2

4/4
前へ
/50ページ
次へ
 そちらとの接触、無事完了。  そんな短い文面のメールが届いたのは、昨夜の遅い時間だった。  それを読んだのはつい先ほどで、それでも速瀬良(はやせりょう)は一安心できた。  自分の望みと父親の希望の間で板挟みになっていた友人の弟を見かねて、気晴らしにと自分の仕事の手伝いに駆り出したはいいが、その仕事が一筋縄でいかない事例と気づいた。  気晴らしどころか、友人の弟の命の危険も考えられる事案に大慌てした良は、一昨日急遽ある人物を頼った。  快くとはいかないが相手はそれを受けてくれ、翌日には接触を成功させてくれたのだ。  動き出すと早いと舌を巻く良は、今その友人の弟のレイジからの報告を待っているところだった。  三十過ぎてもふらふらとしている高校時代の友人は、国外に遊びに出てしまい今回は長く帰ってこない。  そろそろ会社を子供に継がせて隠居したいという父親の気持ちも分かるが、だからと言って真面目で頭のいい母親違いの次男のやりたいことを無視して、後継ぎとしての教育を強要するのは、早計過ぎである。  レイジの腹違いの兄は、頑丈な男だ。  そして、会社を継いで大きくする、そんな野望も秘めている男だ。  今回長く連絡すら取れないが、死んではいない。  あの男は、本格的に命を狙われているならまだしも、そこいらの行きずりの強盗に引けを取る奴ではない。  仕事の包囲網と友人の捜索網の他に、レイジの心配まで抱え込んでいた良は、ようやく網広げにのみ心を砕ける状態になった。  ほっとした男に報告の電話が入ったのは、昨夜より少し早い、日本時間で午後九時を回った頃だった。 「……もしもし、レイジです」  やけに疲れた声には言及せず、良は軽く受けた。 「おう、何か、変わりはなかったか?」  その問いに、しばらくの沈黙の後に答えた声は、珍しく荒れていた。 「……どこまで変わっていれば、変わったと報告してもいいんですかっ? 僕の感覚では、最初っから変わってることなんですって、何度言えばいいんですかっ」  昨日より壊れている。 「何だ、昨日より、変わったことがあったか。どんなことだ?」 「どこから話せばいいのか……もう、僕は、頭が破裂しちゃいそうですよ。良さんが頼んだ助っ人の人は、いつ来てくれるんですかっ? 本っ当にまともな人なんでしょうねっ?」 「? 会ってないのか?」  相手が嘘をつく人物ではないと知る良は、少し考えた。  接触はあったが、レイジは気づかなかった、ということか。  昨日は演出の若者三人と、女監督と赤毛の男ヒスイとの会食があったと言っていた。  今日は、最終審査で役者たちとも接触している。  メールの着信時間からして、演出の若者の一人が、助っ人に呼んだ人物かも知れない。  そう納得した良の耳に、真面目な若者の声がぼやいている。 「監督も変だし脚本家も変、演出兼護衛も変だし、選ばれた役者の人も全員変な人が選ばれちゃったんですよ。これ以上一人でいたら、オレ、本当に気が狂っちゃいますよっ」  一人称が変わるほど耐え難い環境らしいが、男は敢てそれに触れず、別なことに問い返した。 「役者たちも、全員変なのか?」 「そうですよっ」 「まあ、ああいう事を仕事にする者が、まともって方が信じられないが。中々楽しそうだな」  思わず笑ってしまった男の耳に、レイジの若干低くなった声が届く。 「笑い事じゃないです。それに、あなたが考えて楽しめる類なら、僕だって免疫がありますっ。残念でしたねっ」 「ほう、じゃあ、どういう類の奴らだ?」 「少しは自分で考えてみたらどうですかっ?」 「怒るな怒るな。これも状況報告の範囲だぞ」  そろそろ真面目にと釘を刺すと、レイジは渋々説明した。 「本日、最終選考で選ばれたのは、男女それぞれ五人ずつの十人で、ど素人の僕から見てもとてもすごい方々です。先に推されていた二人の役者さん方が、完全にかすむくらい見目もいいですし。どうして今まで名が売れないんでしょう、ああいう人たちが?」 「まあ、世間の世知辛い事情のせいだ。どんな大根役者でも、大きな役にありつけたりするもんだ」 「そうなんですか。一般の我々も、それで損してるんですね」  世間知らずなレイジは一応納得して、話を元に戻した。 「経歴は、主に舞台で活躍している方々で、人当たりもいいんですが……何だが、顔つきが怖い、といいますか」 「? それで、人当たりがいいのか? 想像できんが」 「うーん。何と説明すれば……話しかけやすい人たちではあるんですが、そのあたりの良さの裏に、鬼気迫るような何かが、潜んでる? と言えばいいんでしょうか? 話しててもこちらがオロオロしたくなるような、そんな感じがして……」 「選ばれた全員が、か?」 「はい」  考え込む良の耳に、躊躇いがちに若者が言う。 「女性の方の数名は、何となく分かるんですけど」 「……と言うことは、女役者たちは、あれ目当てか?」 「はい。僕の目には、そう見えました」 「つまり、そういう事か」  女たちはあるものが目的で、怪しい応募に乗った。  では、男たちは? 「鬼気迫る何かってことは、似たような思惑かも知れんな。ただでさえ厄介な話だというのに、随分複雑になっているな。今回、何で、男の役者まで選考されたんだ?」  今までの調べでは、男女問わず応募はされても、選ばれていたのは女だけだった。  監督であり、スポンサーの娘でもある女の目的が、健康な若い、特に見目のいい女だからだ。  条件のいい、普通の感覚では怪しくすら見える公募だが、監督が見目のいい女ということが、それを麻痺させてしまっているきらいがある。  条件に適った女を釣り上げるためのエサは、破格の報酬で、かなり高額だ。  何度かこの手で女を集めている広告が、噂程度でしか疑われていないのは、男役者も一応は選ばれているからだが、今回はサクラではない者達が選ばれたらしい。  自分達の目を欺くため、とも考えられるがそれならば今までのやり方でも充分のはずで、こんな余計な人数が増えても得にはならないはずだ。  こちら側からしても、巻き込まれる人間が増えることは、余り有り難くない。 「昨日の話だと、選抜は演出の連中に任されたという事だったが、そいつらが全員選んだのか? よく監督が反対しなかったな」 「はあ、昨日も言った通り、選ばれてた二人の主人公の役者さんより見目がいい人たちなので……」  特に金髪の若者の容姿に、一発で落ちてしまったらしい。 「……」  少し考え、良は昨日尋ねなかったことを訊いてみた。 「そいつら、お前が若い、と思うぐらい、若い奴らなのか?」 「はい。若いというより、一人なんか幼いって言ってもいい位ですよ。十代後半位の男女と、十四五歳くらいの男性の三人です」 「ほう・・・」  二十代のレイジの見立てに、良は思わず軽く答えていた。  その声で笑ったと察した若者が、受話器越しにかみつく。 「笑っていないで、何とかしてください。助っ人の人と、連絡は取っているんでしょ? 早く合流してくれるように伝えてくださいよっ」 「落ち着け、落ち着け。心配ない。お前、もう会ってるぞ」 「え?」  安堵でさらに砕けた気持ちになる良が、言い切った。 「ヒスイさんが推した人材が、その人選をするのはおかしい。その、演出のガキの三人のうちの一人が、間違いなく助っ人だ」 「あの三人の中に? まさか」  確信した男と反対に、レイジの方は疑いを解かない。 「大体、どうして、敢てあんな人選をしたっていうんです?」 「それは分からんが、必要があっての事だろう。詳しい容姿を訊いても、オレにはその三人の中の誰がそいつかは分からん位にはカムフラージュしているはずだが、間違いない」 「百歩譲ってそうだとしても、人選までああいう偏りができる人なんですか、その人は?」 「ああ、その気になれば、そのくらいできる奴だ」 「本当に?」  当然ながら全く信じていない若者に、良は太鼓判を押した。 「心配するな。そいつはな、どんな相手を敵に回すとしても、いるかいないかで事情が全く変わる位、実力がある奴だ。このオレだって、二度とは敵に回したくない位なんだぞ」 「はあ、そうですか。でも……」 「まだ、信じないのか?」 「いえ。良さん、二度と敵に回したくないって、一度は敵対してたんですか?」 「……」 「一体どういう間柄の人なんですか?」  痛いところを突かれ、良はしばらく黙り込んだ。  素朴な疑問だと分かっているだけに、はぐらかしたらもっと不自然だ。  思わず口を滑らした事を悔やみつつも男は答えたが、嫌そうな声は抑えられなかった。 「意見が合わない奴なんだ、ことごとくな。で、一度、あることで衝突したんだ。その時は……殺されるかと思った」 「……」  その時以来、その人物の目をまともに見ることもできなくなった良の、苦々しい思いが伝わったらしい。 「そうですか。そんな人に、頭を下げてくれたんですね」 「まあな」 「心配をかけて、すみません」  人のいい男の謝罪に、良は小さく笑った。 「お前をそんな現場に駆り出したんだ、謝るのはオレの方だろう。これからがまた気を抜けないからな。慎重に、報告の時にも注意を怠るな」 「はい。また明日、報告します」 「ああ、お休み」  少し落ち着いた若者との電話を切ると、良は紅茶を煎れながら溜息を吐いた。  敵を欺くには、まずは味方から。  その言葉はよく聞くが、実際にやっているという話は聞いたことがない。  だが良は、その手の動きも助っ人が長けていると判断し、考えをまとめていく。  あの脚本家として女監督に近づいている赤毛の男ヒスイは、この仕事から接触している事は間違いなく、昔からこの件の裏で関わっているわけではない事は、調査済みだ。  しかし……助っ人の人物が、やりすぎな位にばら撒いているカムフラージュは、その調査結果を信じすぎてはいけない、そんな気持ちを起こさせる。  もしかすると、ヒスイが今回近づいてきたということ自体が、何かの企みなのではないか?  とすると、そのヒスイを思惑通りに動かしている人物が背後にいる。  それは恐らく、自分もよく知る人物だ。 「やれやれ、本当に、厄介だな」  仕事が難しくなったからではない。  後始末が、恐ろしく大変な状況になると予想したためだった。
/50ページ

最初のコメントを投稿しよう!

22人が本棚に入れています
本棚に追加