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短気は損気。  その言葉が身に染みる現在の状況を、蓮は母子を見送りながらしみじみと噛みしめていた。  いつもなら素通りできる行動や言葉でも、その時の事情や心境で反応が違ってしまうのは、人という生き物としては当然の話だ。  だから、相手がその時々で捕まらないのも当然なのだが……。  今日の自分は、短気だ。  冷静になった頭で、蓮は自分をそう評価した。  いつもなら、こんなことにはならない。  今日、蓮はある男に呼び出され、仕事を頼まれた。  緋色の髪と翡翠色の瞳の外見を名前の漢字に当てたその男は、極々普通の護衛じみた仕事を持ってきた。  しかし、勘の良さには定評のある蓮は、緋翠(ひすい)の背後で動く人物の陰に気づいた。  その人物と係わるというだけでも厄介だと考えて断る気配を見せた若者に、緋翠は痛い所をついて嘆いて見せる。  考えさせてくれと逃げて来るのが、精一杯だった。  断る気は充分にあるが、その後の男との関係が拗れると厄介で、途方に暮れていた。  実は、あの男と初めて会ったのは、ごく最近だ。  こんな小さな若者を息子と紹介されて向こうも戸惑ったろうが、突然引き合わされた蓮も、どう接していいのか分からずこれまで来ていた。  真剣に悩みながら街中に出た蓮は、本当に偶然、あの二人を見つけたのだった。  両者別な場所で、全く別方向を向いているが、距離を考えると互いの存在には気づいている、そんな距離感の位置に、二人はそれぞれいた。  黒髪の若者は、ベンチに腰かけて細長い白杖を抱え込み、珍しく何か考え込んでいるようだった。  金髪の若者は、時計塔の傍の街灯の下に立ち尽くして、無感情に携帯機器を操作していた。  話し相手にもってこいの二人で、思わず安堵のため息を吐いた蓮の目の先で、黒髪の方が動いた。  不意に顔を顰め、故意に顔を背けて立ち上がり、逆方向へ足早に去って行く。  相変わらずの露骨な反応に、蓮は思わず苦笑した。  面倒事には、最初から係わらない、それがあの黒髪の若者の方針だ。  仕方ないともう一人に目を向けると、こちらは表情も変えず、自分に背を向けて立ち去ってしまう。  これもいつもの事なのだが、蓮は思わずそれでカチンと来てしまったのだ。  大体、自分が人を頼る時は厄介な物事を持っている時だから、それを知る若者は手持無沙汰でない限り、逃げてしまう。  いつもなら、仕方ねえか、で済ますのだが、今日は違った。  真剣に悩んでいる上に、金髪の若者とは実に三年顔を合わせていなかった。  だから、懐かしい気持ちも少しはあったのだが、相手の方はそんな心情をあっさり無視して走り去ってしまった。  今思うと、それが一番カチンときた理由だったが、ともかく蓮は思わず我を忘れて追いかけてしまったのだった。  いつもなら、逃げ足の速い相手にすぐ撒かれてしまうか、向こうが今自分の持つ用件との優劣を考えた後足を緩めてくれ、すぐに捕まえられるかの決着がつくのだが、今日は違った。  何の前触れもなく、追いかけていた若者が立ち止ったのだ。  蓮の目線の先で、若者は僅かに目を丸くして、踏切の方を見ている。  そして、表情に呆れを滲ませながら、ゆっくりとそちらに向かって行った。  珍しいその行動の隙に間を詰めようと足を速めた蓮も、そこの珍事を見つけて立ち止ってしまった。  警報機が鳴り響く中、踏切内の線路で、意外な人物が立って列車を止めているのが見えたのだ。  思わず呆気にとられ、線路内にいた母子らしい二人を、金髪の若者が促して向こう側の踏切を潜り出、列車が轟音を立てて走り過ぎるまで、蓮はそのまま立ち尽くしてしまっていた。  目の前を列車が横切った時、我に返って踏切に近づいて線路を渡ったが、二人の姿はなかった。  呼吸を整え、母子の背を見送りながら、蓮はしみじみ思う。  今日の自分は短気で、確かに頭の冷静さは欠いていた。  だが。  蓮はいつの間に手にしていたのか、右手にある自分の携帯電話を開きながら、にやりとした。  さっきの二人の行動をつぶさに撮った動画が、そこにあった。  長年の経験が、頭で考えるより、手を無意識に動かしていたのだ。  良心は、こんな盗撮まがいな行為するもんじゃないと言っているが、そう思うのなら無意識でもこんなもの撮るはずがない。  心の葛藤はすぐに打消しながら、蓮は誰にともなく呟いた。 「結構うまく撮れてんな。このまま週刊記者に売っちまうか。それとも、ネットで流しちまうか」  合成ではないが、どちらにしても信ぴょう性を論議されそうな代物となるだろう動画入りの携帯機器を持つ蓮に、先に近づいたのは黒髪の方だった。  女が現実味を忘れるのも、無理はない。  今は不機嫌に細められた目の瞳の色は恐ろしく薄く、視力がないために白くなった瞳孔が、更に瞳の色を薄く見せていた。  基本的に優しいこの若者は、どんなに怒っていても知り合いである蓮に、力づくで来ることはない。  来るとすれば……。  蓮は、迫りくる気配を避けながら、携帯電話を守った。  横合いからの不意打ちを避けられた金髪の若者は、小さく舌打ちして蓮を睨んだ。  その、瞳孔と変わらない黒々とした瞳を見返しながら、蓮は冷静に言った。 「悪いな。こっちも、手段を選ぶ気がなくなっちまった。出来れば、話くらいは聞いて欲しいんだが?」  二人は黙ったまま蓮を睨んでいたが、先に目を逸らしたのは黒髪の方だった。  深々と息を吐いてから、口を開く。 「場所を変えるぞ。この辺は、そろそろ通行量が増える」 「……」  まだ隙を伺いながら、金髪の方も頷く。  蓮も頷いて二人に続いて歩き出しながらも、警戒は続けていた。  返事もなく、脅迫にも屈していない。  自分の出方次第で、逃げられる可能性はいくらでもある。  表面上は不敵に笑いながら、蓮はこの後どう話を進めるか、考え始めていた。
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