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「……」
しばらく、その動きを見守っていた男が、不意に小さく笑った。
不審に思う東が声を掛ける前に、またドアに取り付けられたベルが来客を告げた。
「いらっしゃいませ」
準備中の断りを入れるまでもない相手と一瞥で判断した葉太の挨拶に、軽く答えて奥に入って来たのは、二人の男女だった。
「もう来てたのか。早いな」
軽くそう先客に声を掛けたのは、まだ十代の半ばに見える小柄な女だ。
明るい栗色の髪を今は短くして、瞳と同じ水色がかった緑色の小さな石のついたピアスのついた耳を見せるようなカットにしている。
「相変わらず、集めた当のあの人が一番遅いんだな」
不機嫌に言いながら、カウンター席に来る男は、カスミと同じくらいの長身だが、黒づくめの為に色白に見える無愛想な男だ。
連絡を受けた時、久し振りにこの二人と顔を合わせることになるとは知っていたが、男の方は予想以上に不機嫌に見える。
その理由を知る東は、二人に短い挨拶を返しただけに留め、時計を見た。
約束の時間は、あと五分後だ。
そう確認した時、再びドアのベルが来客を告げた。
先ほどよりも勢いよく開かれたために、鋭い音になったベルの音を聞き流しながら、大柄な男が店の奥に入ってくる。
見ただけで印象に残る容姿の男だ。
燃えるような緋色の短い髪のその男は、深緑の瞳を輝かせて奥で座っていたカスミに突進した。
「すげえよ、カスミっ。お前、やっぱり、悪巧みの天才だなっ」
飛びつきかねない勢いの男を上手に避け、カスミは真面目に応じる。
「ありがとうございます。ヒスイがそこまで喜んでくれたのなら、悪巧みした甲斐もあったと言うものです」
「あのレンが、あそこまで、やけくそで仕事に参加するんだ、これが喜ばねえでいられるかっ」
手放しで喜ぶ男の言葉に、カスミ以外の客が懐疑的な反応を返した。
「やけくそ? レンが?」
女が眉を寄せ、出されたコーヒーが冷めるのを待っていた男も天を仰いでいる。
「……想像できん」
その呟きに同意しながらも、東は微笑んで幼馴染に声を掛けた。
「あのレンちゃんが、そんな珍しい状況になるような、どんな悪巧みをしたの?」
「それほどの企みでもない。ただ、ヒスイに断れないような言い方を教えて、事実断れない事情を、用意しただけだ」
裏を取って嘘がばれるようなら、それは失敗だ。
だが、今回集結した理由の事案で、そんな事情が作れるのか。
東は少し考えて、納得した。
「なるほど。映画の撮影なだけに、その映画の内容を快く思わない者の妨害を仄めかしたのね?」
「まあな」
「自由な発想を妨害するのを防ぐ役を、レンちゃんに振った訳ね。断ったらそれこそ、ヒスイちゃんは嘆けばいいものね」
それだけで、蓮の方は後ろめたくなる。
べたなやり方だが、根っからの悪人ではない若者には効果がある。
外見からは想像もできないが、蓮は知り合いの中でも若手ながら、味方なら頼もしく敵なら厄介な相手となる者の五本指に確実に入る人物だ。
この国の戦国の世から今まで生き延びているからには、それ相応の処世術を身につけている上にまだまだ成長を続けているから、表面の事情で安心するわけにはいかない。
手放しに喜んでいるヒスイに苦笑しながら、東はやんわりと言った。
「あなたは、レンちゃんを過小評価してるわね、相変わらず」
「そうか? まあ、確かに奴らを見た時は、焦っちまったが、今回はそうでもねえ気がするぜ」
「奴ら? レンちゃんだけじゃなかったの?」
意外な話に眉を上げた東に、男は説明した。
「昨夜の内に電話で引き受けた旨を伝えて来たんだが、そん時に一人で全員のガードは難しいから、後二人連れて来てもいいかって伺いを立てて来たんだ。問題は特にありそうもねえから、許可した」
確かに、一人で複数の人間を守るのは無理だ。
自然な申し出に頷く一同に、ヒスイは笑いながら言った。
「しかし、あの人選では、心許ないぜ。何考えて、あの二人にしたんだか」
「焦った割に、余裕な台詞ねえ」
「ああ。最初に見た時は、ギョッとしちまったぜ。まさかレンが、セイだけならまだしも、キョウまで引っ張り出して来れたのかと思っちまったからな」
客全員が目を剥き、その中で物足りなさそうにコーヒーを啜っていた黒ずくめの男が、むせて咳込んだ。
「セイだとっ、あいつが出て来たのなら、オレは降りるっ」
そのまま立ち上がり、勢いのままそう言い切ったのは無理もなかった。
男にとって、セイは唯一敵に回したくない人物なのだ。
蓮が仕事の成功率を上げる為にコンビを組むなら、これほど最強な相棒はいないし、個別でも敵に回すと厄介な若者だ。
その上、鏡月まで引っ張り出せたとなると……。
「こら、オキ。早まるんじゃねえ」
東が考え込む中で本当に店を出て行こうとしていた男を、ヒスイは笑って呼び止めた。
「初見ではそう思って、ギョッとしちまったってだけだ。話して見たら全然違った。全くの別人だった」
「どういうこと?」
立ち止って振り返る男オキの代わりに問う東に、赤毛の男は笑いを濃くして答える。
「レンは殆んど喋らずに、もっぱら金髪の奴に喋りを任せてたんだが、その金髪、目元が分からねえ程の、キツイ度数の眼鏡をかけていやがった。伊達かとも思ったが、脚本の下書きのコピーを読むあの眼の近さは、間違いねえ、ど近眼だ」
黙り込む一同に、ヒスイは軽いノリで続ける。
「それにそいつ、人当たりが柔らかくてな、どいつにも愛想を崩さねえんだ。多分ありゃあ、体力じゃなく、対人の方の腕を買ったんじゃねえかな」
「本当は、すごい子なのかもよ?」
用心深い言葉も、ヒスイは笑い飛ばした。
「そりゃあ、ねえな。いや、まあ、ある意味すげえのかもしれねえ。片手だけで器用に、手元の事をこなしてたからな。だが、そんなハンデのある奴が、今回の仕事の対人関係以外で、役立つと思うか?」
「ハンデって……腕が、一本しかないとか?」
「いや、両腕揃ってはいたが、右腕が動かせる状態じゃなさそうだった」
セイがもし蓮を手伝うことになったとして、その依頼主がヒスイと分かっていてなお、そんなハンデを持ったまま仕事に臨むだろうか。
ヒスイの悪巧みの裏には、必ずと言っていいほどカスミがいると、承知しているはずだ。
昨日から引き摺っている心配事と合わせて、深く考え込んだ東の耳に、ヒスイの話の続きが入ってくる。
「それからキョウ似の奴だが、そいつヒビキって名乗ってて、上から下まであいつそのままだった。すげえよな、最近のコンタクトレンズは」
「いや、それの方があり得ねえことないか? あいつの目、薄いのは瞳だけじゃねえ。コンタクトレンズで再現したら、見えなくなっっちまう」
女が、意地悪な笑顔で否定する。
ヒスイが、どちらかというと鏡月の方を苦手視しているのを、知っているせいだ。
だが、赤毛の男は笑いながら首を振った。
「しかもそいつ、女なんだ」
一同が考え顔になるのを見まわし、ヒスイは言い切った。
「あいつなら確かに、女になって仕事に臨むこともあるかもしれねえ。だが、カスミが動いていると疑えるような仕事で、それはあり得ねえだろう?」
話題の主の一人セイは、外見年齢は十代後半から二十代前半の、男にしては小柄な若者である。
小柄な体格と色白の肌の、中性的で完璧といってもいい位に整った顔立ち、今は時代の流れに乗って、短くした薄色の金髪と対照的な黒々とした瞳を持つ、一部では「無自覚の人間殺し」の異名を持つその若者は、東とオキ、そして女メルが所属していた、今の世では組織、と一括りにできる集団の、三代目の頭領だった。
親戚が多くいた初代の頃から比べると、かなりの人数に膨れ上がっていた集団を束ね続けていたその実力は侮れず、そうでなくてもオキのように敵にはしたくないと、元仲間たちの多くは尻込みする相手だ。
もう一人の鏡月は、セイと同じくらいの背丈の若者なのだが、色が正反対の若者だ。
東洋系の色合いで、元々薄い琥珀色の瞳なのに、瞳孔が白くなったために更にぼんやりとした印象を与えるが、実際は知り合いの中では一二を争う程、潔癖な一面を持つ若者だ。
幼い頃はその容姿の目をつけて、ちょっかいをかけた者が瞬時に切り刻まれた、ということはまだ序の口で、すれ違いざまに肩が掠っただけでも刀に手が伸びる、危険極まりない子供だったのだが、年を重ねるごとに落ち着き、代わりに並みの犬よりも鼻と耳が利く、油断のならない若者へと成長してしまった。
東とヒスイは鏡月の兄弟子に当たるのだが、体力ではともかく、その技量と嗅覚と聴覚を駆使した戦術には、今まで勝てたことがない。
二人の容姿は比較的すっきりとしているから、メルが指摘した瞳の問題も、「変装」ではなく「変化」なら簡単に真似できるだろうが、その二人を今回推挙したのが蓮、というところで引っ掛かりがある。
うなるメルと天井を仰ぐオキ、静かに考え込んだ東を見まわし、カスミがようやく口を開いた。
「本命は、どうだったんですか?」
「ん? 本命?」
「レンですよ。あの子には、常と変わった様子はなかったんですか?」
体力勝負にのみ自信のある兄だが、それでも長年の観察眼は信用できるからこその問いに、ヒスイは少し考えてから答えた。
「あいつは、ずっと黙ってて、はっきりと口をきいたのは、最初の挨拶の時だけで、あとは始終無愛想だった。仕事で直接接するのは、これが初めてで何とも言えねえけど、あれがあいつの仕事モードなのか?」
「ちょっと、それ、本当に、レンちゃん?」
思わず顔をあげた男二人のうち、声をあげたのは東の方だった。
「ん? 何だ?」
きょとんとした男に、オキも意見する。
「あいつ、自分は傍目にどう見えているか、よく分かっているぞ」
「? どういう意味だ?」
「自分の外見では、初対面で印象を伝えないと信頼を得られないと、十分に分かっているのよ、あの子」
見た目が若い、というより幼い蓮は、小柄な己の体と童顔をとても嫌っている。
それならせめて、昔から切ったことがあるのかと思える、あの腰まである髪を一度切ってみてはと突っ込みを入れたくなるのだが、蓮は嫌ってはいるがこれは努力ではどうしようもないものだと割り切ってもいた。
だから、仕事の相手には必要最低限の笑顔を向け、その中に頼りになる要素と自信を印象づけるために、不敵さを同居させるのだ。
それを虚勢と取る輩もいるが、受けた仕事はほぼ確実に成功させ、一緒に仕事をした者たちからの信頼も勝ち取っていた。
ヒスイの前だからと言って、信用を得ることを放棄するような若者ではない。
「しかし、名は同じだし、約束の時間に現れたぞ」
「他人に名乗らせて、当の本人は隠れて様子を見ているのか、あるいは……」
反論する男に真面目に返したのは、カウンター越しの葉太の作業を、頬杖をついて見守っていたカスミだったが、こういう時のこの男は一言多い。
「他人に押し付けて、当のレンはこれ以上の係わりを、拒否したのかも知れませんね」
長年の経験で、その気配を察した東の制止は間に合わず、声を発する前にヒスイが反応した。
思わず立ち上がった赤毛の大男の声と、勢いよく倒れた椅子の音が重なる。
「あいつ、そんないい加減な気持ちで、仕事をしていやがるってのかっ?」
そんな反応に頓着せず、弟は変わらず真面目な顔で返す。
「今回はやむを得ず、かも知れませんね。断っても、ヒスイに何か言われることも、承知しているはずですから」
黙り込む兄に、さらに言った。
「まあ、あの子の性格では、あり得ないことですが。ヒスイが会ったその人物の態度からすると、そのあり得ぬことをしているかもしれませんね」
真面目に言う言葉は、兄への遠慮が一切ない。
「……カスミちゃん」
言葉を選べ、と暗に言っている東の呼びかけに、カスミはやんわりと微笑みとってつけた言葉を続ける。
「つまり、この仕事の成功確率が、大幅に上がったということになりますね」
「そうか?」
「はい。この仕事を成功させた後に、仕事放棄したレンは、後々までヒスイがいじめればいいだけです」
結果良ければ、というやつだ。
確かにそうだが、真面目なヒスイは、無責任な蓮の行動に複雑な表情である。
それでも、何とか気持ちを切り替え、集まった昔馴染みたちを見回した。
「乗りかかっちまってるから、後戻りも難しいんだ。もしかしたら、レンはいないかもしれねえ。それでも、協力してくれるか?」
「この間も言ったが、オレはあいつが係わっていないなら、断る理由はない」
即答したのは、オキだ。
次いで、メルも迷いつつ答える。
「オレも、もし、レンが参加しているとしても、出し抜けるって確実に言い切れるんなら」
「カスミもいるんだ、大丈夫だ。相変わらず、心配性だな、お袋は」
弟を信用したヒスイの軽い言い分に、とてもその母親には見えない女は反応した。
「その呼び方はやめろって、何度も言わせるなっ」
いつもの言い分も笑って流し、考え込んだままの幼馴染に目を向けた。
「ロン、お前は?」
「……そうねえ。まあ、お仕事自体はそう難しくないから、協力してもいいけど……今、この国を離れたくないのよね」
「? 何でだ? 連絡入れたときは、乗り気だったじゃねえか」
本名を呼ばれての問いかけに歯切れの悪い答えを返した後に、東は昨日からの気がかりを口にした。
「実はね、昨日の昼間、待ち合わせの約束してた子が、時間になっても現れなかったのよ。三時間は待ってたのに」
「お前、どんだけ暇なんだ?」
ヒスイは呆れただけだが、オキは眉を寄せた。
東が約束の時間を過ぎても、それだけの時間待とうと思う相手は、あまり存在しない。
「セイと、連絡が取れたのか?」
「ええ。昨日の朝方、電話があったの。近々五分でもいいから会えないかって。だから、午後の時間に待ち合わせたんだけど……結局、来なかったの」
「何でだ? 一体、何の用で?」
食いつくオキに男は首を振った。
「それは、会ってから尋ねるつもりだったから、分からないわ。ただ、約束を破る子じゃないから、気になって……」
「ちゃんと探したのか? どこかの溝に嵌まっているとか、ゴミ箱の中とか……」
葉太とヒスイが、そんなところまで? という顔をする中、東は真顔でオキの真剣な問いに答える。
「探したわよ、ちゃんと」
昔、井戸に落ちてしまった過去がある若者で、勿論もうそこまで小さくないが一応探してみたのである。
「でも、どこにもいなかったわ。今日まで姿を見せてくれないし……」
「……」
唸る男二人から、葉太の顔に視線を向けたカスミが、そのまま東の方に真面目に問いかけた。
「あいつのことだ、待っている間に男に絡まれて、半殺しにしている内に、待ち合わせていたことも忘れて帰ったのではないのか?」
前半はあり得るが、後半はあり得ない。
色黒の男は溜息を吐いて、まず前半部分に頷く。
「それは真っ先に思ったから、周囲の路地は確認しました。それらしい痕跡は、なし」
きっぱり言い切ってから、少し強調して続けた。
「そのまま忘れるなんて、あの子に限っては、ないわ。カスミちゃん、あなたじゃないのよ」
「そうか」
小さく笑いながらも、カスミは葉太を見上げたままだった。
「案外、半殺しにできない男に、絡まれたのかもしれんな」
「え、どういうこと?」
「いや、こちらの話だ」
控えめに笑うその表情は、付き合いの長い東からすると、かなり底意地の悪い類の笑顔だ。
だが、それを指摘する前にカスミが呼びかけた。
「ロン」
「何?」
「あれのことは、私が気にかけておくから、お前はヒスイに協力してやってはどうだ?」
予想外の言葉に、ヒスイが反応する。
「おい、まさかお前、放棄する気かっ?」
「ロンが協力するなら、私などいなくても大丈夫でしょう」
「あのなあっ」
「心配しなくても、この先もしものことがあった時の備えはあります。危ないと感じた時点ですぐに引けるように、お膳立てもできていますから」
兄を宥めるカスミに、軽い驚きから覚めた東が慎重に問いかけた。
「つまり、後は、場合によってあなたの作った経路に色付けすればいいだけってこと?」
「そういう事だ」
少し考える幼馴染の顔を覗き込みながら、カスミが言う。
「お前、最近この手の事から遠ざかっているだろう? たまには息抜きに、参加してみてはどうだ?」
気遣う表情は、恐ろしく胡散臭い。
だが、一度身を引くと宣言したカスミが、自分が参加しないと言ったところで、前言を撤回するとは思えない。
もし、危惧する三人の誰か一人でも計画を邪魔する方についているとしたら、残りの人材で対処できるか、大いに怪しい。
「……それもそうね。最近頭を使うお仕事していないから、逆に変になりそうだったのよ。気晴らしに、やってみるわ」
すべての疑問と不安を無理に押さえつけ、東はやんわりと笑ってみせた。
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