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 この話は、フィクションである。 「まあ、言われるまでもないことだな、これは」  脚本の原型になる原稿のコピーの冒頭を読み上げ、金髪の若者が穏やかに笑った。  そこに居合わせているレイジも、言われるまでもなくそれは分かっている。  雇主に紹介された後、堅苦しい豪華な昼食を一緒に済ませ、レイジは現在顔合わせしたばかりの三人と、雇主のお供で来た赤毛の男から渡されたそれを読んでいたところだ。  レイジはそのコピーの束に真面目に目を通していたが、他の二人は金髪の若者に音読させる気でいるのか開いてもいない。  それを不服とは思わないのか、金髪の若者は一通り目を通してからまず冒頭を読み上げたのだった。  十代の後半に見えるその若者は、この国の言葉を全く訛りなく話し、昼食の席でも無口な二人の代わりに愛想よく受け答えしていた。  色白の完璧に整った顔立ちは、無骨な眼鏡がなければ、レイジと同じ裏方よりこの物語の主人公を張っても不自然でないように見える。  セイ、と名乗った若者は、ゆっくりと左手でページを捲り、黒縁の眼鏡の縁を指で押し上げた。 「ジャンルは何になるんだ?」  気楽、かつ乱暴に問うのはセイと同じくらいの年恰好の女だった。  こちらも、日本人の娘としては美人の域なのに、その乱暴な口調とどこか茫洋とした目線が印象を曖昧に変えてしまっている。  不揃いな黒髪を乱暴に掻きながら問う娘は、ヒビキと名乗った。 「一応現代もの、だな。簡単に言うと」  本当に簡単にまず答え、セイは詳しく説明を始める為、少しコピーに目を走らせた。 「だが主役は、安土桃山時代、つまり、戦国時代の有名な武将だ」 「は?」  興味なさげに聞いていた、もう一人の若者が間抜けな声で返した。  他の二人より更に若い十代半ばに見える、レンと名乗った若者だ。  小柄で童顔な上に、腰まである黒い髪をしっかりと後ろで束ねていたから、レイジは実際に話すまでヒビキと性別を逆に取り違えていた。  無感情で昼食の場でも殆んど口を利かなかった若者が、眉を寄せてセイを見る。  その目を見返して首を傾げながら、セイは続けた。 「天下統一を目の前にして、命を落としたとある武将と、その側近たちの話を、そのまま現代の話にしている」 「どういう意味だ? まさか、その死にざまを、現代に置き換えてやるってんじゃねえだろうな?」 「そうらしいが、少し解釈が違うな」 「?」 「その武将は部下の下剋上で、とある場所にいるところを襲撃されたことになっているが、その部下がそこまでするに至った動機は未だ謎となっている。だがこの話では、その武将は討たれていない」 「? 生き延びたってのか?」 「それも違う」  穏やかに笑ったまま、セイは答えた。 「そもそも、問題の場所には行かなかった。いや、行けなかったんだ。すでに、病死していたがために」 「……」  無感情なレンの表情が、僅かに引き攣るのを不思議そうに見ながら、金髪の若者は続けた。 「自分が病弱で先が短いと分かっていたとある武将が、死ぬ気で考えた国の在り方に同調していた部下やその周囲の武将、支え続けてくれていた他の側近たちの力を仰ぎ、自分の死を利用した手っ取り早い国の取りまとめの計画を実行した結果が、あの襲撃になった、と」  あんぐりとした小柄な若者の横で、ヒビキは少し考えて口を開いた。 「その武将の死体が出なかった謎に、引っかけてんのか?」 「そうらしい。出なかったのは、すでにその時には病死して、とある寺に弔われていたせいだ、と。あの下剋上と世に知られる襲撃は、側近たちの殉死の場だった」  新鮮な、というより、突拍子のない説だ。 「……脈絡がない話だな」  それを、無感情に口にしたのは、レンだった。 「オレもその武将の事は良く知らないけど、聞いたことはあるよ。随分酷いことした奴らしいじゃないか?」  言葉を受けてレイジが頷き、学校に行っていないらしい三人に説明した。 「日本の歴史上の人物の中では、残虐なのではと思われる所業を学校では習いました」 「鳥を使った句位なら、話に聞いたことあるな」 「はい。三人の武将の性格をよく表していると、解釈されています」  鳴かぬなら……で始まり、野鳥の名で終わる、名だたる武将三人が詠んだとされる、有名なものだ。  鳥の事は詳しくないレイジに代わり、セイが説明した。 「地味な鳥だ。姿や踊りで求愛する鳥ではない。鳴き声でメスを惹きつける鳥の方だ」  だから、当時はその鳥を献上品として貰うことも、あったのだろう。 「その三人の武将が、同じ鳥を前に詠んだのか、全く別な場面で詠んだのか。想像する気もないが……」  レンを見返し、セイはまた首を傾げた。 「それで量れる性格が、正確とも思えない。そもそも、この句で残酷だのという結論が出る方が、私には不思議だ」 「ですけど、殺すという言葉を口にするほど短気だったという事は、事実では?」  レイジは思わず反論してから、現在の日本人の中にも、よく口走る者がいるのを思い出したが、昔はそうではなかったのだろうと思い直す。  その一連の考えを見透かすように凝視したまま、セイはゆっくりと返した。 「昔の人間が、どの程度で性格を量っていたのかは、私も知らない。だが人によっては、慈悲の心でその言葉を口にする者もいたのでは、と思ったんだ」 「慈悲?」 「ああ」  ヒビキが納得の声と共に頷いた。 「例えばその鳥が、年老いていて鳴けなくなっていた場合、鳴けなくなったオスは、生きている意味がねえな」  そこまで深読みするか、と内心呆れる男に構わず、女はセイに問いかけた。 「お前はその三人の中で、誰が一番残忍な男だと思う?」 「考えようによっては全員だな。じっと待たれても鳴けないものは鳴けないだろうし、何が何でも鳴かせるのなら、悲鳴でもいいわけだ。誰が一番残忍なのかは、時代の考え方で変わるものだろ」  身もふたもない答えを出し、若者は話を戻した。 「時は、未来の日本。国が荒れ、領地を巡って軍人たちが再び力をつけ始めたという設定だ」 「笑えねえ」  げっそりと呟くヒビキと、頭を抱えるレンに構わず、セイは続けた。 「その中で、日本の未来に危機感を抱き、再び一つにまとめることを夢見た男がいた。それが……」 「その武将ってことか」  雇主の女監督も、脚本を書いている男も、よその国の英雄的な武将をそのまま使うことに、全く頓着していないようだ。 「頓着してちゃあ、話なんざ作れねえだろうな」  日本人として、その事に少し思うところがあったレイジは、その心境をヒビキにすら見透かれてしまったらしい。  自分を見てにやりとする女に首を竦め、通訳とその他雑用で雇われた男は咳払いをした。 「登場人物は、その武将と下剋上を実行したとされる部下、後の二人の天下人、その他、彼らを取り巻く武将や側近など」  セイは、その他脇役を次々と読み上げた後、少し間をおいて続けた。 「映画の定番として、何個か、らぶろまんす的なものも、用意される予定らしい」  レイジは首を傾げた。  今の言葉の中で、やけにぎこちない単語があった。  その部分が分かっているらしい二人が、それぞれ笑った。 「お前な、定番な上に、それが見どころの映画が多いのに、それを演出するお前が懐疑的のままってのはどうなんだ?」  呆れた笑いでヒビキが言う傍で、レンが苦笑する。 「まあ、オレも、恋愛沙汰に詳しいわけじゃないから、気持ちは分かるけど」  それにセイが、目を丸くして返す。 「そうなのか? 私はこの手は分からないから、あんたに任せようと思っていたのに」 「オレも同じだ。女と付き合ったって言ったって、殆んど相手の勢いに押されてだし。お前もそんな感じだろ?」 「私は付き合った事すらないし、相手は女の人ですらなかった」  平然とそんな会話を交わす二人に、ヒビキが顔を引き攣らせた。 「こらっ。そういう話は、もう少し遠慮して話せっ。通訳の坊主が引いてるぞっ」  引き合いに出されたレイジは、引いてはいなかった。  また、変な人と知り合いになってしまった、と内心嘆いていただけだ。  自分より、むしろ引き合いに出した娘の方がその手の話題に抵抗があるらしく、血相を変えている。  そんなヒビキを、他の二人はしばらく見つめ、セイが頷いた。 「そうか、一番年長のヒビキなら、その手の事に詳しくても不思議じゃないな」 「まあ、年長者がそうだと決めつけるなら、そうかな」 「こ、こらっっ、待てっ」  あっさりと話が落ち着きかけ、たまらずヒビキが叫んだ。  その声を受けて再び娘に顔を向けた二人が、声を揃える。 「何だ?」 「い、いや、あのな……」  面と向かっての問いに、しどろもどろになってしまったヒビキを、暫く首を傾げて見ていたセイが、不意に言った。 「選んだ役者に、任せるか」  演出者としてあるまじき言葉に目を見張るレイジの前で、ヒビキがすかさず頷いた。 「そうしろっ。役者ってのは、そういう修羅場をいくつもくぐっている奴が、多いはずだからなっ」 「まあ、無責任すぎる気はするけど、仕方ないか」  レンも溜息をついて賛成し、役者丸投げ論はあっさり成立してしまった。  この人たち、大丈夫なのか?  ただの通訳で雇われたレイジが不安げにしている内に、一通り話を終えたセイが姿勢を正した。 「ヒスイさんから話は行っているとは思いますが、我々は映画界とは無縁の人間です」  慌てて自分も姿勢を正して、レイジは頷いた。 「普段は、警備のお仕事をしておられるそうですね」 「はい。ここにいるレンに協力を頼まれまして……」  小柄な若者を一瞥してから、セイはゆっくりと言った。 「演出というより、警備の方を重点に考える方が、こちらとしてはやりやすいのですが、役者陣以外の人材には、余り金銭をかけたくないとのことで、無茶を承知での人事なのだとか」 「はい、私もそう聞きました。ただ、監督のローラさんは英国の方で、日本語を含めたアジア系の言葉は分からないそうで、私は仕方なく雇う羽目になったとか、そうおっしゃっていました」 「おいおい、本人にそんなこと言ったのか、あの女」  娘が露骨に眉を寄せ、それに慌てたレイジが付け加える。 「監督に選抜されたお二人です。私は監督に取り入るつもりはないのですが、どうもそう見えたようで……」 「……ああ、あの二人か」  主役二人は、すでに監督によって選ばれている。  スタントなしで動ける中で、見栄えのいい男を選んだと言っていたが、この三人との顔合わせに同席した彼らは、必死で動揺を隠していた。  演出として雇われた者達より、格下の役者、というのも、苦しいものがある。  もっとも、世界の役者の中で、どの位この三人に勝てる者がいるのか、怪しいものだが。 「監督にも言いましたが、明日の最終審査では、危惧される妨害にも屈しない、図太い神経の役者を選ばせていただきます」  もう少し言葉を選んでほしいが、セイは監督にもこの言い分で最終審査での選抜権を勝ち取った。 通訳の自分を通さずに英語で監督と取引したところを見ると、やはり容姿通りの出身なのだろうと思うが、日本語での言葉も遠慮がない。 「容姿は、二の次でもいいでしょう。あの主役二人が、見劣りしてはいけませんからね」 「はあ、その辺りの所は、私にも分からないので、お任せします」 「予定は、審査の結果発表から二週間後より二か月間。撮影と稽古を含んでの期間と聞きました。我々も初めての仕事となりますので、多少他の方々と違うやり方になると思いますが、余りお気になさらないで下さい」 「はい。私の方も、映画の撮影は見るのも参加するのも初めてですので」  というより、バイトをするのも、これが初めてのレイジは、曖昧に頷いた。  セイはああ言っているが、三人とも黙っているだけで、その手の業界に係わりはしないものの、一度くらいはスカウトされたことがあるかも知れない。 「……まあ、仕事柄、名の知れた役者のガードは請け負ったことはあるから、撮影現場自体は初めてじゃないよ」  レンが表情を僅かに緩ませ、またまた顔に出ていたレイジの考えに答えた。 「でも、こいつすら、一度もスカウトされたことないんだ」  指をさしての言葉に、さされたセイが首を傾げて返す。 「私は確かにないが……あんたは、断ったことがあるんだろう? つまりは、誘われたことはあるわけだ」  そのやんわりとした指摘に、小柄な若者は首を竦めた。 「何で知ってるんだ? 黙ってたのに」 「ヒスイさんが言っていた。よりによって、アイドル歌手にならないかと言う誘いだったそうだな。即断って、脱兎のごとく逃げたと、ヒスイさんが残念がっていたぞ」 「歌手?」  ヒビキが、吹き出して笑い出した。 「いいじゃねえか、音痴でも音声係が誤魔化してくれる、あれだろ?」 「世の中の歌手が、全員その手だと誤解されそうな台詞は、吐くなよっ」 「でもよ、お前を誘う位だから、その会社は相当それなんじゃねえの?」  軽口を叩くヒビキの言い分に、セイが笑顔で首を傾げる。 「見た目で、音の外れ具合が分かるスカウトマンがいるのか? 私はレンには一度、受け狙いで歌番組に出てほしいと思っているが」 「思うなっ。受け狙いでもお断りだっ」  こんな調子で脱線しながらも話は進み、明日の予定を確認し合った後、今日は解散となった。  最終審査の結果発表は明後日。  その半月後から、撮影現場での仕事が始まる予定だ。  このレイジにとっての初めてのバイトが、今回この仕事を紹介してくれた男の思惑通りに動くか、二度と故郷の地を踏めなくなるかは、今の段階では分からない。  だが、分かれた三人の背を見送りながら、レイジは一つだけ予想できることがあった。  この仕事、裏の事情は脇に置いても、必ず何かが起こる。  相当の覚悟を持って臨まなければ、命がいくつあっても足りない気がして、男は一人身震いをしていた。
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