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 腹の探り合いの場、とはならなかった。  本当はそんな気持ちで誰ともなく切り出された食堂での集合だったが、食後しばらくして再び集まった役者たちは、テーブルを囲んで座るなり一様に突っ伏した。 「……しんど」  ぽつりと共通語の英語で呟いたのは、コウだった。  中華の国の出身だと言うが少し肌色が白く、西洋の血も流れているように見える男だ。 「オレは、地元の映画のちょい役で出たことがあるだけなんで、よく分からないんだが……」  ようやく顔だけ上げながら自信なさげな声で言うのは、トレアだ。 「大きな映画ともなると、役者もここまでやるもんなのか?」  この中で一番の背高なこの男の隣にいるのは、トレアと同郷でこの地の隣に位置する町の人間の、役者の男の中で一番小柄で背の低い男ジムだが、こちらは声を出す気力もない様だ。  代わりに答えたのは、ゲンだった。 「分からない。撮影に参加できるほどの幸運には、巡り合ってなかったんだ」  日本人でイワオと名乗ったその男は呼びにくいために、その漢字の読みを変えて呼び名にした。  役者の中で一番若く、先程の手合わせで解説した男だ。 「オレも、小遣い稼ぎで、地元のドラマのちょい役に出たことがある位だ。もし、どの映画でもこうなら、賞を取るレベルの俳優たちは、ただ者じゃないな」  一番年かさに見えるカインと名乗った男の、しみじみとした感想に男性陣は大きく頷いた。  外での活動が多いのか日に焼けた肌が、強面な顔立ちを余計に際立たせているように見える。  あの後、「軽い準備運動」と称した手合わせをした。  相手は、レンと名乗った小柄な若者と、ヒビキと名乗った女で、セイと名乗った若者はその後ろに立ち尽くしていた。 「まずは、この二人の体に痣の一つは付けられるように、攻撃してみてくれ」  金髪の若者は、のんびりと笑顔で言い、小道具箱を指した。 「武器は何でも使っていいぞ。ヒビキは無手、レンはこれ、だ」  まだ手にしていた杖をレンに放りながらセイは続け、この地では通信に使えないはずの携帯電話を取り出した。 「……十五分もったら、いい方か」  その呟きに無言で動いたのは、コウだった。  足早に小道具箱に向かい、模擬刀を手にする。  ゆっくりと鞘から抜くと同時に、レンに斬りかかる。  それを難なく受けた若者だが、意外そうに眼を瞬いた。  その傍で、ヒビキも小さく声を上げながらも、背後からの不意打ちを身を屈めることで避ける。  不意を衝いて拳を繰り出したカインは、軽く舌打ちしつつも次の攻撃を繰り出した。  それも難なく避ける女に、ジムが杖で襲い掛かった。  トレアがレンに攻撃を仕掛けるのを見てから、ゲンが女性陣に声をかける。 「どうするんだ? あんたらは?」 「どうしよう?」  同じように戸惑っている面々に問いかける女に、男がにやりとした。 「要は、あの二人に痣を作ればいいんだろ? どんな手段が駄目とは、言われてないよな」  その言葉で顔を見合わせていた女たちが、何かを思い立ったように頷き合った。  小走りに道具箱に近づき、思い思いの武器を手にそれぞれが相手の二人に近づく。  そして、それぞれが相手の動きを封じるために動き始めた。 「いいんですか、あれ?」 「まあ、それしか、今はやりようがないよな」  反則ではと口を出すレイジに、隣のセイは笑顔のまま頷いた。 「捕まえようとするだけでも、いい運動になるだろう」  実際、二人は何度か多勢の捕獲部隊に捕まって、まともに男の攻撃を受けそうになったが、その度にするりと逃げ、結果的に捕獲に回っている女たちがその攻撃を受ける羽目になっている。  その度に、男の方もたじろいでしまうので、攻撃隊も隙だらけだ。  痣だらけになっているのは、攻撃側の方だった。  はらはらと見守るレイジの横で、セイが不意に動く方の腕を上げた。  緊張のはらんだレンの声に、レイジが注意を向けた時には、木刀の先が目の前に迫っていた。  避けるどころか、それを認識する間すらない。  身を竦める前に、横にいた若者の腕が木刀の進行方向を変えていた。  それを見届ける二人の若い男女に、隙をついたコウとカインの攻撃が襲ったが、臆せず弾き返し、すかさず攻撃するゲンとトレアも地面に叩きつける。 「そこまで」  短い静止の声が、そこでようやくかかった。 「二十分もったな。予想以上だった」  やんわりとセイが告げたが、褒められても何かの感情が芽生える余裕はなかった。  それどころか、複雑な気分になったのは、ようやく見上げた先でレンとヒビキが疑い深げにセイを見ているのに気づいたせいだ。  そんな役者たちの気分を察したのか、セイは少し笑いの種類を変えた。  悪戯を成功させた時の子供の顔のようで、作りがいい分、目を引く笑顔だった。 「本当にすごい事だ。この二人を、周囲の様子が分からなくなるほどに、手合わせに熱中させたんだからな」 「お前、まさか……その為に、時間を短く見積もって、こいつら煽ったのか?」 「楽しかっただろ?」  無感情な若者に向けた笑顔は、その疑いを肯定したものだった。 「……」  その笑顔から目を逸らしたレンと、図星を指されて頭をかくヒビキに近づきながら、セイが告げた。 「本日は、ここまでにしよう。お疲れさまでした」  最後は丁寧に挨拶して、役者たちはあてがわれた部屋に戻った。  昨日現地入りしたこの合宿所は、国の首都から列車で数時間の辺鄙な場所にある。  山を幾つも超えてたどり着いたこの合宿所は、住民も見当たらず周りには林と廃墟同然の木製の建物が建つのみの場所だった。  この建物も古いが鉄筋コンクリートの頑丈な作りで部屋数も多く、役者たちも演出者たちも個室を与えられていた。  この為に雇われたらしい料理人たちは、数少ない地元の人間らしいが、ぎこちないものの感じは悪くないし、料理も中々の味だ。  公衆電話が一つ備え付けられているだけで通信器具はなく、何も面白みのないこの土地での空き時間をどう過ごすか心配になっていた役者たちだったが、空き時間を過ごすどころの騒ぎではないと、実感していた。 「まあ、多少の怪我は、あの通訳が何とかしてくれるようだから、安心か」 「多少、で済めばな」  カインの軽く笑っての感想に、ジムが顔だけ上げて全く会話に入らない女性陣を見た。  そこには、男性陣以上に疲れ切った女たちが並んで座っていた。  それぞれ、魅力的な女性たちだが、今は服から出ている肌のいたるところから痣や、包帯が覗き見える。  特訓の結果ではなく、男たちが誤って攻撃してしまった結果なので、申し訳なくてそちらを見ないようにしていた。 「真剣にやった結果なんだから、こっちも文句はないよ。褒めてもらえてよかったね」  その気持ちを察してか、女の中で一番健康的な印象を受けるシュウが、弱弱しく笑って見せた。  名前負けしているから、姓での呼び名をと言っていた、中華出身の女だ。 「本当に、すごかったわ。あなたたち、殺陣のある舞台の経験があるの?」  サラと名乗った日本人の女も、青白くなった顔色のままながら、笑顔で男たちを見回す。  女たちの中で、一番小柄で背も低いが、瞳が大きく印象的な女だ。 「まあ、そんなところかな」  目の前にそっとカップを置いてくれた手に黙礼し、ゲンは一同を見回してみた。  サラとシュウは祖国で舞台を中心に活動しているそうだが、女の中で一番年の若いアンと一番年かさで清楚なイメージのあるティナは、祖国から遠い国で役者をしているそうだ。  長身なマリーはこの地の出身で、映画撮影がここであるならと、懐かしい気持ちで結婚してから遠のいていた役者業を再開したらしい。 「今日ので、懐かしさが一気に消えちゃったわ」  マリーが力なく笑い、目の前に置かれたコーヒーに手を伸ばす。  自分好みの砂糖とミルクの量に、顔をほころばせながら、男たちを見回した。 「びっくりしたでしょ、余りの田舎ぶりに?」 「そうでもない。オレの育った村も、こんなもんだった」  トレアが答え、カインが笑いながら加わる。 「だが、ここに来るときに乗った列車の中は、随分物々しかったじゃないか。お偉い人がよく来てるんじゃないのか?」 「違うだろ。そりゃあ、あれだ、山の中で、異国の人間が猛獣に襲われたらえらい事だから、形だけ警備してるんだ」  軽く返されたが、隣のジム以外ぎょっとして言った男を見た。 「猛獣?」 「ああ。知らないか? まあ、こっちは、暗殺以外はそう問題にならない土地柄だからな。少し前にあったんだ。山の中で運悪く列車が止まって、一晩で乗客全員が、何かの猛獣に食い殺された状態で発見されたことが」 「本当か? 確かに来る途中に、いくつか険しい山があったが……」 「警察の調べでは、虎の集団だろうと」 「虎って……あの、黄色と黒の縞々の?」 「集団って、虎は随分数が減っているぞ」  疑わし気に言うカインは、元々はアニマルプロダクションの人間だったと話し、 「サーカスで虐待されていたのを保護してって経緯でも、保護団体は虎の起用にはいい顔をしてくれなかった」 「絶滅危惧種って奴だろ、それくらいは知ってる。仕方ないだろう。この国では、役人の言う事には右から左で信じるしか、生き残る道がないんだ」  苦笑して返すトレアを、隣のジムは無言で見上げる。  その目が、険しいのに気づいて声をかけようとしたサラの前に、ティナが首を傾げて口を開いた。 「私、この国のこと、今回の撮影で初めて知ったんだけど、そんなに封鎖的なところなの?」 「どうかしら。治安はそれほどでもないと思うけど、それはやっぱり何もないから、盗んでも買ってくれる場所に行く前に、あの山超えなくちゃいけないからだと思うし……」 「牛や、この地原産の植物が多く生える畑を持っている家族が、裕福と言われているらしいな」 「そうなの。うちのお姉さんは、そんな畑持ちの人の家に嫁いだの」  マリーが頷いて寂しそうに言った。 「会うことは出来ないけど」  顔を見合わせて言葉を探す一同を見て我に返った女は、笑顔になった。 「山からここは結構距離もあるから、列車を襲った虎は心配ないと思うわ。これまで一度もそんな話、聞いてないし。勿論、私も本当に長く帰郷していないから、今の事は分からないけど」 「その点は、変わらないみたいですよ」  返したのは、アンだった。  細身の女は、ここ出身の知り合いに、それとなく話を聞いてきたらしい。 「でも、何年か前から、原因不明の爆発事故で、人が亡くなっているって聞いたんですけど……本当ですか?」  目を剥いた一同に、マリーは苦笑して首を振った。 「本当だけど、あなたたちは、心配ないわ」 「過激派が住み着いてるとかじゃ、ないのか?」  コウの険しい表情での問いにも、女は否定を返す。 「違うわ。確かに、爆発しているのは、普段人がいない、この国の要人の別荘だけど……」 「ガス爆発、か?」 「この村に、ガスが引かれている家は、ないの」  不安げになっている仕事仲間たちに慌てて、マリーは続けた。 「あなたたちは、ここに住んでないし、子供と一緒に来ているわけでもない。大丈夫よ」 「そうなの、か?」  まだ納得していない面々に構わず、話を仕事に戻す。 「それより、今回の撮影のお話、日本の歴史上の人物を、モデルにしてるって聞いたんだけど、どんな人たちなの?」  改めて聞かれると、詰まってしまう日本人だった。 「どんなって、色々と逸話があるんだが、どれがその人物を正しく表しているかまでは……」 「歴史上の人物なんて、大概そうでしょ」 「そうねえ、一般論では、性格は短気で、気に入らない部下はすぐに手打ちにするとか……天下統一目前に、信頼していた部下に裏切られて討たれたとか、それでいてその遺体は見つからなかったとか……」 「残酷な性格と伝えられる割に、昔から人気のある歴史上の人物だな」 「へえ」  日本人たちの曖昧な説明が悪いのか、聞いている者たちの反応も鈍い。 「まあ、その辺は、想像でやってもらうしかない。話を書いてる方も、日本のその人物を知ってて書いてるわけじゃあなさそうだ。心配ない」 「いや、そこまで根を詰めて考えるつもりは……」  苦笑して返したゲンが、途中で眉を寄せた。  気楽なことを言った声の方へ顔を向け、ぎょっとして体を強張らせる。  何事かとそちらに意識を向けようとした他の役者たちより早く、全く別な声が呆れたように声をかけた。 「お前、そんなところで何やってるんだ?」  声の主は、一足先に部屋で休んでいるはずのレンで、それに答えようとしたカインより先に、その後ろで答えが返った。 「見れば分かるだろう? 湯を沸かしに来てたんだ」  答えたセイはサラの前に紅茶を置き、先に気付いたゲンに笑いかけて他の役者を見回した。 「そうしたら、ぞろぞろとこの人たちが集まってきたんで、ついでにこの人たちにも茶をふるまっておこうかと思ったんだ」  同じように役者を見回したレンは、呆れた顔のまま返す。 「遅いと思ったら、そんなことまでやってたのか。レイジって人も、待ってるぞ」 「? もう用はないはずだが?」 「お前が庇った時の傷が、気になるそうだ」 「痣すらつかなかったと伝えたのにな」 「丁度いいから見てもらえ。そっちの腕を」  僅かに顔をしかめたセイに、固まっていた役者の内、ようやく我に返ったカインが引き攣りながらも笑顔を向けた。 「あ、ありがとうございます」 「ああ、気にするな。本当についで、だったんだ。それに、少し期待したんだ。私たちがいない場所で、多少は愚痴か悪口が出るんじゃないかって。見事にそれがなくて、こちらは予想外だ」 「そ、そうですか」 「そりゃあ、残念だな」  冷や汗が止まらない一同に、レンが無感情に言う。 「それ次第で、明日から更に苛められたかもしれないのに」 「それを飲んだら、今日はゆっくり休むんだぞ。明日から本格的にトレーニングしていくからな」 「は、はい」  静かな動きでレンの傍に近づき、セイはその後ろについて歩き出したが、すぐに足を止めた。 「そうだ、さっきの話で、気になったことがあるんだが……」 「は、はい、何でしょう?」  緊張気味のティナの返しに、振り返りながら問いかけた。 「まあ、単なる好奇心なんだが、その、列車が止まって人が亡くなった件だ。それは、いつの話だ?」  誰にともなく尋ねる若者に、意外な気持ちを抱きながら、トレアが答える。 「確か、夏だったと思います。二か月ほど前の」 「丁度、うちの息子の夏休みの真っ最中でした」  補足したジムに頷く。 「あなたの国は、ここと変わらぬ環境の土地だったな。何人亡くなったのかは、分かっているのか?」 「遺体の損傷が激しい上に、見つかった時は一緒の場所に固まって放置されていたそうで、詳しくは分かりませんが、運転手や帰省客、避暑に向かったお偉い人を含めて、数人だろうと」 「……そうか」  隣でレンが考える顔つきになっているのに構わず、セイは頷いて今度はマリーに声をかけた。 「空き時間なら、外出も可能なはずだ」 「え?」 「ましてや、肉親に会いに行くのを止めるつもりはない」  なぜか声を詰まらせて返事をしない女を見つめ、若者は天井を仰いだ。 「……すまない。気を回しすぎたか」 「いいえ。ありがとうございます」  マリーの声がかすれ、戸惑い慌てる役者を見ながら、レンが隣の若者の脇を容赦なく肘でどついた。 「っ、脇はやめてくれ」 「なら、もう少し身長を縮める努力をしろ。頭に届かない」 「無茶な努力を、当然のごとく要求しないでくれ」  最もな返しを無視し、レンは役者一同を見回した。 「寛いでたところを、失礼したな。お疲れ様」 「お、お疲れ様です」  ポットを受け取り歩き出したレンに続き、セイも脇をさすりながら黙礼して歩き出す。  何となく気まずい雰囲気になり、すばやく気を取り直したマリーが笑顔で話を変える。  それに明るく乗る女たちも、それぞれ笑顔を張り付けたまま考え込む男たちも、一筋縄でいかない何かを感じ取っていた。  こうして、奇妙な合宿は始まった。
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