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 厄介な話になってきた。  ヒスイは、数々の山を越えたジープからその地に降り立ちながら、予想外の事態に戸惑っていた。  この、今自分の前を行く妙齢の美女ローラが係わるこの映画撮影と称して人を集める現場は、大々的に募集をかける割に早く終わることで知られていた。  実際に撮影の動きをする前に、速やかに目的を達成する為だが、今回は事情が違った。  ヒスイがこの件に関わり始めたのは今回からなので、どこまで違うかは分からないが、初めから様子が違っていたのは、昨日から現地入りしているはずのアレクとジャンの様子からも察せられた。  広い空間でトレーニングの真っ最中の役者たちを、男女二人が初日から厳しく指導する様を、金髪の若者と通訳の男から離れて見学している二人は、妙に小さくなって立ち尽くしている。  遠目で様子を見ながら近づく護衛付きの女性とヒスイに気付いたのは、ヒビキだった。  女に目配せされて動いたのは、見物していたセイだ。  振り返って笑顔で迎える。 「おはようございます」 「おはよう。皆、早くから張り切っているわね」 「張り切らせるのも、仕事のうちですから」  穏やかに微笑んで答える若者に、ローラは笑い返してから、用件を告げた。 「台本が完成したわ」  セイの背後にいたレイジが、目を見張った。 「そうですか。我々の方がこの世界ではど素人なので、話の動きは早めに知っておきたいと思っていました。助かります」  ヒスイが持っていた手提げ袋を受け取りながら言う若者は、全く動じていない。  予想の範囲内と考えての事か、単に驚いてもそれを表に出すほどの素人でないだけか、本当に何も知らずに、何も聞かされずにここにいるからなのか、ヒスイには判断ができない。  セイが他の二人に声をかけて役者たちにも集合をかけると、渡されたばかりの台本を配り始める。  それを見ながら、ローラが呟いた。 「日本って、住む人の性格まで変えるのかしら? 挨拶も丁寧ね」 「国はあまり関係ありませんが、傾向としてはそうかもしれません。よく言えば、丁寧で控えめとも言えますが、弱腰で押しに弱いその姿勢は、悪い見本にもなります。それに、外面だけの人物が国の中枢を担っていますからね」  だからこそ、昔から外の国からの評価はまずまずだが、国内では冷ややかな評価を下されることが多い。  人間の世界は、矛盾で出来ている。  それが面白いと、カスミはよく言っている。  宗教家や革命家、政治家が声高に唱える思想はどこかに偏りがあり、弾かれた部分は部外者から見ると大きな矛盾となる。  レンがここにいない場合、しめたと思う以上に、ここまでいい加減な子供になったのかと言う思いの方が強い、と言うのも矛盾な考えだろう。  そう考えながらの答えに、女は小さく笑う。 「手厳しいわね。その考えだと、奥ゆかしさも、黒い腹の中を隠す小狡さってことになってしまうわ」  しっとりと、色気のある笑いだ。  着ているものの全てが、目の飛び出る値のブランドものであるのは、確認するまでもない。  正真正銘の、大富豪の娘だった。  父親が亡き今、さらに事業を拡げるやり手でもある。  若々しい白い肌と美しいブロンドのウエーブがかかった髪は、同性からも羨望のまなざしを投げられていることだろう。  しかし、広げられた事業の多くは、予想をはるかに超える異常なものだった。  自分よりもかなり小柄なその姿から目をそらしながら、ヒスイは静かに尋ねた。 「いいんですか? あんなものまで用意してしまっても?」  台本の事だ。  ここに来るときにカスミに渡されていた物を、本当に使う羽目になるとは、思っていなかった男の念押しに、女はあっさりと答えた。 「ええ。真似ごとを、本当にしてみるのも面白いじゃないの。折角、今回は男がいるんだから」 「ですが、顧客の方々への対応の方は?」 「簡単にできるものではないと言うのは、承知して下さっている方々ばかりよ。少し遅れたところで、問題ないわ」  まだ余裕の笑顔を浮かべながら、ローラは黙礼してジープの方へと歩いていくアレクとジャンを見送る。  自分たちと都市部に戻る気の二人に眉を寄せる男に、女は説明した。 「昨日、面白いことがあったらしいわ」  報告者は、役者たちと昨日到着し、様子をうかがっていた部下たちだ。 「アレクたち、昨日あの子一人にぼろ負けしたそうよ」  熱い目線の先には、実戦では役に立たぬと高をくくっていた若者がいた。 「ぼろ負けって……論破された、と言う事ですか?」 「文字通り、ぼろ負け、よ。手合わせで、二人とも、一対一で涙目になったんですって」  双方、杖術での手合わせで、若者の方は左手のみでの対戦だった。  二人とも、自分よりも一回り以上小さな相手に、完全に敗退したらしい。 「人は見かけによらないわね。あなたの言うとおりだわ。いい人材を紹介してくれて、ありがとう」 「……気に入っていただけたなら、こちらもうれしいです」  呆然としながらもなんとか答えるヒスイに構わず、ローラは続ける。 「それにね、今までの経験からして、見目だけの女はすぐに壊れるのよね。それが面白いし、清々する類の女もいるけど、壊れて使えなくなる頻度が多いと、また集めるのがここまで大掛かりになるでしょ? 最近忙しくてお姉さんとも時間が合わないし」  聞き流しかかっていたセリフに目を剥いている男に気付かず、女はさらりとその意図を説明した。 「だから、集めた女を多少頑丈にしてもらった方が、こちらも都合がいいのよ。今回、それが成功しそうなら、正式にあの子を雇うわ」  臨時から正式な部下への昇進を考えているらしいが、それは三人をと言う意味でもないようだ。  つまり、演出の他の二人はこの現場限りの使い捨て、と言う事だ。  それどころか、これから本当に撮影の真似事までするとしたら、カメラマンや衣装係、その他の細々とした道具を用意する人材も、場合によってはそうなるかもしれない。  嫌な気分になってきたヒスイの表情に気付き、女は安心させるように明るく笑った。 「怪しまれる心配はないわ。消えてもあまり騒がれないアマチュアを使うし、地下の子たちが、そういう証拠は消してくれるから」 「そ、そうですか」  そういう心配は、していない。  思わず怒鳴りそうになったが、必死でそう答えたヒスイは、カスミが昔頭領をしていた団体を、一番初めに脱退するほどの常識派だと自認していた。  だから、この話を聞いた時も、この女の異常な考えが全く理解できなかった。  そんなヒスイに、腹違いの弟のカスミは真面目に言ったものだ。 「思い込みで動くのは、他の動物で言うところの、本能というものです。頭でいい訳を作って己を納得させ、自己満足に浸る。我々もそうでしょう?」  ただのストレス発散だった行為に、偽善の言い訳を作り、数々の一族を滅ぼして来た。  その一員だったことを悔いている兄が詰まるのを見て、カスミは小さく笑った。 「他人を陥れるためなら自分の事は棚に上げるのが、人間の特徴の一つです。そう気にしていては、年齢相応に老けてしまいますよ」  弟なりの正論に反論も出来ないが、割り切ることも出来ない。  親らしい威厳を息子に見せたい、そう相談しただけのつもりが、こんなことになってしまった。  後味は悪いがそれほど長く時はかからない予定だったから、殆んどの後ろめたさを心の奥に押しやってここまで来たのに、全くの想定外だった。  ここまでくると、自分ができるのは集められた者たちと必要以上に親しくならない事と、犠牲を最小限にとどめる計画に手直しできるはずの従兄弟に、客観的な報告をした上で意見を聞く事くらいだった。
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