噓とエッセイ#7『お年玉』

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 候補を一つずつ除外していって、残ったのは二つ。鬼を討伐する和風ファンタジーか、それともフェルトでできた動物形の車か。さて、どちらがいいだろう。だけれど、前者が流行ったのは、今年に限ったことではない。四〇〇億円を稼ぎ出した映画の公開自体は去年のことだ。主題歌を担当した歌手が、二年連続で紅白歌合戦に出場した事実もそれを物語っている。なにより去年、前者のぽち袋を用いた人間は全国で数万人はいただろう。ここは後者を選ぶべきだ。後者は生まれも育ちも二〇二一年。フォルムの可愛さも相まって、来年のぽち袋には最も適しているように思える。  私は五枚つづりになっているそれを選び、レジへと持っていった。店員は慣れているのか、それとも大みそかで早く帰りたい以外の感情を失っているのか、実に淡々と会計をしてくれた。「ありがとうございました」と言う姿は私と同じくらいか少し上の年齢に見える。彼も親戚の子供にお年玉をあげるのだろうか。もしかしたら自分の子供かもしれない。そう思うと二七歳にもなって、まだ独り身の自分が急に寂しく感じられた。なるべく考えないように実家まで自転車を漕ぐ。身を切るような寒風が、肌に当たって少し痛かった。  ぽち袋は用意できた。次の問題は中身。入れる金額だ。甥がどれだけお小遣いをもらっているか、私は知らない。もしかしたら生まれて初めて手にする現金かもしれない。金銭感覚を決定づけるかもしれないことを考えると責任は重大だ。  では、いくらにしようか。一〇〇円? いや、それではあまりにみみっちすぎる。三歳の子供とはいえ、人の器の大きさを判断することぐらいはできる。これ以上悪印象を持たれてたまるか。私だって最低賃金に毛が生えたくらいだけれど、ちゃんと仕事をして収入を得ているのだ。塵芥ほどのプライドもある。他の親戚がもっと高額なお年玉を渡す中で、一〇〇円だと格好がつかなさすぎる。年に一度のめでたい場だし、見栄を張るくらいはしたい。  ならば、一〇〇〇円にするか。だけれど、三歳の子供にとっては一〇〇〇円は、いささか高すぎるように思える。私にとっての一万円かそれ以上だ。それにお年玉は、今年限りのものではない。顔を合わせるたび、毎年渡さなければならないのだ。当然もらう側は、去年以上の金額を期待するだろう。そう考えると一〇〇〇円をスタートラインに設定したなら大変だ。早い段階で一万円という頭打ちを迎えてしまう。毎年一万円を捻出するのは、なかなかに懐が痛む。先を見据えれば、一〇〇〇円はベターな選択肢ではない。
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