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柴田さんが本社の受付に来たのは、夕方近くだったらしい。
デスクの上を片付け始めていると、野口くんから直接電話がかかってきた。
『少しだけ中のぞいてみますけど、持って来た方の言い方だと、結構量があるようなので、来週から隙間見て処理しておきます』
「そう、ありがとう。本来なら、あたしがやらなきゃなのに」
自分が言い出した事なのだから。
他に仕事が山になっているだろう野口くんに、更に負担をかけるのは本意ではなかった。
けれど、彼は、淡々と答える。
『いえ、杉崎主任は、教育に集中してください。いずれ、こちらにも影響があるんですから』
「まあ……それもそうね」
大阪支社になったとしても、最終的には、本社に処理は流れてくるのだ。
トラブルにならないように、こちらできちんと教育をやっておかないと。
そのために、あたしは来たのだから。
電話を終えると、新人二人もファイルを棚に戻したり、デスクの上を片付けたりしている。
どうやら、今日の分は終了できるようだ。
古川主任は、あたしが渡したファイルと、かれこれ一時間以上にらめっこしている。
ところどころ、ふせんがついているのは、たぶん、あたしが気になったところだろう。
「杉崎主任」
すると、声をかけられ、あたしは向かいの彼の席のそばに行く。
「――どうされましたか」
「ここの処理なんですが、今まで――」
そして、お互いのやり方のすり合わせが始まり、あたしはのぞき込んでメモを取る。
終業のベルが響くが、終わらなそうだ。
「あ、あの……あたし達、お先に失礼しても……」
新人二人に恐る恐る尋ねられ、あたしは顔を上げてうなづいた。
「ええ、どうぞ。お疲れ様でした」
「お、お先に失礼します」
あたしは、二人がそろそろと挨拶をして出て行くのを見送ると、再びマニュアルに目を向けた。
「――立っているのも辛くありませんか。イスを持って来て座ったらどうですか」
そう、古川主任が、少しだけ眉を寄せてあたしに言った。
あたしは、素直にうなづき、彼のそばに自分のイスを運ぶと、すぐに座る。
そして、すり合わせの続きを始めた。
お互いのやり方に、少々の齟齬があったが、結果として同じなので、あたしの方を優先する事にした。
「私の方は、前職の影響もありますので」
「え」
ページをめくりながら、古川主任は、口元を上げてそう言った。
「――……転職組でしたか」
「ええ。三年程前ですね」
それ以上は、何も言わない。
もしかしたら、別居云々が影響しているのかもしれないので、あたしも口は閉じておく事にした。
「――じゃあ、修正は、週明けにお願いします」
「ハイ」
何だかんだ詰めていくと、いつの間にか時計は七時を指していた。
まあ、昨日よりはマシか。
さすがに、週末とあってか、他の部署でも残っている人は少しいて、あたしは彼らに挨拶をして部屋を出た。
「杉崎主任」
すると、エレベーターを待っているあたしの隣に、古川主任が当然のように来た。
「……何でしょうか」
どうも、最初が最初だけに、まだ、どこかで警戒してしまう。
すると、彼はあきれたように言った。
「……まったく、あなたは……」
「な、何ですか」
「昨日の今日で、いたら、どうするんですか」
誰が、とは言わない。
あたしは、震えそうになる身体を、さりげなく腕で隠した。
「――お気遣いなく。言いましたよね、会社に迷惑はかけません」
「会社、ではなく、私に迷惑がかかっていますが」
その返しに、言葉に詰まる。
確かに、あらぬ誤解まで受けてしまったのだ。
「……それは……申し訳ありません」
「申し訳なく思わなくても良いですので、送ります」
「いえ、それは……」
どうにか逃げないと。
二日連続でゴタゴタしたら、さすがに、この人にもダメージがあるだろう。
すると、ポン、と、到着音が響き、エレベーターのドアがゆっくり開く。
「――お疲れ様です」
「……お疲れ様です、古川主任……」
目の前の早川は、あっけにとられたような表情で、挨拶をすると、あたしをチラリと見やる。
その視線を受けきれず、あたしは、思わず下を向いた。
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