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愛のキックは本気で痛い
目の前のコーヒーは、すっかり冷めきってしまっている。
一体これどうしてくれよう。私はそのコーヒーに一口も口をつけず、目の前で沈没している男を見てため息をついた。
「もうだめだ……俺はもうだめだぁ。死ぬしかない。死んでお詫びするしかない。いやもうそれしか方法はないぃぃぃ」
「迷惑だからマジでやめて」
完全にゾンビとなっているそいつの頭に、私は空手チョップを見舞った。げふ、と蛙が潰れたような声を上げる、もっさりした茶髪に大柄な青年――非常に残念なことだが、私の二つ上の兄であったりする。名前は、亞蓮。ちなみに妹の私の名前は花蓮だ。昨今、この程度の名前ではキラキラネームにも数えて貰えないのかもしれない。
「リアルなことを申し上げますと。電車に飛び込んで死んだりするとね、遺族に損害賠償が来るって噂があってさー。……まあそうだよね、バラバラ死体片づけるだけでも面倒なのに、電車を大幅に遅延させて、経済活動に大打撃与えちゃうわけだしさ」
オドロ線を背負っている兄モドキに、私は容赦なく告げる。
「人を撥ねちゃった運転手さんは精神的なショックもあるから暫く仕事お休みになるって話も聞いたことあるなー。運行してる会社からするといろんな意味で困っちゃうよね。ていうか見た人もダメージでかいし?見なくても電車遅れちゃうと困るし?それらの負担もろもろが全部遺族にかかってくるわけですおわかりー?」
「うううう」
「勿論、転落死とかでも迷惑はいろいろかかるよね。落ちた先に万が一人がいたらどうなると思ってんの?巻き添えで殺しちゃうかもしれないんだよ、人殺しだよ?そうでなくてもさー、人がそうやって死んだ場所って事故物件になっちゃうわけだし。それこそ私達家族に損害賠償とかかってくるかもー」
「うううううううう」
「我が家で死なれたら、我が家が事故物件になっちゃうわけです、おわかり?首吊りとかだとさー、死体めっちゃ汚いんだって。全身から体液ぜーんぶ垂れ流し。その部屋ウンコ臭くなるし腐るしもう使えなくなっちゃうんだけどそれってあんた死んだ後で弁償とかできるつもりでいる?ていうか警察来たりして、下手したら私達家族が殺人犯と疑われる可能性も……」
「あああああもう、わかった!わかったってば!わかりましたってばー!」
いろいろ細かく想像したのだろう。ヘタレ兄貴は情けない悲鳴と共に顔を上げた。
「俺が悪かったですよ!悪うございましたですよ!ほんとすみませんでしたよ妹様!」
「わかったなら簡単に死にたいなんて抜かすな、本気で人生悩んでる人達に失礼だっつの」
「いったい!いちいちチョップしないで!」
とりゃ、と二度目の空手チョップ。彼の額からぱこーん、といい音がした。急所に当たった判定になるかどうかは知らない。そもそも、こいつは“効果はイマイチだ”とかなっても元が紙装甲である。子供の頃から柔道も空手もやってる私に叶うはずがないのだ。一応サッカー部で体格もいいが、いろんな意味で見かけ倒しなのである、この兄は。中身が超絶ヘタレであることも含めて。
「で、何にそんな頭抱えてたわけ。わざわざ、こんなカフェに妹連れ出して、パフェ奢るとまで言ってさ」
そう。言い忘れていたが、ここは我が家の近くのカフェテリアである。亞蓮は、何やら深刻な顔で“相談したいことがある、パフェ奢るから”と私を連れだしたのだった。ちなみに私のチョコレートメロンデラックススペシャルミラクルトルネードパフェ、はついさきほど注文したばかり。この席に届けられるまでは、もうしばらく時間がかかることだろう。
「どうせ、星哉君と喧嘩でもしたんでしょ」
「ぎっく!」
「……リアクション古すぎ」
ああ、なんて分かりやすい兄なのか。私は何度目になるかもわからぬため息をついたのだった。
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