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嫁に行く予定もないのに花嫁修業。これほど虚しいものはない。
『クリスマスに特別な人と過ごすための素敵なディナーを』そんな宣伝文句に踊らされた男女が集うのは駅近のおしゃれなクッキングスタジオ。
会場は大通りに面した商業ビルの三階。秋色の街路樹がいろどりを添える明るく開放的なガラス張りの室内。どこからか甘い焼き菓子の残り香が漂う。
壁際に講師用の大きな調理台と各グループの調理台が四つ。
本日の講師は寺井修。笑顔が素敵な三十六歳。フランス帰りだという青年は透子の母の知り合いの息子――早い話、他人だ。
甘いマスクは残念ながら透子の好みではなかった。
(――なにが悲しくて料理教室に通わねばならんのだ)
事前に分けられたグループは四つ。透子のグループは妙齢からアラフィフの男女七人。どのグループも女性より男性が少ない。
中でも積極的な女性は雑談の花を咲かせながら男性のチェックを怠らない。男性は慣れない環境に身の置き場に苦慮している様子だ。
こころなしか可憐な印象を与える白いフリルのエプロンが目につくのは気のせいではないだろう。おそらくこれはただの料理教室ではない。
母の意図を察して透子の眉が寄った。
「初めまして、今日はお手柔らかにお願いしますね」
心の内で母にこぶしを握ったところに声を掛けられて慌てて振り返った。
そこにいたのは――やたらと長身の男。
(うわ、背、高っ!)
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