
気持ちと体とのギャップを感じれば感じる程、自分の体に対する嫌悪感が沸き起こる。
自分の意思に反して母親になっていく自分の体が、気持ち悪くて仕方ないのだ。
一般的に、生後3ヶ月くらいになると赤ちゃんは夜まとまって寝てくれるようになるらしい。
でも美緒は6ヶ月になってもまだまだで、それを人に相談しても、
「赤ちゃんの成長には個人差がありますから、心配しなくても大丈夫ですよ」
と、例の全く悪気のなさそうな笑顔を浮かべて口を揃えたように言うんだ。
あたしは美緒の心配してるんじゃなくて、自分がゆっくり寝たいだけなのに……。
それでも、寝てくれそうな時が今までに何回かはあったのだ。
けどその時はあたしの方がもたなかった。
パンパンに張った胸が痛くて痛くて……。
手で搾ってみてもどうにもならなくて、寝てる美緒を無理矢理起こして飲んで貰った。
美緒にもまとまって寝て欲しいのに、あたしもゆっくりと寝たいのに、母乳製造機となったあたしの胸がそれを許さないのだ。
自分の体が自分自身を追い詰める。
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