目覚め

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目覚め

 ふいに頭の中が目覚めた。  あれ? 体が揺れてる? 私、動いてないよね? なんで?  目を開ける前から開いていた目に映るのは、見たことのない家の中。  どこの家? なんで知らない家の中? しかも動いているし。私が動いてるの? 目の前の手は箒を持って床を掃き、足が動いて移動する。わけわかんなくて私は動けないのに、体は勝手に動いて目は勝手に周りを見てる。  しばらく経って、私は誰かの中にいるんだと気づいた。おかしいけど、そうとしか考えられない。この体の持ち主がどうなってるのか、あるかどうかわからない耳を澄ませても、箒が床と擦れる音と腕を動かす衣擦れしか聞こえなかった。  どうしていいかわからなくて目に入ってくる光景をそのまま眺めてたんだけど、だんだん落ち着かなくなってきた。  この人、掃除がヘタじゃない? 端のほうを掃き残してるし、いったりきたりするから同じところをまた掃いてさ。すごい気になるんだけど。箒を借りて代わりに掃除してやりたい。私もこの体動かせるかな?  試しにぐっと押し込めるように、箒を持つ手へ指先を伸ばす。そうすると伸ばした右手に箒の硬い柄を感じた。嬉しくなって左手も押し込めたら、こっちにも感触がある。同じように両足と頭も押し込めたら思い通りに動かせた。  嬉しくなって部屋の端からホコリを掃きだし、ゴミを集める。楽しくなったせいで、床を掃き終わってから雑巾までかけてしまった。  ふースッキリ~なんて思ってたら、ふと気づいた。  あれ? 私が動かしてたけど、この体の持ち主ってどうなってんの?  ゾッとして、慌てて手足を引っ込めて丸まった。そうしたら、また勝手に体が動きだした。掃除道具を持って隣の部屋へ移動する。  良かった。良かったけど、おかしい。だって私が勝手に動かしてたのに、少しも慌てないで掃除の続きをするって変じゃない? なんで?  ハタキをかけてる窓枠の、ガラスに映る顔を見る。そしてますます不安になった。  なに、この人。動かないし目つきもおかしい。イカレてるわけでもなさそうなのに、生気がないっていうか、死んでるみたい――――。  そう思うと、さっきから感じてたのに意識しなかった匂いが急に鼻についた。知ってる匂い。貧民街でたまに嗅いだ匂い。いちばん古い記憶にこびりついた懐かしい匂い。  孤児院に引き取られたのは3歳のとき。起きない母を起こそうと泣きわめく私に、うるさいと怒鳴り込んだ隣の人が死んだ母を見つけたと、大きくなってから聞いた。私もなんとなく覚えている。眠っている母が冷たくて、少し離れて眠ったこと。お腹がすいて我慢ができず、泣きながら母を起こそうとしたこと。  懐かしさに浸りそうになり、記憶を振り払った。今は考えなきゃいけないことがある。  ほんとうに死人? でも死人が動くなんて。まるで。  ギイッ、バタン。  静かな室内にドアが開いて閉まる音が響いた。後ろを通り過ぎる人影が窓ガラスに映る。黒いローブは魔術師の印。動く死体と魔術師の組み合わせって、もしかしてネクロマンサー?   息をのむ。死人の中に入り込んでしまったのだと分かり、不安が胸に広がった。  ネクロマンサーは死人を操る。そういう話だし、疫病で街中に死体が溢れたとき、ネクロマンサーに操られた死体が歩いて墓地へ歩いていく光景を実際に見た。あのときは街中に死臭が漂って、しばらく消えなかったっけ。  でもなんで私は死人の中にいるの? 何してた?  順番に自分の記憶をたどってみる。  孤児院の院長が私たちを死んだことにして娼館に売ったこと。最下層の娼館で何年も働いたこと。酷い客ばっかりだし、病気で休んだらご飯ももらえない。せっかくできた友達は死んで、友達が大事にしていた人形を形見にもらった。人形を大事にしてたら、客の男がバカにして人形の首をもいだんだっけ。怒って罵ったら殴られて、ケガをした。熱が出て寝込んで、それから? ……思い出せない。もしかしたら死んだのかも。  でもこの死人は私じゃない。窓ガラスに映った顔も髪も私じゃなかった。  どうにかなんないかと体の中で暴れてみたけど、逃げ出せなかった。それからは諦めて、知らない死人の中にいるという意味わかんない状態のままジッと静かに過ごした。死人の目に映るものを見てるだけ。それでも何日かしたら家の中のことも分かってくる。  二階建ての屋敷に死人の私とネクロマンサーのご主人様が一人。死人の中にいると、ネクロマンサーのことを自然にご主人様と思ってしまう。魔術で操られてるから当然なんだろう。それに、ご主人様の命令に反することもできないみたいだ。私が入ってる死人は洗濯、荷物の受け取り、掃除の順に命令されてるらしく、掃除中に洗濯はできないし、洗濯中に掃除はできない。でも荷物受け取りは最優先らしく、勝手口に届けられているものを見かけたら必ず家に入れている。  ご主人様は死人に話しかけたりはしないし、めったに会うこともない。でもごくたまに後ろから眺めていることがある。死人がちゃんと動いてるか確かめてるのかもしれない。中に私がいると知ればどうにかされるのだろうか。なんだか怖い気がして私は隠れたままでいた。
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